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大自然ヨルダンとsensitiveな地域イスラエルにいってきた

三浦です。

昨今の卒業旅行シーズンにあやかり5泊8日でヨルダンとイスラエルに旅行に行ってきたのでそのことについて書きます。特にイスラエルは宗教上、そして歴史上かなり込み入った事情のある国なので生半可な知識ではその全てを語り切ることは到底不可能なのですが、今回の旅行でについて書いて行きたいと思います。中高時代に習った世界史の知識と現地の方のお話を頑張ってつなぎ合わせて書きますが間違ってたらすみません。

ヨルダン

ヨルダン・ハシミテ王国、通称ヨルダンは、中東・西アジアに位置する立憲君主制国家である。首都はアンマン。イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと隣接する。イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が国境である。
国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。(wiki引用)

ヨルダンはイスラエルの東側に位置する国でアラブ人が国民の大半を占めています。歴史としては紀元前にナバテア人が生活していたところをローマ帝国が占領、その後イスラム帝国の支配下に入り以降アラブ人が台頭していきました。そのためペトラ遺跡(ヨルダンの代表的な遺跡でインディジョーンズのロケ地としても使われたそうです)のような紀元前に作られた建造物は割とキリスト教チックでしたが、街中はモスク一色でした。ちょっとだけカトリック的なものもありました。毎日5回はコーランがそこら中のミナレット(スピーカーみたいなものです)から流れてくるのですげぇ…って感じです。朝4時でも平気で流れてくるので生活リズムどうなってんだって感じでした。ホテルにいても大音量で聞こえてきます。ちなみに石油はそこまで取れないらしく、中東の中では割と貧しい国に当たるそうです。

写真はヨルダンの街中の風景です。周りは住宅街で、中心部にはローマ帝国時代に使われていた劇場などがあります。当時の国王の圧政から目を背けさせるために市民の息抜きをさせていたそうです。今も昔も変わらんすね。

いろいろな所に行きましたがやはり圧巻はペトラ遺跡です。中東といえばと言わんばかりの広大な岩砂漠、掘れば出てくる遺跡。日本のような山脈地帯では滅多にお目にかかれない地平線を見ることもできました。もしヨルダンに行く機会があればペトラ遺跡は絶対に行って欲しいと思います。入園料が7000円弱とディズニー級ですが、それに匹敵する面白さがあります。夜にはキャンドルナイトがあり民族の音楽を聴くこともできます。観光客が多いとマナーが悪い人も何人かいるのでいまいちでした。

次に死海です。死海はイスラエルとヨルダンの国境に位置する湖で、塩分濃度約30%と魚が住めない水なので死海と呼ばれています。ただ、植物プランクトンなどの微生物は生息しているそうです。標高は海抜-418mと地表で最も低い所に位置しています。体が浮くという話が本当なのか試すために気温15℃前後と海水浴には極寒の中入ってきましたがびっくりするほど浮きました。またミネラル豊富な水質を生かした泥パックが有名だったので全身泥パックしてきました。本当に寒かったので行くなら初夏の暑すぎない時がベストだと思います。

ヨルダンはイスラエルと比べると宗教的にはグレーなところが少ないのでそこまで一触即発といった感じではありませんでした。しっかりしたアラブ国家といった感じです。

イスラエル

イスラエル国、通称イスラエルは、中東のパレスチナに位置する国家。北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。地中海および紅海にも面している。首都はエルサレムであると主張しているが、国際連合などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている(エルサレム#首都問題を参照)。(wiki引用)

イスラエルの国民構成はユダヤ人が約7割(そのうち敬虔なユダヤ人が2~3割で残りはマイルドなユダヤ教徒)、アラブ人が約2割、その他が1割となっています。民族、宗教、国籍など入り混じっているのでとても分かりにくいですが簡単にまとめると、

ユダヤ人:母親がユダヤ人であるか、ユダヤ教徒
アラブ人:アラビア語を話す人たち(mustではないがほぼイスラム教徒)
その他:東方正教会やアルメニア正教会といったキリスト教徒が多い

となっており、イスラエルには3つの宗教(ユダヤ、イスラム、キリスト)、2つの人種と言語(ユダヤ:ヘブライ、アラブ:アラビア)、1つの国籍(イスラエル)が同居している状態になっています。第一次世界大戦時にイギリスが行なった三枚舌外交の影響でユダヤ人とアラブ人が今でも国の主権を争っている状態で中東戦争が何度も起こっており、アラブ人はパレスチナ自治国家を設立してユダヤ人と対立しています。ただ現地の人はイギリス人に対して反感的な感情を抱くことはほとんどないそうです。

