映画「夜明けのすべて」を見た
最初に、ネタバレはほぼほぼありません。
ホームページで見れる程度のあらすじには触れます。
よろしければ、どうぞ。
・ままならないイライラってありませんか?
皆さんはイライラすることってありますか?
ありますよね?普通。
私は割と普段落ち着いているほうだとは思いますが
ごくまれにどうしようもないほど腹が立って仕方がないことがあります。
お前落ち着いてないだろって思う人は多分私と仲がいい人です。
本当に気の許せる人の前にしか私は顔を出さないようにしているので。
それは置いておいて、
イライラしているときは本当にすべてがムカついて自分を落ち着かせようとして音楽を聴いたり好きな配信者を見たりしてみますがそういう時は普段好きなものすら癪に障ります。
なんかいつもより声がキンキン響いて聞こえるなとか。
ちなみにそんなままならない自分にも腹が立ったりします。
ぜーんぶイヤイヤな感じです。
私は小さい頃にそんな自分を自覚していたために
ときどき家族など「今自分は全部にイライラしちゃうから自分が言うまで放っておいてくれ」と伝えてしばらく距離を置くこともありました。
言葉の通りの意味で心にもないことを言ってしまうので。
親は「そんなこともあるよね~」と放っておいてくれたのでいい人だったなと今でも思います。
いきなりの自分語りで申し訳ありませんでしたが
今回お話しする映画「夜明けのすべて」はそんな自分を省みることができた映画です。
とてもいい映画でしたので、自分の気持ちを整理するためにも文字を書きます。
・あらすじ、これはとてもやさしい映画
まず、このあらすじを読むとめちゃくちゃシリアスで暗い内容なのでは?もしや怖い映画?と思うかもしれません。(私はそうでした)
ですが、全くもって過剰な演出もなければ必要以上に曇るような描写もありません。
一方で穏やかに、丁寧に人々の感情や人間関係を見せてくれます。
女性主人公の藤沢(上白石萌音)はPMS、月経前症候群という持病に悩まされており、あらすじの通り時々いらだちを抑えきれずに周囲の人に強く当たってしまいます。
一方で藤沢の同僚である男性主人公、山添(松村北斗)はパニック障害を持っており、普段は全く落ち着いている雰囲気ですが、電車に乗ろうとすると過呼吸を起こしてしまうという悩みを抱えています。
どちらも外見には見えない病気なのもあり正直、まともな人です。
終わってみれば、私の感想としては「普通の人たちのただの日常だな」というものでした。
ですが、それこそが私にとって素敵な体験でありました。
・非日常が溢れる日常に僕らは生きている
映画とか作品を見るときに私は非日常を求めて鑑賞しているなと私は思っています。
巨大な悪とか、ヒーローとか、何気ない日常が非日常になっていく展開とか、あるあるですよね。そこに出てくる異常な存在たちって短い時間の中でエンターテイメントを実現しますし、私自身そうしたベタな展開って大好きです。
そんな中、「夜明けのすべて」における非日常とはPMSやパニック障害といった病気を指すと思いますが、穏やかな演出も相まって、それはもはや日常すら感じさせます。
普通なんですよね。
私もこういうことあるな、周りにもこういう人いる気がするな、とか。
そういうメッセージを伝えたい作品だという意図は特別に感じたわけではありませんが、ぱっと見まともというか普通に立派に生きているように見える人たちも何か悩みとか困難を抱えながら生きているのかなぁと考えたりしました。
私自身、うつ病と診断されている人間です。
多分、何も言わなければそうは見えないと思っています。会うタイミングにもよりますが、だいたいは元気そうにしています。自分が気を許せる人に会うとなんだか元気が出ますので、その時は元気です。
でも、まぁ普段はそんなに元気なほうではなくそれなりに悩んだりしています。
多分、私はやや日常的なレールから外れた存在ではありますが、何か犯罪に手を染めているわけでもないし、税金も払っているし、法的にはまともな人間です。が、ぼちぼちな生きづらさを勝手に感じているタイプの人間です。
「夜明けのすべて」に登場する人たちはまさにそんな少し生きづらい、けどまぁ普通に生きている人たちの強さを丁寧に肯定してくれた映画だったと思います。
・やさしい人たちしかいないのは異常だろうか
先ほど述べた通り二人の主人公は普通です。
時々カッとなるくらいでいい人です。
それでもなお、よりいい人であろうとします。
もっと立派な普通を目指して生きています。
こんな二人を取り巻く人間関係ですが、みんなやさしいです。
病気について否定的なふるまいをする人は誰一人出てきませんし、当然のように発作が出れば肩を抱いて深呼吸をするように促してくれます。
二人はそんな周囲に感謝もしますし、また謝罪もしますが、やさしい登場人物たちはそんなこと大したことないと当然に二人を支えてくれる人しか出てきません。
私がこういった題材を扱う演出家なら、一人ぐらい、例えば駅ですれ違う誰かに舌打ちさせるとか適当に不寛容な要素をいれたりするかもなぁなんて思います。
同情を誘ってお涙ちょうだい、って安い演出です。
でもそれがリアルなんじゃない?とも思います。
今時、駅でフラフラ迷ってるだけで舌打ちされることもあるじゃないですか。
でもこの作品には一切悪意が存在しません。
駅で迷えばきっと「大丈夫ですか?」と声をかけてくるような人しか出てきません。
これは異常でしょうか。
2時間のフィクションだから、ストーリーのノイズだから入れなかったのでしょうか。
あえて、私は異常ではないと自分の中で答えを持っています。
意外と世の中いい人たちばかりなんだと思います。
なんだか僕らはSNSとかニュースとか、悪意に満ち溢れた映像や文字にばかり触れる機会がどんどん増えていて、世の中ろくな奴がいないって気分になってしまうように思います。
相手は悪いことを考えているのが普通で、親切自体が異常というか、そんな気がしてしまいます。
あんまり性善説ばかり信じていると痛い目に会うのはそれはそれとして、そうはいっても誰かの親切を嘘のように感じてしまうのは悲しいことですよね。
やさしい人たちで世の中が溢れているのは普通のことなんだと、
私はそう思いたいです。
・終わりに
人に対しても自分に対しても
そんなもんだよね、と無関心でいられるのはきっとやさしさです。
もちろん、「大丈夫?」と声を掛けられる人はもっと尊い人です。
ただ、無関心でいられる範囲を広げていくのが人にやさしくなるということではないでしょうか。
映画のクライマックス、「一日の中で夜明け前が一番暗い」というイギリスのことわざから始まる上白石萌音さんの語る作中のプラネタリウムのナレーションは心に迫ります。
ぜひ、一度観に行ってみてはいかがでしょうか。
もし大切な人がいる人は一緒に観に行ってみてください。
きっとよりよい関係にお互いが歩み寄ることができる、そんな映画です。
・余談
主演のお二人は新海誠監督作品の主人公声優をされています。
松村北斗さんはすずめの戸締まりの宗像 草太(椅子になる人)
上白石萌音さんは君の名は。の宮水 三葉です。
目を閉じると新海ファンとして劇場でうおお…となっていました。
(明らかに違う楽しみ方でどうなのとも思いつつも私にとっては仕方がない)
実際新海監督はお二人とも交流があるそうで、映画の公開時にXでコメントを出されていました。
松村さんも上白石さんも個人的に好きなお二人でしたので、過剰な演出などで私にとって嫌な演技(叫んだりとか乱暴をしたりすること)をさせられていなかったのもやさしい映画でよかったなと思いました。
みんな素敵な人だ。
終わり。
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