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映画の感想 「関心領域」となりのルドルフ

うかつな勉強をしたので、すっかり主人公ヘスを副総統ヘスと勘違いして観ていました。副総統は、単身赴任で家族はオシフィエンチムに住んでいたのか、たしかに副総統以下幹部の家族が話題になることはあまりありませんから----と、そんなわけはありませんでした。
昨年夏の「シモーヌ」のときと同じ誤解観賞。
でも一方では、誤解観賞も悪くないと。思いのほか興味津々に観ようとします。それでも、映画「関心領域」は退屈で眠くなりました。

ヘスとヘス

映画の世界ではナチものは格好題材です。観る機会が多い。ドラマチックな印象が多く残っています。もともと映像的な集団でしたから、副総統は実際の演説映像も残っています。はてはオリビエが演じアクション映画までありました。オリビエはナチの残党、追うモサドまで演じています。「関心領域」はオリビエの正反対、もっとも遠い作品でした。
人が人として扱われなかった場に関わった人々の映画もたくさんありました。50年75年と時間を経て、場は観光地化もされ、亡くなった人の遺したもの、生きのびた人の証言も明らかにされ、歴史化が進んだと思います。
さて、映画の閉ざされた家庭の幸せを追い求める家族の物語、退屈で眠くなるのは、それぞれの生活格差はあるものの普通に生活している自分自身の幸せを追い求める姿に見えたからでしょう。
「裏窓」から犯罪関連のサスペンスを除いたただの覗き見は、「となりのチカラ」になります。そして普通の家庭にはお節介なチカラは働きません。それでも無関心であることは、家族が幸せに過ごせますように、と祈るとき必要性を感じます。
「我々はか弱い」「だからあまりいじめるな」でしょうか。

原作と映画の違いが気になり、検索しました。
朝日新聞の鴻巣氏のエッセイを読みました。

映画「関心領域」も、観客が登場人物に自分を重ねられない造りになっていて賛否あると思うが、この異化的描出方法は原作の時点から意図されたものだろう。(中略) 明度の高い画面上で淡々と展開していくのは、ある男のある男の視点のみを通した幸せの実現だ。時にわざとらしいまでにのどかな音楽が流れ、美しい草花に彩られた人工的な画のなかで、この男は心ないモンスターに見えてくる。だが、その怪物のなかにひとは自分と似たなにかを見出して慄然とするのだろう。

鴻巣友季子の文学潮流「関心領域」映画・原作が問いかける「悪」との向き合い方


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