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ネットと愛国 安田浩一

韓流ドラマにドハマリしているのだが、関連して北朝鮮や韓国、在日韓国人・朝鮮人について学んでみようと思い、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」について書いてある、安田浩一著の『ネットと愛国』を読んでみた。2011年出版のやや古いルポだし在特会は桜井誠氏が代表でなくなってから目立った活動をしていないように思えたが、つい先日、那珂市議会議員選挙にて日本第一党の原田陽子氏が当選したし、2020年東京都知事選挙に桜井氏も立候補するということで、改めて勉強してみようと思う。

本書は在特会のメンバーやその家族へのインタビューを主なものとしている。基本的に著者は在特会の活動には反対しているが、自身の寂しさや昔参加した左翼活動の虚しさから、自分も若い時であったら在特会に参加していたかもしれないと考える(自分はカッとなりやすいとよく述べられてあり、彼の発言からも十分に在特会で活動できるような気がする)。ここらへんはちと悪の陳腐さチックな考察のようにも思える。

社会運動は勢いで広がるもので、「守り」よりも「変革」を希求する側の味方をする。現在の左翼は人権を守れ、平和を守れと「守り」一辺倒で、左翼が保守で保守が革新という逆転現象が起きていると著者は述べる。ネットの上では左=優等生、右=破壊力。正論を言う左翼には権威主義を、右には魅力を感じる。したがって、在特会(あるいはネトウヨ)の活動は変革を希求する権威主義への挑戦なのだという。

「だいたい、左翼なんて、みんな社会のエリートじゃないですか。かつての全共闘運動だって、エリートの運動にすぎませんよ。あの時代、大学生ってだけで特権階級ですよ。差別だ何だと我々に突っかかってくる労働組合なんかも十分にエリート。あんなに恵まれている人たちはいない。そして言うまでもなくマスコミもね。そんなエリートたちが在日を庇護してきた。だから彼らは在日特権には目もくれない」
ここで「階級闘争」なる言葉が飛び出してくるとは予想もしなかったが、言わんとすることはわかる。つまり彼らは自らがメインストリームにいないことを自覚しているのだ。自分たちを非エリートと位置づけることで、特権者たる者たちへの復讐を試みているようにも思える。

在特メンバーの特徴としてよく「活字が苦手で情報源はもっぱらネット」というのが出てくる。この点、社会学者の樋口直人さんは論文の中で、メンバーのなかにホワイトカラー層も多いことから、階層の低い者の不安が排外主義運動を生み出したのではないと主張しているらしい。桜井氏や原田氏は高卒だが、現在代表を勤める八木氏は東大院卒。なかなか一筋縄で「階級層の低いものの運動」とは言い切れなさそうだ。

ただ、在特会を非難している右翼・保守派の言論で、例えば「在特会には思想がない」「本来の保守が昆布だしなら、在特会は化学調味料」などに権威的なものを感じざるを得ない。そこからも、在特会あるいはネット右翼の(従来の右翼・保守をも対象とする)「権威への反発・抵抗」というスタンスはよく理解できる。また、学者は旧来的な議論に慣れていても、ネット言論の大衆的な舞台を見下したため、ネット空間では大衆的で直情的な右派言論が主流を形成していく。

私が接した幾多の在特会員やネット右翼の顔が、岡本の優しい表情に重なった。もっともらしい理屈を口にしながら、それでも彼らは、おそらく「何か」を抱えているのだ。絆を求め、矛盾を引きずり、彼ら彼女らはその実像すら明確ではない「敵」に憎悪をたぎらせる。

こういう運動におけるIdentity threatは新しいことではないかもしれないが、メンバーの中にはやはり在日韓国人・朝鮮人が祖父母にいたり、ハーフがいたりと、周りから常に疑問視されている「日本人らしさ」を希求するために運動に傾倒する者もいる。また、エーリッヒ・フロム『自由の闘争』から抜粋で、在特会メンバーは金や力を獲得する機会はほとんどなかったが、そのようなパンではなく「見世物」は与えられ、これらのサディズム的な光景と優越感をあたえるイデオロギーのもたらす感情的な満足を得たという記載がある。

「うまくいかない人たちのルサンチマンのはけ口」「疑似家族」「いびつな正義感」など、なぜメンバーが在特会について惹かれるかの考察も多くある。世の中に居場所がない人々が、ちゃんとした知識もないのに、お手軽な敵を見つけて騒いでいるだけというのが大体の意見だが、考察の上で重要なのは、ネットがどのように作用しているか。疑似家族と言うものの、桜井氏を始めとして本名を隠す人も多く、また私生活についてあまり聞かないのがルールとされている。こういう点も、ハンドルネームでのやり取りが普通なネット世界を現実に持ってきた感じなのかなと思った。

「彼らがすぐに暴走しやすいのは、日常生活のなかで物理的な衝突を経験していないのに、ネットの感覚で対処しようとするからですよ、あの人たちにとってみれば、ネットも現実も”地続き”なんです」
キーボードを連打するだけで「相手を負かした」と思い込む感覚を、そのまま路上に持ち込む。(…)街宣時に反対者を取り囲みながら罵声を浴びせる集団リンチもまた、ブログの「炎上」と同じ意味しか持たなくなる。

不勉強で知らなかったが、日本国籍剥奪措置により不安定な在留資格で生活せざるを得なかった日本に残った旧植民地出身者に特別永住資格が設けられたのは1991年と私が産まれたあとの最近(?)の話だった。在特会が主張する「特権」の4種類に関しても軽く解説があるのでよく理解できた。京都での学校を守るためOBや父兄が駆けつけた図を見て羨ましく思ったという一節は面白かった。在特会メンバーが言う特権とは、そういう地域住民の絆ではないかと著者は述べている。一方、家族持ちのメンバーもいるし、桜井氏についてはなんだか寂しそうな生活描写があったが、こちらも一概には言えないだろう。

孤独で社会に居場所のない人々がネットを通じて活動に関心を持ち、疑似家族を形成、そこから簡易でストレート、大衆的な社会運動が生まれ、承認欲を満たすというのはなんだか安易な考察のように思えるが、日々Twitterから感じている反権威主義を在特会の活動から垣間見ることができた。アンチフェミも同じで、フェミニストが権威主義的であるとか、特権があるとか、被害者ヅラして男性の被害者を無視してるとか同じようなロジックを使っているなと思った。弱いものが更に弱いものいじめるという構図があり、橋下元市長も桜井氏との会談(罵倒試合?)で、「文句あるなら政治家とか東京に言え!弱い者いじめするな!」って言ってたけど、社会には往々にしてこういう連鎖があるなと思う。

最後に、在特会の活動に反抗するカウンター団体についての記載がある。こちらは、「レイシストしばき隊」「男組」「女組」などでがあるが、不勉強のため全く知らなかった。こちらもなんだか大変な活動だったのだなあ・・・。


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