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「名もなき家事」と「同一労働同一賃金」 〜最終的な責任を負っているのは誰か?〜

「名もなき家事」という言葉をご存知でしょうか?

麦茶の残量のチェックと補充
保育園のお帳面書き
シャンプーのストック準備
トイレットペーパーの交換
テーブル用フキンのハイター漬け
エアコンなど各種フィルターのホコリ取り
車のエンジンオイル交換

「掃除」や「洗濯」といった「名前のある家事」ではなく、一つ一つのことは些細なことだけど、つもりつもって肉体や精神を圧迫するもの。それが「名もなき家事」です。

ここ最近、そんな「名もなき家事」が話題になっていて、書籍も出版されるなど、一大ムーブメントとなっているとか、いないとか。


なんで話題になっているのか?

そんな「名もなき家事」がなんでここまで話題になっているのかを私自身の勝手な考察で考えてみたいと思います。

「同一労働同一賃金」ってご存知ですか?

こちらも「働き方改革」の中で言われている言葉です。厚労省の特設サイトなんかもあったり、ここ最近は最高裁判所の判決がでて新聞をにぎわしたりと、こちらも一大ムーブメントになっているとか、いないとかの言葉です。


この「同一労働同一賃金」と「名もなき家事」は似てるなっていうのが私の勝手な考察でます。

詳しく話しますね。

最終的な責任者は誰なのか?

仕事なんかでは最終的に責任をとる立場の人っていますよね。

・突然バイトが欠勤したときに、店を回すために呼ばれる人とか。
・予定していた機材が届かなくなった時にそれでもイベントを開催する時に取り急ぎの処置を考える人とか。
・取引先からの急な仕様変更に納期と仕様のバランスを取りながら大きなトラブルに発展しないようにギリギリの調整をする人とか。

その役割を担う人は、仕事は「営業」とか「人事」といった「決まった職種」の人が担当しているわけではなくて、役職持っている人とか、正社員とか、いわゆる現場で最終的な責任を負っている人がやっている仕事です。

ここで「同一労働同一賃金」では「職責」という言葉があって、仮に同じ仕事をしていたとしても、最終的に責任をとる立場が違えば、それは同一労働ではありませんよって話が出てきたりします。

この「職責」の部分が「名もなき家事」に関係あるなっと感じたのです。

「住みごごち」は「名もなき家事」に宿る

家事においても、最終的に家を回すためには「掃除」とか「洗濯」とか名前のある家事だけをやっていればいい訳ではありません。実は「名もなき家事」と言われるものが最終的な「住みごごち」のクオリティを決めている部分があります。

「シャンプーがなくなったときに、ちゃんと替えのシャンプーがあるかないか? 」はその日のバスタイムのクオリティーを大きく左右しますよね。

「神は細部に宿る」という言葉があるように「住みごごちは名もなき家事に宿る」ものだと思うのです。

家事においても職責が違えば同一ではないよね

そういった最終的にクオリティーを決める「名もなき家事」を誰が責任を持ってやっているか? というのは「最終的な家事の責任を誰がになっているのか? 」を明らかにしまくります。

だから「名もなき家事」をやっている人からみると、別に役職についたつもりはないけれど最終的な責任者になってしまった感があり。

さらに「名もなき家事」をやっていない人(主に旦那さんのほう)に「同じ家事の分担しているよね」と言われた時に、「職責が違う」ってつい一言いってしまいたくなるのが、「同一労働同一賃金」と「名もなき家事」が似ているなっと思ったところでした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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