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完璧主義は日本人の良くない所業だ


完全無欠な人間など居ない

 先日、日本を代表する企業の会長の発言に対して「とっとと出ていけ」とSNS上に書き込まれていた件や、日本を代表する未成年スポーツ選手の飲酒、喫煙騒動に起因する五輪出場辞退が賛否両論となっている件など、日本人の完璧主義がエスカレートしたが故の、成れの果て感が出ていて、この多様性の時代に画一性を求める人間の多さを実感する。無論、無意識な分、余計にタチが悪い。

 日本を代表する人間なのだから、皆の規範や模範となるような聖人君子であって然るべき的な”べき論”により、猫も杓子も品行方正さが求められるのは、息が詰まるような世の中に拍車を掛け、誰もが生きづらさを感じる社会にしているように思えてならない。

 何かを代表するような機会に恵まれなかったパンピーの、僻みとも捉えられるが、仮にその場ではスッキリしたとしても、完璧主義の空気感が醸成されることで、周り回って自分達の首を絞めることにつながる。

 その末路が、救急隊員や消防隊員が休憩でコンビニを利用してクレーム。バスや鉄道の運転士が乗務中に水分補給をしてクレーム。休憩中のサービスエリアでカレーを食べてもクレーム。みたいな、あらゆる労働がクソ化する要因でしょうに。と思うのは私だけではないはずだ。

 そもそも、お客様は神様だと抜かす客が一定数居るが、もし本当に神様なら、崇拝される存在である以上、いわゆる”デキた人”の比ではないくらい完全無欠であり、些細なことでクレームを入れる時点で、疫病神以外の何者でもない。

 世の中に完全無欠な人間など居ない以上、この部分はあの人から学べる。あの部分はこの人から学べる。と言った具合に、良いところを掻い摘んで、いいとこ取りをすれば良い。この人からは何も学べないと思っても、反面教師としての学びはある筈だ。

良い所だけつまみ食い、日本人の得意技?

 日本人の楽しい行事だけつまみ食いする宗教観は、世界中を見ても稀有な例で、クリスマス(キリスト教)を祝った翌週には、神社や仏閣で初詣。結婚式の多くは神道だが、葬式は仏教…みたいなことに慣れている筈である。

 だからこそ、人間関係に関しても、ひとりの人間を盲信するのではなく、良い所だけを都合よくつまみ食いすれば、大企業会長の発言や、スポーツ選手の素行の悪さに起因する五輪出場辞退騒動など、そこに目くじらを立てた所で、自身の生活には何ら影響しないのだから、どうでも良い茶番だと思える筈である。

 著名人の不倫騒動なども典型例だが、別に法的に罰則がある訳でもなければ、多くの場合、著名人が不倫したところで、自分自身が被害を被ることは皆無なのだから、まぁ欲望に忠実だと、そういうこともあるよね〜くらいの生ぬるい温度感で忘却の彼方に葬っては、変わらぬ日常を謳歌すれば良いだけの話ではないだろうか。

 世界中の人が崇拝する宗教には、いい加減な一方で、仕事や対人に関しては完璧主義を求める。別に特定の宗教を礼賛する意図はないが、グローバルスタンダードを意識すると、拘る部分が逆ではないだろうか。

他人を100%信用するのは危ない

 かくいう私も、かつては鉄道員として、出勤時間が毎回1分単位で異なり、秒刻みでの定時運行と、駅の停止目標に誤差2m以内で停車させる、日本の完璧主義の権化とも言える職種に就いていた。

 そんな、国交相のフォーマットを元に、会社が規定したマニュアルを完璧に覚えて、それを正確に再現しなければならない軍隊じみた環境に身を置いていると、たとえ規則が時代にそぐわなくとも絶対的。上長の指示も絶対的という雰囲気が醸成される。私は軍人になるつもりで電鉄会社に入った覚えはない。

 規則と現場運用が乖離するなら、正式な変更の手続きを踏んで、規則を変えても良い筈だが、そういう発想に至らないのは、何事もなく定年を迎えたいサラリーマン社長という、組織を束ねる筈のトップが保身に走った結果、事なかれ主義と、検討に検討を重ねた末に判断の先送りが、組織内で蔓延するからだろう。

 これでは、後世の若手は負の遺産という名の十字架を背負わされて、ますます苦しくなっていくのは明白で、そんなサラリーマン社長を盲信しても、ロクなことにならないだろう。要するに、他人を100%信用するのは危ないということだ。

 典型例として、かつての国鉄は分割民営化し、それぞれを独立採算で運営させることで、分割させた小集団それぞれに、裁量と責任を持たせるアメーバ経営に移行した。

 そして、バブル崩壊以降、平成不況の煽りを受け、民鉄との競合路線を多く抱えるJR西日本では、民鉄の利用者を奪うためにスピード狂と化して、せっかちな関西人(ステレオタイプ全開でスンマセン)の心をガッチリ掴んだ。

 しかし、それは上層部が「余裕時分の全廃」を掲げ、運行ダイヤから遅延を回復させるための冗長性を排除していき、もし遅延を生じさせた乗務員にはペナルティを科す形での、恐怖政治体質を行ったことで速達化したに過ぎず、その綱渡りを踏み外した23歳の運転士が担当した列車は、JR史上最悪となる死傷者を出す事故へと発展した。

 アメーバ経営の教祖と言っても過言ではない稲盛和夫氏は、生前に「集団を率いていくには、結局、人の心を頼りにする以上に確かなものはない」と、”人の心”を重要視していたが、本人の言葉を借りれば、「非常に移ろいやすいのも人の心」であり、人の心に委ねた結果、JR西日本では大惨事が起きた。

 歴史を振り返れば、たったの100年前まで「天皇陛下万歳」、「本土決戦」、「一億玉砕」と謳っていたのに、翌年の終戦を境に「マッカーサー(アメリカ様)万歳」、「平和憲法」、「民主主義」と手のひらを返した。私の曽祖父の時代の話だと思うと、そこまで遠い昔話ではないとつくづく思い知らされる。

 そんな過去を踏まえると、私は性悪説を前提に「非常に移ろいやすいのも人の心」を忘れず、完全無欠な人間など居ない。他人を100%信用するのは危ない。と考え、他人から学びになる部分だけをつまみ食いする、”ご都合つぎはぎ野郎”として、広い視野で物事を判断できる人間でありたい。


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