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坂道とクリエイティブ —2023—

それぞれの坂道の現在地


毎年さまざまな面をみせてくれる坂道グループ、その2023年をクリエイティブ面を中心に振り返ってみたいと思う。

(遅れまくって2024年になってしまったところ、1月に入って2週間ですでに各グループいろいろ起きまくってるが一旦見なかったことにしておく。)

まずは、2023年の坂道のクリエイティブ周りに関する個人的印象を。

乃木坂46 : リソースが増え、規模感も大きくなってやれることが増えているものの、それを構築する時間が圧倒的に足りてない
櫻坂46 : 最終成果物についての指針を定め、そこに向かうために周りはクオリティ向上に時間も技術も割いている
日向坂46 : 新たなことを取り入れてはいるものの、やりたいこと・やってみたいことが先行していて、それを軸にするまでにはなっていない

1年を通してどのグループもいろんなことにトライしているなと思う反面、惜しいなと思う点があるのも事実。

順にざっくりと整理してみる。

乃木坂46

シングル : 32nd"人は夢を二度見る", 33rd"おひとりさま天国", 34th"Monopoly" - 計3作
MV : ”人は夢を二度見る”, ”さざ波は戻らない”, ”心にもないこと”, ”僕たちのサヨナラ”,
   ”おひとりさま天国”, ”踏んでしまった”, ”考えないようにする”, ”マグカップとシンク”,
   ”Monopoly”, ”思い出が止まらなくなる”, ”いつの日にか、あの歌を・・・” - 計11本

年間を通して考えると、1シングルに対するMVの本数が減少傾向にあるように思えるが、
遡ってみると、31st以降実質的に1シングル・3MVの体制をとっていたようにも思える。

31stの[これから]や32ndの[僕たちのサヨナラ]は卒業ソングで、31stの[アトノマツリ]はセルフメイキングだ。
前者は当然リソースを割くべきところであるし、後者は逆にリソースをある意味最低限に抑えることができる。

33rdの[マグカップとシンク]がむしろ特異で、30th以降前述の[アトノマツリ]以外のユニット曲のMVはつくられていない。
そのあたりを踏まえると、本数を絞ってクオリティを高めるというよりかは、
単純に4本,5本と制作するスケジュールが取れなくなってきているように思える。

ただ、その分1MVに掛けられる予算や人員といったリソースは明確に増えているのだろう。
特に、撮影機材や美術がわかりやすいだろう。
[人は夢を二度見る]ではMV冒頭の山下・久保の幽体離脱カットや後半の劇場での人が増減するカットを実現するモーションコントロールカメラの導入、
[おひとりさま天国]のメンバー別の部屋セット、[Monopoly]の膨大な生花群などが挙げられる。

そう簡単にはできない規模感のことをやっているのを見ると、さすがに乃木坂46は日本のアイドルグループのトップを走っている存在だと思わされる。

他アイドルグループのMVを見ていると、ロケセットメインであったりスタジオ撮影でも照明の作り込みがメインであったりと、
スタジオにがっつりセットを建て込むのはどうしても費用の面でマイナーになってしまう。
何気なくやっているが、どう考えてもえげつないことを常にやり続けているのはやはりすごい。

とはいえ、そんな乃木坂46も全MVでそれができるほどの体力は無い。
アンダーや期生曲ではどうしてもロケセットがメインになっている。

そういった中で"乃木坂46"として純度の高いMVが毎シングル繰り出されるのは、これまで構築され続けてきた乃木坂46像というものがある証拠であると同時に、運営からクリエイターに対する信頼度の高さを感じる。

ただ、ほかのアイドルグループも、毎回テイストの違うロケセットだからといってそのグループらしさをまったく失っているというわけではないので、
乃木坂46に特に”らしさ”の練度の高さを感じるということなのだろう。

ただ、リソースを特に割けられるのは撮影直前までという印象がどうしてもある。
編集といった撮影後の仕上げに関してはむしろ、以前よりも厳しい状況なのではないかとさえ思えてしまう。

