足元は金色(こんじき)の砂埃

しばらくぶりの更新となってしまった。

この1年本当にたくさんのことがあった。
40代中盤となり人生もとっくに半分を折り返してしまった。いい事も悪いこともたくさん経験し、1年の中でもさらに凝縮した良い悪い、幸運や理不尽が繰り返されてしまった。世間では働き盛りと言われる年頃だが、社会の歯車に興味のない人間としては渦に巻かれ責任を押し付けられ取らされ、非常に苦しい。

毎日ギターを弾いて生活できることなら、と思い馳せる真夏日の日々。

その道を歩んでいくためにただ漠然としか生きてこなかったので、この歳になって過去に後悔することが多い。世間とは異なり比較的制限された生き方しかできなかったため、いろいろこじらせてしまっている。

「その道」と言ってもなにかプロフェッショナルなことをしているわけではないが、生きていくためにしなければならないことが最低でもいくつかあって、そこは極めなくとも最低限押さえておかなければ人生のバランスが崩れてしまう。

もし「その道」が明るい通り道だったらどんなに素晴らしいことだろう。
どうしても人が通らないような道、陽が出ているのに薄暗い道を好んでしまう傾向があると、振り向けば誰もおらず、進むにも背の高い草木が前方を隠し、見えづらくしている。なぜこういう道を選んでしまうんだろうか。

先人は「悩み事は玄関においていきな」と勧めている。場所はともかく、どうやっておいていけば良いのだろう。それすら浮かばない。

でも歩きだせば、奏でる足音は音楽。舞い上がる道の埃は金色の輝き。
前を見れないくらい脳内暗闇にあっても少なくとも足元は見て、舞い上がる金の砂埃を支えに歩いて行こう。

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