映画の感想 数年ぶりに韓国映画「愛を歌う花」

しばらく韓国映画を避けてきました。
理由は、最近改めてyoutubeで韓国映画紹介の動画を見て、ああ改めてその通りと。

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「手加減なし」なるほどと。「満足と後悔、五分五分」なるほどと。
「シュリ」とか「カル」とかハン・ソッキュとか、当時はホーっと。
「猟奇的な彼女」あたりが頂点。熱くて濃くて辛いのが美味しかったです。
テレビドラマのブーム、「大長今」あたりがピーク。
あとは、「五分五分」のバランスが「四六」「三七」「二八」----という具合。
「グエムル」「チェイサー」「殺人の追憶」----韓国の多くの人たちはこうした作品に感動するのかしら、と。
「渇き」あたりで、ちょっとどう判断していいか不明に。日本映画なら倫理規定などに配慮しそうなところを、配慮しないのが映画という文化である的な。いや日本映画やドラマも、40年以上前の方が過激に感じる場合がありますから、時間的なズレがあるだけかも。
先述の紹介動画を見て思ったのですが、作品の前半後半でガラリと別なジャンルに方向転換させる手法が目立つかしら。そうした作り方は、頭が固くなってくると重苦しく疲れてきます。
最近、無料で視聴できる作品が増え、途中で投げ出すことを覚悟で1本。
「愛を歌う花」。それでも2時間。そう韓国映画は100分以下は珍しいですし、仮にあっても濃くて、疲れて時計を見ると半分くらいなんてことが。
1943年ころから終戦あたりまでの物語を1990年でサンドイッチ。2016年公開ですが、古いレコードの発見復元のためなのか、1990年の設定。五輪後、文化輸出が促進し始まったころらしい。
それと妓生の取り扱い。物語としては清濁偏りのない扱い方だと思います。考証的なことはわかりません。
伝統的正歌と歌謡曲。当時の歌謡曲がやや新し過ぎないかと、聴こえました。歌謡のシーンが長すぎず好感。
ふたつの歌唱法の対比や評価が、1990年ころの状況で反転するラストまで響くのは感心。ただ初めて登場したレコードから、それの成立経緯を回想で種明かしは疲れます。もっと、シンプルに時間系列にそって筋を進めてよいかと。1943年の市街地のセットは、ちょうどよい加減かと。
俳優さんたちも好感。ひところみな同じ顔、同じスタイルの俳優さんやモデルさんだらけになるかと思いましたが。
以前の「手加減なし」というのは、なんだか余裕がない煮詰まった印象でしたが、すこしゆとりがでてきた感じで好ましく拝見しました。「手加減」がしっかり物語に貢献している感じ。
日本人の描き方や日本語も無難だと。もっと悪い人もいたでしょうけれど、これはそうしたテーマの映画ではありません。もしかすると、実際当時はもっと達者な日本語を駆使したのかもしれません。朝鮮の人たちの音楽に対する感覚は素晴らしいですし、言語に対しても同様でしょうか。

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