人称代名詞とジェンダーの関係考察
※大学生の頃に書いたレポートを社会人になった今読み返すと
なかなか面白かったので載せます。興味とお時間がある方はどうぞ。
はじめに
この講義で学んだことの一つは、字幕翻訳に限らず、翻訳には様々な方略が存在しているということだ。今回のレポートでは、翻訳方略の一つである「等価」と私がもともと興味を持っていた「ジェンダー」を掛け合わせ、ジェンダー要素を含んだ翻訳の難しさや課題について考察を述べたいと思う。
さて、私は翻訳の役割としては言語を訳すだけでなく「文化の違いを訳す」ことだと思っている。また、それが一番難しいことであるとも考えている。今回のレポートのテーマは、文化の違いの一つと言ってもよいだろう「人称代名詞」に設定したい。
人称代名詞とは
人称代名詞とは、一人称(話し手を指す)、二人称(聞き手を指す)、三人称(話し手と聞き手以外を指す)の三つで成り立っているが、特に種類が多く、翻訳が困難なのが一人称と三人称だろう。今回は焦点をこの二つに当てる。
一人称についてだが、Wikipedia調べだと日本には一人称が61以上存在している。これに対し、私の知る限りでは英語にはIとWeの二つのみだ。また、英語では老若男女Iと言えばそれはIだが、日本語の場合、老若男女のIはIでない場合が多い。例えば、男性間だけでも「僕」「俺」と別れがちだ。また、友人の前、教授の前で一人称を使い分けることが暗黙の了解とされている。そして漫画やアニメで見られるものとして、「一人称を使い分けるキャラクター」が存在する。
例を挙げるならば、「男性のフリをするために一人称を「俺」にする女性」「性格は男勝りだが声が高く一人称が「私」のため性別不詳のキャラクター」だ。この現象は日本語ならではのものだろう。よって、一人称の特徴として「語り手の性別を特定できない場合がある」ということが挙げられる。これは英語をはじめとする外国語に翻訳する際大きな課題となるだろう。
興味深い例として、映画『君の名は』の字幕翻訳と吹替翻訳を紹介したい。瀧(in三葉)が普段の瀧の一人称を探り当てるシーンで、日本語では「私…わたくし…僕?俺?」となっているセリフが字幕版だと「I(watashi), I(watakushi), I(boku)? I(ore)?」となっており、さらに吹替版だと「A girl…I mean…A guy」となっている。日本語のように一人称を使い分ける文化がいかに珍しく、日本以外の国からすると不思議な文化であるかがよくわかる。翻訳家もかなり苦労しただろう。
これに関連して三人称の特徴としては、「対象の性別を特定できる」ということが挙げられる。例えば、「〇〇ちゃん」「〇〇くん」「彼女」とあれば、本当の性別は別として、第三者から見た性別は確定する。
ここで、三人称に関連した面白い比較結果がある。(石井照久・菊池友希子・立花希一・望月一枝. マンガとライトノベルにおける姿形・言葉・ジェンダー表現 ─英語訳・独語訳と比較して─. 秋田大学教養基礎教研究年報. 2012年.)この三人称比較に用いられた作品はライトノベル『キノの旅』で、この作品の核は「キノ(一人称は「僕」)の性別は女性だが、中盤でそれが明らかになる」ということだ。これを英語翻訳版、ドイツ語翻訳版と比較すると、日本語では「キノ」だった三人称が英語版ではキノの性別が明らかになった章を序盤に持ってきて(つまり、物語の順番を入れ替えて)はじめから「She」とされており、ドイツ語版ではキノの性別が判明する前はMensch/erという男性とも女性とも言い切らない表現、判明後はSieという女性を表す三人称に変更されていた。このことから、日本語の特徴として「曖昧と確定が共存している」ということが挙げられるだろう。(言葉では確定的だが、それに事実が伴うとは限らないため)
日英翻訳のジレンマ
このように、一人称や三人称の選択で自分や他人の性を示唆する文化は日本特有のものであり、これを英語のI, We, She/He/Theyで完璧に置き換えるのは至難の業だろう。
例えば、独特な話し方の一例として挙げられるうる星やつらのラムちゃんの「ウチ」「だっちゃ」という口調は英語版だとどうしてもI、語尾もないものとして訳されており、一人称をその場に応じて変えるキャラクター(らんま1/2のらんまやHUNTER×HUNTERのクラピカ)の一人称も英語版ではすべてIに訳されていた。この大きな違いが非常に面白い点であるのだが、字幕版や吹替版で作品を観ている視聴者はそもそもこの文化の違いに気づかない可能性があるというのが残念な点だと感じる。
また、キャラクターの一人称は役割語として働く場合も多く、そのキャラクターの性格や重要な伏線、ストーリーとも密接にかかわってくることがあるので、そういった際には翻訳家に相当な責任と工夫が期待されるだろう。
英日翻訳のジレンマ
また、逆のパターンで英日翻訳ではIに日本語の一人称を当てはめなければならない。これは例えるならば砂場から貝殻を探し当てるくらい難しいことだと感じる。なぜなら、英語のIはIであり、それ以上でも以下でもないからだ。つまり、答えが存在しないのだ。故に、翻訳家には自己判断が委ねられる。答えこそないが、ここで原作の雰囲気を壊さない一人称をしっかりと分析し、導き出すことが大切だと考える。100%の正解はないが、対象キャラクターの性格や行動特性、喋り方、話すスピード、振る舞いなどから緻密に分析を繰り返していけば、90%納得のいく一人称が見つかるかもしれない。少しでも多くの視聴者に作品を楽しんでもらうため、100%に限りなく近い翻訳を試みるのが字幕翻訳家の役割だと言えよう。
最後に、「ユニークな英日翻訳だ」と話題になっていた作品を紹介したいと思う。原題『Star vs. the Forces of Evil』(日本語題:悪魔バスター スター・バタフライ)である。このアニメのあらすじは魔法界のお姫様が地球に修行に来るというものだが、魔法界のキャラクターと地球のキャラクターの区別が一人称や三人称、語尾をもって行われている。地球のキャラクターの一人称が「私」「僕」、語尾は標準語に統一されているのに対し、魔法界のキャラクターの一人称は「ウチ」「自分」、語尾が「やねん」などの関西弁で統一されているのだ!ちなみに、翻訳家は鈴木明日菜さんだ。なるほど、「関西弁で翻訳してはいけない」というルールもないのでこれもアリだ。
まとめ
上記では答えのない英語のIに日本語を当てはめる難しさや不可能であることを述べたが、これは逆に言えば「翻訳の自由さ」が無限であるということだ。一人称や三人称をある程度自由に決めることも可能で、語尾をあえてユニークにしてみても、日本語特有の表現に訳してみても良い。このことを踏まえると、私たちが作品を面白いと思え、心から楽しめるのは翻訳家の方々の工夫、遊び心、努力あってなのだと改めて実感する。
最近はジェンダーのボーダーレス化が進み、女性だから「私」、「~だわ」という語尾、男性だから「俺」、「~だ」という語尾に疑問を持つ声も大きくなっている。このことから、今後の映像翻訳ではさらに選択肢が増え、自由度も増してくると予想する。文化も人々の考え方も流行語も変わっていく世の中の中で、常に自分の知識を更新しながら人々に最上級のエンタメを届ける翻訳家の見ている景色を私もいつか見てみたいと強く感じた。
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