謹賀新年2024

あけましておめでとうございます。

人間は論理を知覚できる

人間は、論理を知覚できない。思考することはできるが、その存在を感覚として得ているわけではない。結果どうなるかというと、思考はどうしても単純な様式となり、思考途中で雲散霧消する。

しかしながら、これは工夫で解決できることである。演繹法や帰納法という考え方は、紙に書くことで知覚し、感覚的な理解が可能である。文章で書くことも、図示することもできる。

しかしながら、このやり方には制限がある。多くの条件を扱う場合、煩雑となり結局感覚的な理解が難しくなる。これを解決するためには、情報を整頓し、表やデータベース化して、その条件付けや操作を論理で記述し、その性質を言葉と図で表現するのがよさそうである。

かくして、人間の思考は脳で行うのみでは限界があり、それを知覚できる形とする作業でより高度な思考が可能である、という結論に至る。では、結局のところ感覚が人間のインプットとして重要であるということになる。

論理においてデザインは核心的要素だ

この感覚の部分を補強するためには、体験が必要だ。すなわちアート、読書、人と会う、自然に接するなどの行動によって世界にどのような事象があるかを多く学ぶことで、感覚は研ぎ澄まされる。

感覚については、つぎにデザインというものが必要になってくる。感覚というのはどうしても個人差があるので、適切なインプットを他者に提供するにはデザインの質が求められる。さらに、適切なデザインは他者からのアウトプットを得ることにおいても効果を最大化する。

このような過程を充実させることで、人間は他者からの情報を集め、論理の精度を高めることを自走させたり、新しい知見を得ていくことができるようになる。

引き算して無に近づけば輪郭がみえる

自分は人間であるので、感覚は体調や周囲の環境に左右される。また、人間には生存のための自動的な思考と感情があり、これらは思考においてノイズを加えてくることが多々ある。

これをなくすということは人間でなくなることのように思うが、自分はどこまでいっても人間であり、機械になることはできない。できることは、引き算をしていき、自分を無に近づけることでノイズを取り払っていくことだけだ。

ノイズになるのは、不必要な感情の動き、自動的な思考であるため、これを取り除くためには存在を知覚する必要がある。これを行うために、自分の生理的挙動にフォーカスして知覚していく。そのためには座禅は一定の効果があるように思う。

思考モデルとしての自分を磨きたい

以上が昨年自分が得たものであり、本年はその前提からさらに一歩進み、自分の中に思考モデルを構築し、それを磨いていきたいと思う。まだまだ長い道のりと思うが、今年も多くの挑戦と学びを通じて成長していきたい。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?