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日本人の金融リテラシーについて。

高校生の金融教育義務化。

 2022年4月から、成人年齢引き下げと、それに伴う高等教育での金融教育の義務化が始まった。

 家庭科の一部に組み込まれる形となり賛否両論だが、そもそも論、各家庭に委ねていた子供への金融教育が、大人の金融リテラシー低さ故に一部の上流階級でしか機能しておらず、貧富の格差がより一層広まって現代に至っているのが現状である。

 各家庭で保護者が、特に貧困層は子供に直接教えることができない金融知識を、学校で教えて貰おうと言った魂胆が見え隠れしているが、教える側も正しい金融知識があるのか正直言って怪しい。

 教職員は一般的に民間企業での就業経験に乏しい印象が強いことや、公務員特有の事なかれ主義や責任回避型の思考から、表面上の当たり障りのないような内容となり、学んだ気になって大丈夫だと、過信に陥って新成人を迎える若者が出てくるのではないかと、一抹の不安を感じずにはいられない。

今までお金について、どれほど考え、学んできたか。

 以前にも記しているが、勉強ができることと、お金を上手に扱えることは別問題である。

 有名大学を出て高給な専門職に就いても、日々の資金繰りに苦労している人も居れば、私のように工業科の高校を卒業後、薄給かつ単純作業、代わりはいくらでもいる現業職に就いても、20代で金融資産保有額の平均を大きく押し上げる側に位置して、毎年数十万円単位の不労所得を得られている人も、絶滅危惧種並みの遭遇率ではあるものの存在している。

 この違いは、今までどれだけお金について逃げずに考え、行動してきたのかの差でしかなく、学校成績とは無関係であり、仮に高等教育で正しい金融知識を学んだとしても、それを実社会で生かせるのかも別問題である。

 お金持ちの家庭では、親から子へ金融リテラシーのイロハを徹底的に叩き込まれているから、お金持ちの座に居続けることが出来るのであって、家庭科教諭が教えられる表面上の金融教育で、現在注目されているだけの、劇的な変化が望めるとは思えない。結局、本人がどれほど真剣にお金と向き合えるかの世界で、それ以上でもそれ以下でもないのが持論である。

 因みに鉄道業界では、師匠から弟子へ鉄道知識のクモハを徹底的に叩き込まれるが、鉄道員で居続けられるかどうかは、身体の頑丈さが物を言う、残酷極まりない世界である。

金融リテラシーが低い国民性。

 2016年に世界規模で金融リテラシー調査が実施され、日本人の禁輸リテラシーの低さが話題となったのは記憶に新しい。しかし、なぜ日本人の金融リテラシーが低いのかまで、深掘りして考える人はあまりいない。ここから先は私が考える仮定の話である。

 バブル期を経験している世代だと、女性のクリスマスケーキ理論が当たり前のように使われていたらしい。つまり26歳は売れ残りであると。平成不況後に生まれている私からすれば、今では考えられないトンデモ理論である。

 そんな刷り込みもあってか、ミレニアル(Y)世代の場合、両親は1970年以前に生まれている割合が高い。1970年辺りまでの世代は、高卒時はバブル絶頂期で引く手数多なのに対して、大卒時はバブル崩壊後で就職氷河期と言う、昨今の高学歴社会では考えられない程度に高学歴が報われなかった時期である。

 裏を返すと、高卒で良い企業に就職して、終身雇用、年功序列の恩恵を受けられる最後の世代が、ミレニアル(Y)世代の親世代とも言える。世代でキレイに区切れるわけではないが、感覚として子供がY世代の家庭は専業主婦が多数派、Z世代以降は共働きが多数派な印象がある。

 だからこそ、最初の会社にぶら下がり続ける限り、家計の資金繰りに困窮するような事態にはならず、金融リテラシーの低さは大した問題にならなかった。お金に困らなければ、真剣に考える必要もないから、一般家庭の子供はお金に関して両親から学ぶことはない。学べるのは上流階級なお金持ち家庭だけである。

 そんなお金に無頓着な親の背中を見て育ったミレニアル(Y)世代が、安易な気持ちで奨学金という名の借金を借りて人生の夏休みと揶揄される大学生活を満喫し、平均288万円の奨学金を背負って社会に出るようになって、そのうちの9%は延滞しているのが現実である。

 資金繰りに困ったら安易にカードローンやリボ払いに手を出し、気付かないうちにお金が金利で消えている。奨学金を完済し、ある程度の貯蓄ができるようになり、家庭を考える頃には30歳を過ぎていて、晩婚化や少子化が更に加速している現状が、同世代のマジョリティとなっている。これでは金融リテラシーが低くて当然である。

お金感、踏襲するか、反面教師か。

 私は共働き家庭で育ち、母が資金繰りに苦労している様子を子供には悟られないようにしていたらしいが、幼いながらに感じていた。

 それでも、貧しい思いをさせたくなかったらしく、欲しいものは何でも買ってあげると言われていたが、私は無駄遣いだと思うような、レジ前のお菓子や自動販売機の飲料水などには手を出さなかった。だから今でも霞を食ってる仙人みたいな、質素倹約に努める生活が呼吸する感覚でできている。

 しかし、相対的に金融リテラシーが高くなった今では、恐らく営業マンに言われるがまま契約した割高な生命保険や、中途半端な学資保険。利率の高い固定金利で35年ローンを組んで購入した、子供が巣立って夫婦で住むにはオーバースペックな住宅。維持費の高い普通車と、無知故に人生の大きな買い物において搾取されている感が否めず、残念ながら母が10円安い卵を買うために別のスーパーに寄ったり、私がジュース1本を我慢したところで、事態が好転するような家計ではなかったのである。

 財布に大きな穴がいくつも開いていたのだから、夫婦共働きで毎月せっせと財布に給料が入ったところで、財布にお金が溜まるわけがない。だから私は反面教師として、財布に極力穴を開けない生計をしてきて、東京23区で家賃込み月6万円まで生活費を最適化することができた。

 本田健さんの本の中にも、下記のように記されている。

"お金のカウンセリングをたくさんやってきて、面白いことがわかってきました。私たちのほとんどが、お金との付き合い方を、両親、祖父母から学び、彼らに深く影響されて生きていると言うことです。
あなたは、お金に対して、細かい方ですか?
それとも、お金に対して、ルーズでしょうか?
あなたは、彼らのお金との付き合い方を小さい頃から見てきて、それをそのまま踏襲しているか、反発して全く正反対になってしまったかのどちらかの可能性が大です。彼らを反面教師として、自分のお金感をしっかり独自で身に付けている人は、人口の数%しかいないのではないかと思います。"

幸せな経済自由人の金銭哲学|本田健

 周囲にいる大人の金融リテラシーが低くても、家庭科の授業で実用的な知識が学べなくても、お金について真剣に考えて、独自のお金感を身につけられれば、世代の上位数%に食い込めるだけの金融資産を保有できる可能性は十分ある。

 毎度の主張ではあるが、金融リテラシーを高めるには、真剣に学ぶためのきっかけとして、少額で良いから身銭を切って投資して、正しい知識を経験と共に積み上げていくのが、地道ではあるものの最短経路だと感じる。お金に関してはいつ学んでも早すぎることはないのだから。

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