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お金持ちは、孤独との闘い。

 お金持ちに憧れる人はごまんといるが、実際にゼロからお金持ちになろうとする過程は孤独との闘いとなる可能性が高いことは意外に知られていない。それだけ皆、途中で挫折して、きっと人並みの人生を歩んでいるのだろう。


お金持ちの定義

 まず、前提として、お金持ちの定義は、トマス・J・スタンリーさんが唱える期待資産額を参考に、年齢×年収÷10を超えていることとする。

 一律で純金融資産5,000万円以上の準富裕層がお金持ちとした方が、数字でハッキリと分かりやすくウケが良い。

 しかし、これでは、退職金を受け取った公務員共働き世帯や宝くじの高額当選者など、仮にお金に関して無頓着であっても、偶然にお金持ちとなった人がカウントされてしまう。

 それに、今は1,000万円程度の資産だが、投資に積極的で将来有望な将来のお金持ち候補となる若年層を見落としがちである。だから、年齢や収入に応じて変化する指標の方が好ましいと考える。

初っ端から何やら面倒なことが記されている…

 そう思った方は、一般的な感性をお持ちだと思う。普通に生きていれば、お金について考える機会なんてそうそうないから、至極当然だと思う。

 しかし、上記の定義に当てはまるお金持ちは、常日頃からお金のことを真剣に考えているからこそ、一般とは異なる感性を持ち合わせて、お金を上手に扱っている。

 本田健さんの本にも、下記のような内容がある。

幸せな小金持ちの世界は閉ざされた独立国の様なもの。同じ幸せで成功している金持ちとしか付き合わない。普通の人はまず会うことはない。電車は乗らない。レストランは個室。飛行機も待合室は違う。”

幸せな小金持ちへの8つのステップ|本田健

普通の人は、幸せな小金持ちにまず会うことはない

 初めて読んだ時、閉ざされた独立国という表現に衝撃を受けたが、今なら何となく理解できる。不思議なことに同じ地球に住んでいる筈なのに、普通の人とお金持ちとでは住んでいる世界が違い、交わることがないのである。

空白地帯と孤独

 ここからは私の持論になるが、普通の人と、お金持ちの世界がなぜ全く交わることがないのかと言うと、その間が空白地帯となっているからだと考える。これが表題に記した孤独との闘いなのである。恐らく私も現在この空白地帯を彷徨っている。

お金について真剣に考え、学び、実行するほど、周りと価値観が合わなくなる

 となりの億万長者に記されている7つの法則にも、それを裏付ける内容がある。

”1.彼らは、収入よりはるかに低い支出で生活する
”2.彼らは、資産形成のために、時間、エネルギー、金を効率よく配分している
”3.彼らは、お金の心配をしないで済むことの方が、世間体を取り繕うよりもずっと大切だと考える

となりの億万長者|トマス・J・スタンリー (著)
ウィリアム・D・ダンコ (著)
斎藤 聖美 (翻訳)

収入よりはるかに低い支出で生活する

 これが容易ではないことは、支出の額は収入の額まで膨張する、パーキンソンの法則が記す通りで、かなりの自制心を必要とする

 普通に生きていたらトラップが山ほどあり、それらを全部とは言わなくても、そのほとんどを回避し続けなければ、蓄財のスタートラインには辿り着けないのは、単身世帯の貯蓄額(中央値)が100万円に満たない統計からも伺える。

 不動産屋で賃貸契約をする時に、知識がないとカモにされて、当たり前のようにぼったくられる。

 電気やガスも言われるがままに契約すると割高で、自分で最適な契約を探して変更しなければならない。

 携帯電話も店頭で契約すれば、割高なプランを勧められるし、社会人になると、保険の営業マンが割高で必要ない保険をしつこく勧誘してくる。

 これら全てを受容せずに、自分に最適なものを吟味してから契約するのは、考えるだけでも面倒臭い。だから、普通の人は流されて相手に言われるがまま搾取されてしまう。しかし、お金持ちになる素質のある人は、たとえ面倒でもひとつひとつ真剣に向き合っている。

