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自分の身体を使っての実験

僕は恐らく性格がひねくれている。

自分で言うのもなんだが、少し変わっているのだと思う。

タイトルにもあるように、全ての事柄をまず自分で実験することを実行している。何故なのかと言われると、正直理由はあまりないのだが、多分答え合わせが好きなんだと思う。

最近やっていることで言えば、このnoteである。予想ではあるが、フォロワーさんを伸ばすための方法や、文章の書き方などにも、定番のようなものもあるのだろうとはわかっている。

読みやすい記事や、多くの方が見てみたいと思うようなタイトルの付け方などもあるだろうとは思っている。このような文章の途中に写真を貼り付けて、想像しやすい物を書く方がいいのかもしれない。

それなのに僕はそれをやらないw

自分でやっていくうちに色々なことが見えてきて、「なるほど、こうすると良いのか!」とか「これが需要があるのか!」等、色々なことが見えてくる。

そうして、ある程度自分の納得がいく所までやった時に、そこで初めてそのことについて勉強をしたり、基礎基本を学んでいくスタイルで今まで生きてきた。

これはnoteに限らず、全てのことで僕は実行しているのだが、自分で考え、良くなるための事を試行錯誤しながらやっていくと、ある程度の成果が出て、それを納得がいった所で、振り返って勉強をしてみたら、自然と基礎基本や大事なポイントを抑えていることがほとんどだ。

知っている人や、わかっている人からすれば、何故そんな遠回りをするのかと思われるだろうが、僕の考え方とすれば

最初のうちに苦しんででも、自分のベースとなるものを作り上げていれば、いつか躓いた時にそのベースがわかるから修正が効きやすいのだ。

人間がやっていることだから故に、必ずどこかでスランプがあったり、悩んだり迷うことが出てくる。

なにより、自分自身が楽しんでその物事に取り組んでいけるという理由が大きい。

応用は基礎があって初めて成り立つもので、その基礎を理解しなければ応用は出来ない。

重要なのは基礎基本が出来ることではなく、その基礎基本の本質を理解すること。

僕はこれで今までやってきた。ある種では、自分の成功体験として深く残っているからやっているだけで、本来は必要ないのかもしれない。

ただ、僕の知っている「成功」をしてきた人というのは、一貫して「何か」を自分の中でやり抜いたことがある人ばかりだ。

そういう意味では、自分もそちら側に近づいているような感覚もあるが、現実はまだまだで、その理想と現実のギャップに苦しめられている。

そのギャップを自分が感じなくなった時、その時は恐ろしいほどの成功者になっているか、あるいはそんな事は不可能なのかもしれない。

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