30th[好きというのはロックだぜ!]以降、シングルの特典映像としてのMV収録をやめた影響か、撮影スケジュールがどんどん後ろ倒しになっており、
MV公開や発売の2,3週間前に撮影ということもわりと普通にあるようで、それはなかなか厳しいよなと思う。

ある一定以上のレベルは当然ながら求められるであろうし、そこにたどり着くまでの試行錯誤の量も膨大であろう。
撮影前に想定していたことも、撮影時の物理的・時間的トラブルで崩れることもあるだろう。
作品として、ひとつの答えを出すまでの苦労は計り知れない。

2023年で言うと、特に、[おひとりさま天国]でそのことを強く感じてしまった。
MV冒頭の部屋内で和が増殖するカットや、ティザー映像のようなことを本当はやりたかったのだろう。

どう考えても時間的コストがめちゃくちゃかかる編集なので最低限にとどめて、断念したのだろうなと感じてしまう。
他にも、合成を取り入れているアンダー楽曲でクオリティー的な惜しさを感じてしまうのは、時間をかけられなかったのが起因なんだろうなと思ってしまう。

発売後のMV公開でもまったく文句はないので、どうか妥協のないMVをつくり上げて欲しいとクリエイターの方々には切に思う。
また、そういう体制をとれるよう、運営にはスケジュールを組んでほしいとも思う。

そういった上で2023年の乃木坂46のMVをひとつ選ぶとすれば、やはり[考えないようにする]だろう。

詳しいところはこちらを参考にしていただきたいが、
MVをはじめ、個人PVも含有した"乃木坂46"を再解釈・再構築しているような作品であり、近年では意外と見られなかったテイストである。
個人的に乃木坂46らしさを感じる、ドラマ性がありつつ儚さを併せ持つMVというのは2014から2018にかけてが特に多かった印象で、
その印象を濃く感じる[考えないようにする]はとてつもなく刺さった。

こういった作品を求めたくもなってしまうが、いろいろな面で大変なこともわかるし、今の時代すぐに曲に入らないMVが伸びないこともわかってるので、年イチぐらいで見れたら嬉しいところである。

ライブ関連では5月末にSEIGO氏の一件があり、良くも悪くも変わらなければならない状況となった。

特に、真夏の全国ツアーは開幕約1ヶ月前の出来事だったのもあり、がらっと一新することはできなかったのであろう。
どこかチグハグさを感じたのは、活かせるところは活かし、変えられるところは変えるという選択を取ったゆえなのかと思う。

実際のところ現在どういう体制をとっているかはあまり言及されないため詳しいところはわからないが、
主になっているのはこれまでもアンダーライブの演出を手がけているムライマユ氏のようだ。

メンバーからの信頼度もかなり高い印象があり、メンバーに寄り添った演出を引き出している印象もあるため、
2024年の真夏の全国ツアーをはじめ、乃木坂46のライブがどうなっていくのか、今から楽しみだ。

櫻坂46

シングル : 5th"桜月", 6th"Start over!", 7th"承認欲求" - 計3作
MV : ”桜月”, ”Cool”, ”夏の近道”,
   ”Start over!”, ”静寂の暴力”, ”ドローン旋回中”,
   ”承認欲求”, ”マモリビト”, ”隙間風よ” - 計9本

いろいろなところで櫻坂46の強さを感じる1年だった。

2023年は櫻坂46として次なるフェーズへと移行したように感じている。

2020-21年は欅坂46との違いを見せることに注力していたイメージがあり、その役割は十分に果たしているのだろう。
2022年の4th[五月雨よ]以降は"櫻坂46"としてどう魅せるかという段階になっている印象があり、その期間で蒔き続けた種が、
[桜月]を携えた3rd TOURで一気に開花したように思う。

3rd TOUR自体は映像でしか見れてはいないが、シンプル寄りではあるが魅せる演出に、メンバー自身から発せられるパフォーマンスの熱量は圧巻であった。
特にFINALでの[Start over!]初披露は、ピークはまだまだこれから先にあると思わせるパッションの凄まじさで、櫻坂46の底知れなさを感じた。