お金持ちがケチは偏った考え

 お金持ちは、価値を感じないものには一銭たりとも払いたくないが、価値があると感じるものには惜しみなくお金を使う。価値を感じないものにお金を支払いたくないのが本音なのは事実だが、その部分だけ切り取ると本質を見失う。

資産形成のために、時間、労力、金銭を効率よく配分している

 一般的なお金持ちの印象は、親が金持ちか、一発当てた運の良い人だと思われがちだ。しかし、ゼロスタートから一代で富を築くお金持ちは、時間、労力、金銭の全てをフル活用していることが多いように感じる。

資産形成の方程式

(収入-支出)+(純資産×運用利回り)

 純資産ゼロでスタートした場合、運用利回りがどれだけ高くてもゼロになる。だから、まずは時間と労力をかけて収入を得る。方程式の4つの要素で唯一コントロール可能な支出に関しても、収入と同様に時間と労力をかけて質素倹約に努める。収入と支出の差額を種銭に、自己投資と金融投資の双方をバランスよく行うことで、所得を増やしながら、複利の力で金融資産も増やしていくと言った具合だ。

 だから、無駄な付き合いはしないし、必要以上に周囲と群れることもない。普通の人からすれば付き合いの悪い奴と思われているのかも知れない。

 とはいえ、新しく得られるものがない、いつもの宴会に時間、労力、金銭を使う位なら、読書などの自己投資をした方が、将来的なリターンが見込めると判断して、うまいこと断った方が、長い人生で考えればプラスではないだろうか。

 そうやって一時的には孤独になり、空白地帯を彷徨うが、同志と出会うことで独立国に辿り着き、最終的に普通の人とは交わらなくなるのだろう。

世間体よりもお金の心配をしないことの方が重要

 この一文だけだと、世間体を気にしない人にお金持ちの素質があると思われがちだが、実はそんなに単純な話ではない。

真のお金持ちは普通の人を装う

 なぜなら、一人勝ちが許されない日本の村社会において、不用意に嫉妬を買うことは、自殺行為そのものであることを心得ているからである。

 そのため、ここで定義したお金持ちは、相手に心を許すまでは秘密主義者である割合が高く、お金持ちであることを悟られないために、あえて平凡な身なりを繕ってカモフラージュしている。一周まわって世間体を取り繕わなくなったパターンの隠れお金持ちの方が感覚では多いように感じる。

 つまり、身なりでお金持ちアピールをする人は、アラブの石油王のように桁違いの資産により、お金持ち感が滲み出てしまっているパターンも確かに存在するが、こちらはごく僅かで、ほとんどは成金だと考える。

 後者は、自身の承認欲求を満たすためにお金を使っているが、周りに寄ってくる人は、損得勘定で生きているお金目当てな人か、詐欺師が大半だ。そう言う人たちはお金がなくなると、一目散に逃げ出して本当に助けてほしい時には居なくなってしまう。

 真のお金持ちマインドを持つ人は、お金を持っているが故に、お金では買えない何かに価値を見出す傾向がある。健康、知識、経験、人間関係などが典型例だ。

 それ故に、お金持ちがパートナーに選ぶ人は、お金持ちになる前から支えてくれた人か、同じお金持ちかに二分されるのは、他の事由では、お金目当てで寄って来ていない(=自分のことを内面で選んでいる)ことに確信を持てないからではないだろうか。

 一代で富を築き上げるお金持ちは、必要以上に周囲とは群れず、自分を信じて孤独と闘い、空白地帯を彷徨いながら成長して、実力で独立国に辿り着いているのだと思う。お金持ちに嫉妬するのは簡単だが、果たしてその領域に辿り着くまで孤独と闘えるだけの覚悟はあるだろうか。


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