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本日の一歩🦶日本の福祉の歴史〜6世紀編


これから、日本の福祉の歴史を1世紀ごとに区切りながら眺めていければと考えています。
現代まで、果てしない長さですが、
日本の福祉が仏教の輸入から始まったことを考えると、仏教伝来のあった6世紀まで遡る必要があることは、必然ですね😊✨
一歩一歩🦶まとめてみたいと思います‼️🔥


6世紀前半

仏教伝来

この時代に、中国から仏教が日本に伝わりました。仏教は、人々に慈悲(やさしさ)や施し(あげること)を教えました。
しかし、仏教は当初、日本の国家や社会に受け入れられませんでした。
仏教を信じる人々は迫害されたり、仏像や寺院が破壊されたりしました。

聖徳太子の登場

そんな中で、聖徳太子は、仏教の教えに感動し、仏教を広めるために尽力しました。
聖徳太子は、中国から渡来した僧侶や学者と交流し、仏典や法律などを学びました。
聖徳太子は、日本の国家や社会を仏教の理想に近づけるために、十七条憲法(国のきまりのなかま)を制定しました。

十七条憲法

十七条憲法は、和や忠、恭(うやまい)、義、礼などを重んじるものでした。


6世紀後半

聖徳太子没後は推古天皇

この時代は、聖徳太子が亡くなった後も、仏教は日本で広まりました。
聖徳太子の遺志を継いだ推古天皇は、
仏教を国家の守護とすることを宣言しました。

日本で最初に作られた福祉施設

推古天皇は、四天王寺に四個院(施薬院・悲田院・敬田院・療病院)を建てました。
これらの施設は、病気や怪我をした人に薬や治療を施し、貧しい人や孤児を救うために作られました。
日本で最初に作られた福祉施設と言われています。推古天皇は、自分の財産も施しをすることで、人々から尊敬されました。

6世紀末

鑑真の活躍

この時代は、仏教が日本全土に広がりました。
百済(くだら)から渡来した僧侶・鑑真は、日本で正しい仏教を伝えるために奔走しました。
鑑真は、多くの寺院を建立し、多くの弟子を育てました。
鑑真は、四天王寺にあった四個院(施薬院・悲田院・敬田院・療病院)を改善しました。
鑑真は、四個院に医師や薬師を置き、病気や怪我をした人々に無料で薬や治療を施しました。
鑑真は、四個院に貧しい人や孤児(おやがいない子ども)を収容し、食事や衣服を与えました。
鑑真は、四個院に老人や障害者を収容し、尊厳を保ちました。
鑑真は、四個院に仏教の教えを説き、人々に慈悲や施しを勧めました。

本日の一歩🦶は、ここまで‼️

日本の福祉の始まりは、
聖徳太子や推古天皇、鑑真など、歴史の授業で習ったスーパースターが関わっていたのですね‼️
そして、福祉と仏教とは、深いつながりがあることに気づかされました😊✨
今後も、日本の福祉の歴史を眺めていきたいと思います‼️😆🔥

では、また👋

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