その後のJAPAN Expo パリ/マレーシアの出演やAAAでの選出など、これまで他の坂道グループがうまくアプローチできなかった海外展開の兆しを感じられ、期待値は常に上がり続けている。
というか、すでに兆しどころではないのでこのまま迷わず突き進んでいってほしいところだ。

2023年の櫻坂46のMVは本当に名作揃いだ。
監督に関しては完全に加藤ヒデジン氏のターンと言って間違い無いだろう。

3期生の初楽曲[夏の近道]からはじまり、[Start over!]と[承認欲求]と2作連続で表題曲のMV監督を務めている。
どの曲も楽曲自体のパワーがあるのがもちろんだが、MVがその魅力を倍増以上にしている。
どれも演出的に攻めて、新しいことも積極的に取り入れている印象だ。
流行も柔軟に取り入れつつ独自の演出を確実に折り込んでいく様は唯一無二だ。

7thSGのMV監督の並びを見た時はちょっとビビってしまった。
加藤ヒデジン氏、新宮良平氏、池田一真氏。
完全に"櫻坂46"の流れを生みだした加藤氏に、”欅坂46”といえばの新宮氏と池田氏。
これは流石にたまらないものがある。
あまりにも運営が本気すぎて笑ってしまった。

特に新宮氏は改名後、櫻坂46のMVを監督を務めるのは初めてで、さらに楽曲は[マモリビト]と完全に意味を持っていた。
"欅坂46"を知り、今の"櫻坂46"を知った新宮氏が魅せる演出は一味違っていた。
パフォーマンスメインではあるが、美術やカット割り等のメンバーの切り取り方に至るまで、彼女たちが目指す先を見据えているようにさえ感じた。

それこそ池田氏が監督している[静寂の暴力]はまさしく"静"的な撮り方だったのだが、[マモリビト]はかなり"動"的だ。
この同じ演出対象でありながらどんどん違う面を引き出してくれるこの感じは、どこか欅坂46時代を思い出さないことも無い。
"櫻坂46の3期生"として生きる彼女たちには失礼な感覚かもしれないが、あのワクワク感はさすがに忘れることが出来ない。
より良い循環が彼女たちにも巡ってくることを願っている。

あえて2024年の話を入れるが、小林由依のラストセンター曲[隙間風よ]とソロ楽曲[君がサヨナラ言えたって・・・]の監督が順に池田氏と新宮氏なのは映像面で運営からの最大の贈り物に感じた。
"欅坂46"そのものとも言える小林由依に、"欅坂46"というアイドル像をつくり上げる一翼を確実に担った両氏が宛てられるのはなんとも感慨深い。

個人的には、3rd YEAR ANNIVERSARY LIVEが改名後、はじめての直接見るワンマンライブであったが、生で見るとまた違った面白さがあった。
モバイル1次でフロア4に飛ばされるという魔の事態ではあったが、それでも会場全体を巻き込み、櫻坂46のライブをつくり上げるという一端に交わることができたのはこれからも経験していきたい。
(1月のライブは今のところ落選なのだが。)

一見シンプルな映像演出とセットこそ櫻坂46としての魅力をグッと引き出し、より増幅させる重要なキーになっていると思う。
それは新参者の3期生公演でも感じたところであり、こちらは照明演出がメインであったが、その姿勢を崩さなかったところは十分に評価されるべきところだ。
やはりこの”一貫性”というものはグループを形成する上で、かなり上位にある要素なのだろう。

クリエイティブ面で1番大きなトピックは展覧会『新せ界』の開催であろう。

1stシングル[Nobody's fault]から1stアルバム[As you know?]までのシングル・アルバムのアートワークを務めていたPERIMETRONのOSRIN氏がアートディレクターを務めており、あの世界観は櫻坂46のベースをつくり上げたといっても過言でないOSRIN氏にしかつくり出せないものであった。