なぜここまでこの土地にこだわるかというと、イスラエルという土地が各民族にとってとても重要な位置を占めるからです。ユダヤ人にとってはかつての先祖が紀元前から暮らしてきた由緒ある土地であり、ローマ帝国やオスマン帝国によって世界各国に散り散りになっても必ず守り通したい場所になっています。一方でアラブ人はオスマン帝国による支配以降長年にわたってイスラエルを支配してきました。実際アラブ人が多く住んでいたのに、いきなりユダヤ人が「ここは昔俺の土地だったんだ返せ」と言わんばかりに乗り込んできても困るといった感じでしょうか。またエルサレムにはユダヤ教にとってもイスラム教にとっても大きな意味を持つ岩のドームがあり簡単に手放せる場所でもないのだそうです。ユダヤ人の中にも超保守的な人とアラブ人擁護派で意見が分かれており、保守派層としては1㎠たりともイスラエルの土地をアラブ人に渡すつもりはないくらいだそうです。とっても難しいですね。

別話ですが、イスラエルは世界一入国が厳しいと言われています。ヨルダン側から入るときも入念な荷物スキャンと、敵対する勢力に自分と同じ苗字(僕だったらMiuraですね)がいないかなど調べられます。長いと半日~3日待たされることもあるそうです。今回は2時間程度で抜けられました。

最初はユダヤ人にとってとても大きな意味を持つマサダ要塞に行きました。かつてのユダヤ戦争でローマ帝国が侵攻してきた時に籠城し、敗北が目前になるや女性と子供を残して全員が集団自決するといったユダヤ人の誇りが垣間見える聖地になっています。みんなに辛い思いをさせないよう何人かが直接手を下す役割を担い残った7人が自決したそうです。僕はかっこいいと思いました。(このストーリーが本当に正しいかは諸説あります)

要塞と呼ぶにふさわしい断崖絶壁と広大な砂漠、圧巻です。
その後キリスト教徒の沐浴場クサルアルヤフードとパレスチナ自治区側の領地で世界最古の都市エリコに行きました。ユダヤ人の土地と比べると比較的貧しい家々が多くイスラエルの中なのに分離が大きいことを強く感じました。

エルサレム中心部は塀で囲まれた旧市街と新市街に分けられます。今回は旧市街を中心に散策したのですが、数年に一度の大嵐に当てられてかなり大変な観光になりました。地元の人にとっては恵みの雨らしいですが観光客にとってはたまったもんじゃないです。

旧市街の岩のドーム、観光客はそもそも旧市街に入れる時間も決まっており岩のドームには入ることもできません。それくらい聖なる場所になっています。現地の人曰く、この近くでほんの1つ事件が起これば中東戦争待った無しくらいの緊張状態だそうです。警察も全員銃を所持しており物々しい雰囲気が立ち込めていました。

その後キリストが十字架を背負って歩いた道、ヴィアドロローサを歩きました。写真撮影用に十字架が置いてあったので持ってみましたが大きいですね…、これは木製なのでそこまで重くなかったですが実際は石とかでしたでしょうし相当大変だと思われます。その時は雨が降っていなかったと信じたいです。

ヴィアドロローサ途中の教会を訪問した後、ユダヤ人の聖地嘆きの壁に行きました。豪雨のため現地の方はほとんどいませんでしたが、それでも何人かの方は壁に頭をつけて祈りを捧げていました。敬虔なユダヤ教徒は頭にキッパと呼ばれる小さい帽子のようなものを被っていたり立派な髭を生やしていたりするのですぐにわかります。服装も白黒のみです。

その後キリストが裁かれる前に訪れたオリーブ山に登りエルサレムを外から眺めてきました。塀で囲まれているのが旧市街です。

右下にちょっと見えるのがユダヤ人の墓地になります。ユダヤ教では蘇りが信じられているため基本的に土葬されるのですが、敬虔なユダヤ人はオリーブ山でエルサレム側に足を向けて葬られるそうです。これはいつか蘇った時にそのままエルサレムに向かえるようにという考え方だそうで、ユダヤ教徒の強い執念がここからも伺えました。

自分の専門分野でもあるので、イスラエルでのSNSの扱いなどを聞いたところ政府が介入しているわけではなく各宗教の神官に当たる人たちが情報統制を行い女性の裸体や信義に反する映像などを制限しているそうです。スマホの普及率はかなり高そうでしたが自由な情報を得られているわけではないみたいですね…思想が歪まなければ良いのですがちょっと心配になりました。ただ自分で見ようとすれば見られるらしいのでそこまで深刻な問題ではないみたいです。

とりあえずざっと行ったところを書きましたがかなり盛りだくさんでなかなか語りきれないです。次は中東のシリコンバレーと呼ばれるテルアビブの方にも行ってみたいですね。

全体を通して

・人は優しくかなり親日的、ヨーロッパ中心部の方がよほど治安悪い
・特にレストランは全ての宗教に対応しなければならないので、豚肉は厳禁、ほぼ豆野菜鶏肉たまに羊肉。バリエーションが少ないので1週間はちょっとしんどい
・物価は同じくらい、観光地プライスでもそんなに高くない
・アラビア語にちょっと慣れてくる、書けたら楽しそう
・観光地ならほぼ米ドルが使えるので現地通貨に両替する必要がない(ヨルダンはJD(ヨルダンディナール)、イスラエルはILS(新シェケル))、カードはほぼ使える

ここまで宗教色、政治色が強い国家は初めて行ったのですが日本人とは全く異なる生き方をしている人ばかりだったのでかなり刺激になりました。

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