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2002年映画感想文の旅 いつでも人は知恵をしぼって「この素晴らしい世界」感想

下記は、とある友人にあてた映画の感想文です。
 「この素晴らしい世界」は2002年に日本公開された新生チェコの若い世代の作品です。
 ストーリーは、よくある「アンネフランク」もので、実話に基づいています。
 第二次世界大戦下ナチスドイツの占領するチェコの田舎町。とあるチェコ人夫婦が自分の雇い主だったユダヤ人一族の若い総領を匿います。夫婦は必死にユダヤ人を隠し通し無事戦争集結を迎えます。チェコはドイツ系もユダヤ系も多いところ。占領によって、金持ちユダヤ人と下働きドイツ系移民の立場が逆転し、ナチの降伏でまたまた逆転するといったシチュエーションが活用されています。
 特筆すべきは、一種のホロコーストものなのですが、全編「泣き笑い」の連続なのです。そこがのちのち下記のふたりの感想の違いになります。

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「この素晴らしい世界」感想文

 わたしは、こんな映画が好きです。
 1,人間が知恵を絞って困難を解決する物語。「神の見えざる手」ではなく、とでもいうのでしょうか。
 2,神話や伝説の世界を骨組みに取り入れたり、見立てに使ったもの。マリアとヨゼフとダビデの三角関係なんてふざけてますが、イエスが「まこと人の子であった」というのは、なんだか本当にあったような説得力を感じます。
 3,音楽が効果的に使われる映画。使用されているバッハのアリアについては、最初なんで主人公たちを苦しめたドイツ語の歌なのだろうと思ったのですが、考えてみればあのアリアは「ペテロの否認」の後のアリアです。「そんな男は知らない」といってイエスの言葉が成就するわけですが、映画の主人公は悩みながらも「知恵を絞って」咄嗟の機転で友人ホルストを救います。そこには、対ナチ協力者ホルストに対する、いくつかの「そんな男は知らない」が登場します。レジスタンスのシマチェクは、ダビドを密告しようとした過去からホルストを告発できません。ダビドもシマチェクを告発しません。「ペテロの否認」の否認という感じ。
 4,ユーモアのある映画。
 5,「よい映画は一文で要約することができる(ヒッチコック)」。このヨゼフという主人公は、いつもギリギリの知恵を絞って、子供をもうけたり、恩人や友人たちを救ったりします。それらは2と3で説明したように「聖書的奇跡の否定」の連続です。主人公は、生きていくのにいつも「神頼み」しながらも「神頼みはない」と思っていて、冷静で、ユーモアがあります。原題の「われわれは協力しあわねばならない」という言葉通りです。
 6,最初と最後が同じ映画。おしっこで始まっておしっこで終わっています。
 ちょっと岡本喜八監督の「肉弾」の立ち小便を思い出します。戦争で両腕をなくした笠智衆の古本屋の主人が立ち小便くらい気持ちのいいものはないという場面。戦争の中で「いきている」実感を観るものに与えると思います。この新しいチェコの映画は、気持ちのいい立ち小便から始まり、赤ん坊のおもらしで終わるのですが、知恵を絞って生きのびて、おしっこかけられて、バッハの「神よ憐れみたまえ」が背景に流れるわけです。男の子のおもらしほど「人の知恵」の及ばぬものはないものです。(これは実感)

上のメールに対して友人から下記の返信がきました。

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 映画の感想は、あなたとはずいぶん違うようです。それは、「なぜかくもシリアスな問題をユーモアを持って描いたのか(描けるのか)」ということです。フランクルの「夜と霧」やエリ・ヴィーゼル「昼、夜、夜明け前」(?)を読むと、ユダヤ人の体験のすさまじさを実感します。アーレントの「エルサレムのアイヒマン」では、かくもチンプな人間が巨大な機構の中でとんでもない悪を実行する過程を描いています。この映画のような幸運な例はごくごく一部だったでしょう。そのごく一部を、しかもユーモアをもって描くことで、その他の大部分(数百万)の犠牲者の経験やナチスの犯罪が、ともすると忘れられてしまうのではないか、「ああ、楽しかった」で終わってしまうのではないか、と思ったわけです。

上のメールに対する返信の返信。

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 本は所有し再読できますが、映画は一過性が強く、見終わったらいろいろ忘れ、何が残るか残らないかが問われます。わたしは大変個人的な思いをいえば、意義のための名作とか必読書にはやや疑問を感じます。もともと映画の大衆性は危険な側面はあるものの、「忘れる」ことに重きがあると思います。だから新たに体験できるし再発見もできるような。むしろ「1度見た映画は見直さない」が大勢と思います。それによって歴史の認識が失われるとか過去の価値観が変わるとは、思えないのですが。
 時間がたって、客観視できるだけ距離がはなれて、「忘れるからできる」と「忘れず、しない」ことのどちらが希望をもって生きていくことになるのでしょうか。拙い経験からは「忘れないから、かえって繰り返す」ことも多く感じます。わたしに残ったのは「いつでも人は知恵をしぼって」というところです。個人史的には「笑って忘れられる」ことも大切な時があると思うようになりました。


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わたしは、このやりとりの後、その人物とはほとんど話さなくなりました。意見の共有や交換ができないから、ではなく、人の知恵としてのユーモアが理解できない人は、あまりユーモラスな人ではないと思うからです。

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