櫻坂46は如何にしてここまでシングル毎のコンセプトを押し出した上で、成立させ、突き放す・突き放されることなく世間へと浸透していく過程を感じることのできる展覧会であった。

シングル毎のテーマやコンセプトを明確にし、それを指標としてアートワークやタイトルロゴ、MV を作り上げているという過程を目にして、
これは当然シングルとしての説得感や統一感が増していくと感じた。
運営から各クリエイティブチームに対する信頼感

同会場で開催されていた、乃木坂46 Artworks『だいたいぜんぶ展』と比較されがちではあるが、その目的は異なっていると感じた。
『だいたいぜんぶ展』では、”乃木坂46”をつくり上げる中間あるいは最終段手前のものが多かったが、『新せ界』ではつくり上げる初期段階のものが多いように感じた。
それは、企画書やコンテなどメンバーが直接的に触れる以前のものたちを前面に打ち出していたからだろう。
もちろん『だいたいぜんぶ展』のときもそういったものが無かったわけではないが、どちらかというと細かな中間制作物や小道具等の物量が多かったからであろう。

『新せ界』は櫻坂46がどうこれまでつくり上げられ、これからどうつくり上げられていくかを感じることができた貴重な機会であった。
櫻坂46に触れる我々も櫻坂46をつくり上げる要素であることを意識させられもした。

そんなOSRIN氏は、2023年は櫻坂46(と欅坂46)の振り返りと構築に尽力しており、アートワークの方では関わっていない。
ほかのクリエイターにより、新たな面を引き出され続けた1年であった。

2024年、かなり濃く"櫻坂46"という存在そのものに向き合っているであろうOSRIN氏と櫻坂46のタッグが再び見れることを期待してしまうし、どんな花を咲かせてくれるのか楽しみだ。

日向坂46

シングル : 9th"One choice", 10th"Am I ready?", 2ndAL"脈打つ感情" - 計3作
MV : ”One choice”, ”恋は逃げ足が早い, ”シーラカンス”, "友よ 一番星だ",
   ”Am I ready?”, ”見たことない魔物”, ”ガラス窓が汚れてる”,
   ”君は0から1になれ” - 計8本

リリースペースとしては2019年ぶりの年間3作ではあったがMV本数は減少傾向。(2022年9本, 2021年10本)
8th[月と星が踊るMidnight]まではユニット曲MVがあったが、9thからは全体曲+4期生曲の構成。
どのグループも同じような傾向にあるので、まぁそういう方針なのだろう。

10thSG[Am I ready?]を今改めて考えてみると、なかなかにチャレンジングなシングルだと感じる。
表題MVは、意識して無いとは言わせないレベルで、韓国アイドルのMV的な構成になっており、これまでにない日向坂46の姿を見ることができた。
(第3世代後半から第4世代初期ごろ(2016-2019あたり)の雰囲気に1番近しい気がしているのだが、今そこを狙うのは果たして正解なのかというの少し疑問ではあったが。)

IZ*ONEのような幻想的なコンセプトと、FRUITS ZIPPERをはじめとする可愛さを全面に押し出したコンセプトとがうまく融合した作品になっていると感じた。

多分あの質感を狙って出すのは、日本では環境が整いきれておらず、まだ難しいのだろう。
実際、撮影や特機、照明チームは韓国から呼んでおり、グレーディングは韓国のスタジオで行い、最終仕上げのコンポジットは韓国人の方がやっているなど環境を十分に整えて望んでいたようだ。
もっとも、コンポジットの方についてはUber Eatsを手がけるなど、日本の第一線で活躍されており、日本と韓国それぞれで求められる要素をクリアしていくには最適な存在だったであろう。

一方、スタッフリストを見てみると、意外と衣装やヘアメイク、美術は日本チームだったりする。
この親和性がかなり高いレベルになるよう、クリエイティブコントロールができていたのだろうと感じる。
と同時に、やはり日本のクリエイティブ的ポテンシャルの高さも感じられる。
このハイポテンシャルな要素を感じることができる機会が増えることを今後期待したい。
決して、現状のクリエイティブレベルが低いと言うわけではないが、ここまでコンセプトに即したクリエイティブを発揮することの出来る場面が少ないと感じる。
他の作品でも、全部署でクリエイティブレベルを高めている様を見ることだきるようになればと思う。

