新鮮な毎日は、ジャネーの法則をも超える。
時間があっという間に過ぎる賃金労働者。
長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれだが、1年の1/3が既に経過していて、2023年は残り8ヶ月であることは紛れもない事実である。
私はまだ4ヶ月しか経過していない感覚で、2024年まで8ヶ月も待たなければならないのかと思えるのは、レールの上の人生から外れて、惰性で賃金労働をしなくなったからだろう。年度末でドロップアウトして、地方移住したため、4月はなかなかに濃密な一ヶ月となった。
ゴールデンウィークに物好きな同級生がわざわざ遊びに来る。定性的にはもの凄く久々に感じるが、定量的に振り返ると、3月中旬に餞別的な意味合いで都内某所で会食したばかりで、実にひと月半しか経過していない。
それくらい、日常が充足している証拠なのだろう。高校を出て鉄道員となり、駅員として一昼夜交代勤務をしている頃が、人生史上最も時間経過の体感速度が早く感じたことを鑑みると、ジャネーの法則に逆行している。
基本的に24時間拘束されるものだから、出勤してから退勤までが途轍もなく長く感じるが、職場で一泊するため、家を出て帰ってくるまでに2日間要している。
そのため、月〜金で通学していた学生の感覚と比べると、通勤回数が1/2になるわけで、感覚としては1年間分通勤した回数で2年経過している具合で、社会に出て人生の時間経過が倍速になった気分で、気持ちはまだ二十歳なのに、新入社員で同い年で大卒の後輩を迎えた時に、体感速度と現実のギャップをまざまざと感じた。
2休だけを頼りに惰性で5勤する危うさ。
その後、日勤がある乗務員になって、多少は改善されると期待したものの、翌日の勤務のためにアルコールを控えたり、お腹の調子を整えるために、ドカ食いしないとか、翌日が出勤日だと、労働時間のパフォーマンスを低下させないために、細々とつまらない非番や休日を過ごす。
世間一般の感覚では、人命を預かるのだから当然と思われるかも知れないが、賃金は日本人の中央値以上、平均値未満と特段高給でもなく、LCCの航空パイロットですら年収で3〜4倍の開きがあるのだから、どう考えても割に合わない。
いくら労働集約型とはいえ、初任給引き上げで話題となったユニクロの半値に毛が生えたレベルで、変則勤務で人命を預かり、社会インフラを最前線で支える責任を負わされるのは、はっきり言って異常である。
そんな状況下だと、翌日が休日の日を楽しみに生きているようなものだった。その休日もコロナ禍で制約が生じ、ストレス過多で助かる確率の方が低かった大病を患ったのだから、早期退職に至るには十分過ぎる理由だった。
業種や職種、環境にもよるが、1週間のうち2日しかない、それもあっという間に過ぎる休日を楽しみに生きるのは、冷静に考えると危険すぎる。
1年間は52週間しかない。裏を返せば週2日の休日のために、5日間を惰性で過ごすサイクルを52回繰り返すだけで、1年が経過することを意味する。
1年で52回程度しか訪れない休日のために、年間の2/3を惰性で過ごしていれば、このあいだ正月を迎えたばっかりなのに、もうゴールデンウィーク、もうお盆休み、もうハロウィン、もうクリスマス…と、あっという間に時間が過ぎていく。
このサイクルを40周前後すると定年を迎え、仕事一筋で打ち込める趣味もなければ、これまで築き上げてきた生きがいとやらを失うに等しく、定年退職以降、平日5日側の感覚で365日惰性で過ごす日々となり、そんな1年を20回ちょっと繰り返すと生涯が終わる。これが、世間一般で良しとされている、サラリーマンとしての生き方である。
付加価値のピンはねが安定の代償。
それが嫌だから、これまでの鉄道員としてのキャリアなど、全部投げ出して、人生の主導権であり、生殺与奪権を自分自身で握れる、個人投資家としての道を歩む覚悟を決めた。
学校教育で9年以上掛けて植え付けられてきた、賃金労働者としての人生を歩む呪縛から抜け出すのは、並大抵のことではない。私もこれまでの生き方が仇となり、大病を患って生死を彷徨う形で入院、手術に至った経験によって呪縛から解放された節はある。
エヴァンゲリオンの綾波レイではないが、1人目の私は鉄道員として死んでおり、現在の私は2人目として記憶やパラメータだけ引き継いで、全く異なる道を歩んでいる感覚である。
そんな早期退職を実行してみて、賃金労働者から抜け出すだけの価値はあると感じたからこそ、こうして記している。
個人投資家なんてリスキーで、実家が太くないと無謀?個人事業で稼ぐ自信もなければ、起業する勇気もない?そう感じたら、学習性無力感のせいで諦めの境地に達していることを疑った方が良い。
何がリスキーだと感じさせるのか。賃金労働者とそれ以外で大きく異なるのは、収入が安定しているか、不安定か。恐らくこれに尽きる。
なぜ定期的かつ安定した収入が欲しいのだろうか?生活が立ち行かなくなることを恐れているからだろう。裏を返すと、毎月決まった額の収入に依存した生活を営んでいる証拠である。
経営学の世界では、経営を安定させるために、固定費用を削減するのが定石とされており、これは日常生活でも応用できる。
毎月、息をしているだけで確実に出ていく費用が、少なければ少ないほど、収入が極端に減少した際に、蓄えを取り崩す額が軽微で済むため、破綻への耐性は強くなる。コロナ禍で廃業しなかった飲食店はこのパターンが多い。
家計も同様で、実家が太い訳でもなく、個人投資家として生計を立てる以上、月の収入は景気で変動するのだから、不況が続く前提で、家賃や水道光熱通信費などの、毎月確実に口座から引き落とされる金額を低廉に済ませれば、預金だけで耐えられる金額は少なく、期間は長くなる。
生活レベルを引き上げず、固定費用を安く済ませる工夫によって、サラリーマンが想像するよりも、自活するリスクは抑えられると、安定だけを理由に自らが生み出した付加価値が、1/3以下にピンハネされる賃金労働者として甘んじる必要もなくなる。
これまで多大な重責を、生活保護に毛が生えた賃金で背負わされていた身としては、全てが自己責任で成果を独り占めできる(厳密には税金で2割召し上げられるが…)個人投資家として生きた方が、裁量しかない分、工夫次第で毎日が新鮮かつ充足したものになる。
何もせず、時間だけがあっという間に過ぎ去ることは無くなった。新鮮な毎日は、ジャネーの法則をも超えるのである。
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