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オリンピックじゃなくても

オリンピックをやるかやらないか、それが議論になっているのは言うまでもない。今日(2021/1/18)現在、IOCの人がWHOの指示に従うと言っている報道も出て、またナーバスな空気が漂っている。こんな最中、準備をしなきゃいけないスタッフや選手の人たちのモチベーションが心配である。

今からこんな仮定をしても仕方ないのかもしれないが、もし今回のオリンピックが中止になってしまったら。きっと、モスクワ五輪をボイコットした時のように(いや、それ以上に)、後世に語り継がれることになるだろう。あの時、出場していれば金メダル間違いなしだった瀬古さんのような選手も2021年現在にたくさんいるのだと思う。

トップアスリートだから、基本的にはオリンピックが無かったとしても、そう簡単にモチベーションが崩れることもないとは思っている。自分のような一般市民には見えない世界が見えているのだから、その人たちに向けて偉そうなことを言うつもりもない。ただ、もし、オリンピックが無くなって、どうしようもなく落ち込んでいる選手やスタッフがいるのだとしたら。そんな人たちに今日の内容を届けたい。

研究職の仕事

自己紹介でも書いてあるが、私は研究職の人間である。研究というジャンルは、(カッコよく言えば)今までやったことのないことをやる(たまに昔やっていたことを繰り返すケースもあるが)ので、基本は失敗してナンボである。そこからどうやって上手くいくように持っていくかが仕事になる。その結果を論文や技術レポートの形にしてまとめる。大学や研究機関の研究者なら論文の数や引用数が功績になるだろうし、会社に勤めの研究者ならば研究結果が製品や設備などの形になると功績になる。

論文を出したとしても何かの役に立つこと、実は結構難しい。ありとあらゆる学会があって、そのグレードも多種多様である。権威のある学会誌に投稿して受理されればすごいことだが、目立たない地味な学会も存在する。もちろん論文は論文なのだが、周りに与える影響という点では大きく異なってしまう。

企業で研究開発をしても、それが製品化されるまでに物凄いハードルがある。実験室ではうまくいったけど、実機レベルではねー…と、お蔵入りすることなど日常茶飯事である。だから、研究しても陽の目を見ないことなんてザラにあるのだ。

でも、研究者というのはそれでも日々研究活動を続けている。それが仕事だから。誰にも注目されない、認められない、そんな状況でも淡々と進める。もちろんPRは大事だ。でも、限りがある。どんな状況でも前に進めていかねばいけない

何を目指すのか

もし仮に、オリンピックの消失によって、モチベーションを失ってしまう選手がいたとしたら。その競技を少しでも深く理解したいと思うならば。研究活動のようなつもりで取り組んでもらえたら、世界が広がっていくと思う。たとえば、大迫傑選手は、現役のうちから色々と後世への種を蒔いている。

ハンマー投げの室伏選手は、大学院で学位を取得している。全選手にできることではないかもしれないが、こういう道もあるのだ。アスリートでも研究肌の人はいる(昨日挙げた吉田祐也選手もそうだろう)。自分で結果を残せなかったとしても、次の世代でたくさんの選手を育てたり、競技をさらに深化させることに繋がるなら、その功績は金メダルを取るよりも大きいのかもしれない。

なんだか、色々と書いてしまった。願わくばオリンピックが開催されてほしい。でも、たとえ開催されなくても人生は続く(それに次のオリンピックもある)から、落ち込むことがあっても、また次への一歩を踏み出してほしいなと願っている。

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