前述通り、衣装やヘアメイク、美術、CGI等々ビジュアル的なおもしろさは確実にあるのでそれなりに伸びるかなとどこか思っていたが、なかなか振るわずで、なんだかもったいないなと思わざるを得ないところだ。
他と系統は似ているがレベルがひとつ違うものを作り出せるリソースを持ち合わせているのが坂道グループの魅力の一つだと思うので、出来れば日向坂46としてはこの方向性で突き進んでいってほしいところではある。

他にも、特典映像として収録されている4期生の個人PVは、全作品20代のディレクターで構成されており、他の坂道グループではみられなかった企画を打ち出している。
そもそも個人PVは自由な場(自由すぎる場)ではあるが、このシングルの個人PVは特に自由で他と毛色の違う作品が揃っていると感じる。
日向坂46における個人PVは、現状全員1本ずつという状況なので、このフリーダムな発想を持ったまま次シングルあたりで全員個人PV収録に繋がってくれればと思う。

アルバムの[脈打つ感情]もその流れに乗ってくるかと思いきや、特に汲むこともなく"ライブ"をテーマとして推してきた。
そこをテーマとしたいのもわからなくはないが、それと同時に湧き出た忌憚なき意見たちも大いにわかる。
正直、7th[僕なんか]で一区切り感があったからこそ、もっとチャレンジして"新たな"アイドル像を築き上げるフェーズに移るかと思っていたのだが、いまだに軸を掴み損ねている印象があるのはどこか仕方のないように思う。
抗えない時の流れがあり、どうやっても"あの頃"には戻ることができないので、トレースしようとするのでなく新しいものを発表してくれると嬉しいのだが。

その"ライブ"について、[Happy Train Tour 2023]は全体としては、セトリが画一的なのはさておき、普通に良かったと思っているのだが、一部の映像演出についてはどうしたいんだろうかと思うところがあった。

映像演出としてAR技術を取り入れており、本編冒頭では会場をぐるっと一周した銀河鉄道が入線し、本編ラストでは上村ひなのが気球で場内を周る中さまざまなオブジェクトが宙を浮いているというものがある。

ツアー自体の雰囲気作りや"Train"という総合的なテーマ性を高める効果的な演出だとは思ったのだが、それを届ける環境づくりがどうも残念だった。

そもそも、8月末から10月頭までの当初のツアー期間中は配信も無く、その演出を見ることができるのが実際に会場に訪れた人のみであった。(11月発売のアルバムの特典映像ではじめて広く見ることができた。)
しかも、会場内のモニターはアリーナ規模ということもあり比較的小さく、映像演出を見せるという意味では適していないサイズ感であった。
どう考えてもひな誕祭で使用するレベルの巨大モニターで見て没入感を高めた上で見せるor配信映えのする演出であるのに、そのあたりに目を向けていなかったであろうところが残念であった。

見せたい技術が先行して、それをどう見せるかというところまで考えが及んでいないように思えてしまう。
そういったところが、どこか運営の独りよがりな印象に繋がってしまうのかなとは感じる。
2024年はおひさまを巻き込んだ、一体感を重視したクリエイティブをさまざまな場面で生み出してもらいたい。

まとまってないまとめ的ななにか

つらつらと思うままに書いてみたが、2023年の坂道グループは良くも悪くも変化を求められる年だった。
その中でどう動いていくかというのは、きっかけが違うということもあるが、坂道グループそれぞれ異なっており飽きることのない1年だった。
まだまだ変化の渦中であり、その終わりはないが、2024年はそれぞれどうなっていくのか楽しみだ。

