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技術と精神論

この2つはなかなか答えが出ない。

ある人は、全てを技術でカバーが出来ると言う。

ある人は、精神が研ぎ澄まされればカバー出来ると言う。

本当のプロの中でも多く意見の割れる所で、近年で言えば、年配者ほど精神論に走り、若年者ほど技術に走るイメージがある。

これは恐らく、科学が発達したおかげで、目に見えてどこをどうすれば良い、どのように身体を動かせば良い結果が得られる、というものが証明という形にされたからなのではないかと思う。

メンタルというものは証明が難しく、1人1人で異なる為に、説明がつかないから今は少し蔑ろにされつつあるようにかんじる。

僕は個人的な感覚で、これには順番があるのではないかと思っている。

初めの内は、技術でほとんどのことが乗り切れると思うし、もし失敗やスランプになっても、経験という技術でほとんどのケースでカバー出来ると思う。

しかし本当に行き着いた先には、技術ではカバー出来ない状態に陥ることがある。その時に初めて精神の部分が発動するのではないかと感じる。

ただ、ほとんどのことは技術でカバーが出来るとは思う。

例えば、自分の思う形に身体を動かしたり、思った通りに物事を進めることも、脳からの指令をよどみ無く、身体に伝達するという技術でほぼ全てのことがカバー出来ると確信はしている。

限界ギリギリまで迷い苦しんだときは、それまでの過程で、ちゃんと技術を磨いた人ほど、精神が鍛えられ、過去の経験や積み上げてきたもの全てが糧になり、身体の内なる力が発動されるのではないかと予想している。

だからどちらが正解ということもないと思うが、僕がたどり着いてみたいのは、後者だ。

所謂、無の境地というものなのかもしれないが、これが出来るのはやはり技術がありきだと思う。

まとまりがなくフワッとしてしまったが、やはり技術はもちろんのこと、本質を理解した基礎基本の大事さに気がついたというお話。

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