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親が商売人なら子も商売人

今現在、2つの会社と1つの個人事業を経営していますが、もともと複数経営するなんて考えていませんでした。小さい頃から「将来は商売人」という考えはあったものの、なかなか具体化はしていませんでした。でも自分の中には商売人の血があるんだなと、最近思うようになったのです。

商売人だらけの親戚

ワタシの両親は共に山形に生まれ、上京してきました。父方には4人の叔父と叔母がいて、一番上の叔父以外は商売人で、タバコ屋、鶏肉店、蕎麦屋などを経営していました。父も状況と共に叔父の店で働いていました。

母方はどちらかというと勤め人が多く、商売人はワタシの従兄弟にあたる人が電話工事店や味噌麹店を経営していました。そういう環境もあってか「商売」というものが大変身近にありました。

斬新なアイデアを事業化する父

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ワタシには5歳年上の兄がいますが、兄が生まれた当時、両親は鶏肉店を経営しておりかなり繁盛していました。鶏肉専門店という斬新なアイデアでみるみる業績を伸ばし、後で別の方に譲りました。今でいうバイアウトですね。45年も前に父は後先を見越した事業をしていました。

そのあと八王子で弁当屋を開業しワタシが生まれてきました。
当時(今から40年前)の弁当屋という業態も新しいもので、平日は近くの銀行や同じ商店街の店主が買いに来店、休日は地域の野球大会や町内市内のイベントに仕出しをしており、こちらも大変繁盛していました。

売上の多くがこの「仕出し」で、最盛期には高校生のアルバイトを雇って忙しく商売に励んでいました。ヨチヨチ歩きのワタシはおぼろげながらもその様子を見ていて、なんとなく記憶として残っています。

弁当屋もやはりバイアウトし、町田に引っ越してからは「便利屋」を開業します。今でいうところのBenryさんやクラシアンさんのような仕事をしていました。また粗大ゴミの運搬やちょっとしたドア歪みの補修など、まさに便利屋さんの原型を35年前には事業として確立していました。

「30歳までに起業する」目標が明確に

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父の背中を見て、というのもあるかもしれませんが、商売人のいる環境に置かれているワタシは自然と「将来は商売人になる」ことを考えるようになり、特別なことではないと思うようになりました。

そして父が30歳で商売を始めたように、ワタシも30歳までに起業することを目標に見据え、逆算方式でプランを立てました。

大学は法学関係、会社は大中小3社くらい渡り歩き、30歳までに起業・・・というプランです。結果的には大学がちょっとずれたものの、会社も3社、大中小規模を渡り歩くことができました。

商学部入学が起業の思いをさらに強くする

大学はもともと法学部希望だったのですが、いろんな原因がありまして、どこにも引っかかりませんでした。既に1浪していたのでもう先がなく、いろいろと悩んでいたところ、両親から「商学部」はどうだ、というアドバイスをもらいました。商売の勉強をするのに商学部は打ってつけでしたが、学科選びに迷ったところアイデアマンの両親は「これからはグローバルの時代、貿易学科がベスト」と言われました。結果として中央大学の商学部にある「商業・貿易学科」に入学が決まりました。

貿易学科に入り、貿易、保険、経営、会計、輸出入手続き、商業の歴史、国際マーケティング、消費者行動学など、この世の商売を学問的に解いていくことにワタシは没頭し、今までの人生で一番勉強したと言えるほど、とにかく学問に打ち込みました。

商売をしたいなら商売人に聞け

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将来商売をするなら、商売をしている人に聞くのが早いというのは定説ですが、幸運にもワタシは両親が商売人だったので、環境は整っていました。
父は既に他界していますが、母がワタシの会社の会長となり、商売についていろいろアドバイスをくれるので、本当に助かっています。

これから起業する人も独立してフリーランスになる人も、みんな商売人です。自分の目指す方向に向かって突き進んでいくのも大事ですが、商売の基本は商売人に聞きましょう。あるいはワタシのバイブルでもある「近江商人」の鍋蓋の逸話を読んでみるのもいいでしょう。商売の難しさと楽しさがよく理解できます。

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