"推す"という行為が一般的になった今、成長過程をじっくりと追うというアイドルの長期コンテンツ的な面というのはマイノリティな魅力になっているように思える。
さまざまなコンテンツの消費サイクルが速くなっている中で、グループ全体とまでは言わずともシングル単体のコンセプトがしっかりとした、ある意味完成品に近しいものが好まれる傾向にあると感じている。
言い換えれば全体的なレベルが上がっており、運営側も見る側も求めるものが変化してきているのだろう。

そこに1番近い動きをしているのは"櫻坂46"だ。
”欅坂46”時代からもその傾向はかなりあったが、その時は対象が限定的かつ寄り添うという意識が強かった。
”櫻坂46”になってからは、世間や相手と向き合い共に歩むという、より開かれた意識に変化していると感じている。
この変化は"向こう側"の意識にも変化を及ぼし、そこが櫻坂46の現在地につながっているのだろう。
変化をしながらもコンセプトや軸を明確に持ち、活動を続ける櫻坂46が世に出ていくことは必然のようにも思える。

一方で、如何に短期間でどっぷりと表層に浸からせ、メンバーのパーソナルといった深層まで引きずり込むことが出来るかが持続化という面での課題だろう。
それがオフィシャルかアンオフィシャルかはさておき、そこに備えるだけのコンテンツを保持しておくことは重要だ。

そういった強みを1番持っているのは"乃木坂46"だ。
1番手軽なプラットフォームのYouTubeCH[乃木坂配信中]からサブスク[のぎ動画]まで、"乃木坂46"を知る選択肢を相手に合わせて多様に用意している。
ある意味"あの頃"といった"過去"にもアクセスしやすい状態ではあるが、それ以上に"今"の乃木坂46で魅了できるだけの力を持ち合わせていると感じている。
また、山下美月のドラマ出演や久保史緒里のドラマ・舞台出演などの個別仕事はグループそのものの入り口になると同時に、個人の魅力を広げることにもつながっている。
5期生の単独番組[超・乃木坂スター誕生!]も同様だ。
きっかけを蒔き続けることは大きな意味を持っている。

”日向坂46”は今年もコンセプトの模索を続けていくことになるのだろう。
しかし、そこさえ掴めれば全員の見据える先も明確になってくるので、見える景色も見せてくれる景色も変化していく。
出来れば"ライブが最強”といった相対的なものよりかは、
それこそ"ハッピーオーラ"といった絶対的なものを掲げてもらいところだ。
唯一無二のアイドルになり得る可能性は十二分あると思うので、その見極めを迷わずに進んでもらいたい。

韓国のアイドルはコンセプトが重要であり、それこそが魅力であり、また見たいと思わせるきっかけにもなっている。
また、それは制作陣だけでなく、ファン側の指標にもつながっている。
MBTI診断(そんなものはない)をはじめ、どういった存在かを知った上で応援するという構造ができてしまっている以上、その流れ自体は日本でも無視できないものになってきている。

”AKB48”や”モーニング娘。”といった今の日本のアイドル像の源流とも言える存在は、メンバーの個性をひとつの武器として戦ってきている印象がある。
没個性化して何かに染まれとは当然言わないが、うまくバランスをとりながら"今"のアイドル像に向き合うことにより、日本独自のアイドル像は新たなフェーズへと進んでいくだろう。

それと同時に、アイドルそれぞれはコンセプトと自己プロデュースとのバランスで悩まされることが増えていくだろう。
1シングルの中で見せなければいけない姿と、年間やアイドル人生を通して見せたい姿を追い求めることの難しさは、とても推し量れない。
それぞれがそれぞれらしく、というのは理想でしかないが、どうか自分に嘘をつかないでアイドルとして生き抜いてもらいたい。

終盤、クリエイティブ周りの話というよりかはアイドル論に近しい形となってしまったが、全てのクリエイティブは大なり小なりのコンセプトがあって、その上に構築されていくものだ。
そのクリエイティブを疎かにしてしまうと全体的なレベルの低下にもつながってくるので、どうかそのあたり気を使ってもらえればと思う。

そしてどうか、かたちのない”らしさ”を守っていって欲しい。


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