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「芸術神学」批判序説 ~ 新しい公共劇場の在り方を模索するための省察 ~(1)

             西田奇多郎

0. はじめに

 本エッセイでは、新しい公共劇場の在り方(方向性)を模索するため、次の2点について純理論的な批判を行う。なお、ここでいう批判とはカント(1724-1804)的な意味での批判であり、それは「否定する」ことではなしに、先入観を疑うこと、無自覚に、あるいは無条件に受け入れてしまっている前提を改めて「吟味する」こと、を意味する。
(1) 芸術には絶対的な価値があるというが、本当にそう言い切れるだろうか?
(2) 芸術にふれると心が豊かになるというが、本当にそう言い切れるだろうか?
 一般的に言って公共劇場は、(1)および(2)を自明の公理(土台)とし、運営がなされている。(1)および(2)を「疑う」ことは、ゆえに同時に、既存の公共劇場の在り方を「疑う」ことでもある。本エッセイの副題を「新しい公共劇場の在り方を模索するための省察」とした所以である。
 また、本エッセイでは、(1)および(2)、すなわち「芸術には絶対的な価値があり、芸術にふれると心が豊かになる」という考え方(というより「信仰」)を、(言葉の字義どおりの意味において)それは「神学」であり、かつ、思想史的にも「神学」に根ざしたものであることを立証し、批判する。タイトルを「芸術神学」批判序説とした所以である。


1.「芸術神学」=「芸術の殿堂」論を批判する「社会包摂」運動

 さて近年、公共劇場を(静態的な)「芸術の殿堂」ではなく、「地域社会が抱える課題と向き合う問題解決志向の社会機関」と位置づけ、その具体的処方箋(漢方薬)として芸術を用いるという(実践的な)「社会包摂」運動が注目を集めている。旗振り役は可児市文化創造センター(岐阜県)の衛紀生(館長)である。
 衛紀生(以下敬称略)が「社会包摂」運動を提唱する以前においては、具体的に言うと20世紀末までは、公共劇場が「芸術の殿堂」であることは自明の公理であった。すなわち公共劇場は、(1)それ自体で絶対的固有価値がある(孤高とも言える)芸術を、(2)遍く広く普及啓発(伝道)していくための拠点(教化施設)であり、(3)また、なぜ(公費を割いてまで)国民へ(下々へ)アクセスしていく(施しをしていく)必要があるのかというと、芸術にふれることが心を豊かにすること(下々の魂を救済すること)につながるから、とかいう類のロジックに支えられていた。
 いわば公共劇場とは世俗化した教会であり、そうであるがゆえに公共劇場は世界史上、西洋でこそ誕生したのであるが、この点については後述することにし、まずは「芸術の殿堂」路線を批判する「社会包摂」運動について見ていく。というのも、ぼく自身は「社会包摂」運動を、「芸術神学」批判の実践的先鋒(先端的事例)だと位置づけている(見なしている)からである。
 ところで、「社会包摂」思想が衛紀生のオリジナルでないことは言うまでもない。ネタ元がある。実際、彼は「社会包摂」と並行して「積極的福祉政策(としての劇場経営)」という言い方を講演などでしていた。「積極的福祉政策」とは、かつてイギリス・ブレア首相の政策ブレーンだった社会学者アンソニー・ギデンズ(1938-)が提唱した「第三の道」、そのスローガンであり、広く知られたものである。
 「第三の道」とは、(1)ソ連解体すなわち社会主義的実験の失敗と、(2)新自由主義的資本主義(具体的にはサッチャリズム)が招いた社会的分断(格差)や福祉の荒廃などを目の当たりにし、(1)社会主義はダメ、(2)資本主義もダメだ、ということで、オルタナティブな「第三案」を志向する政治経済思想である。(1)社会主義の良さは何か? それは公正(平等の実現)である。(2)資本主義の良さは何か? それは効率(高い生産性)である。一般的に、公正(社会主義)と効率(資本主義)は二律背反だとされる。しかし「第三の道」では、公正と効率を両立させることを狙っていく。
 どのようにしてか?
 「社会的なものへの投資」によって。
 具体的事例をピックアップしたほうが理解は早いだろう。たとえば可児市文化創造センターで継続実践している某高校での演劇ワークショップがある。その成果としては「著しく中途退学者が減った」ということである。その理由は、普段口もきかなかった生徒同士が演劇ワークショップを通じて知り合い、仲間になり、日常的なコミュニケーションも増え、その関係性の輪が、中途退学へのストッパーになった、ということである。
 これが、「社会的なものへの投資」ということである。
 資本主義的効率(競争一辺倒)の世界では、ドロップアウトしていく人たちが置き去りになってしまう。それを社会主義的公正(平等)によって救済するにしても、たとえば「生活保護」で生存保障していくにしても、(鈍化する経済成長下において)その数が増加傾向にあるとするなら、持続不可能な高コスト破綻政策になってしまう(だから水際作戦なるものが生まれてしまう)。
 であれば、福祉政策を(消極的な)事後救済から(積極的な)事前救済へ切り替え、前のめりに先行投資することで、事後救済に比して低コスト(効率)を実現するとともに、誰もドロップアウト(孤立)させないという公正をも実現させる。たとえば衛紀生の報告(試算)によると、中途退学によって失われる社会的損失(その人の生涯所得減ならびに、それにともなう行政サイドの税収減など)と比べ、当たり前だが、演劇ワークショップの実施コストは圧倒的に僅かであることが示されている(SROI社会的投資収益率という)。
 効率と公正の両立ということについては、以上で概ねイメージできるかと思う。
 さて、衛紀生は公共劇場の経営に「第三の道」路線を導入したわけであるが、その理由は、文化政策(だけ)では、もっと具体的に言うと従来型の「(芸術の殿堂による)施し」事業では、地域社会が抱える課題(当初、彼が問題視していたものは社会的分断すなわち広い意味での格差問題=いのちの格差、である)と対峙することができない、と知っていたからである。
 これは、やや脇道に逸れてしまうが、ニクラス・ルーマン(1927-1998)の社会システム理論を援用して説明していくと、意外にも視界がクリアになる。
 ルーマンが描く「近代社会」とは、政治システム、経済システム、法システム・・・・・・等々、様々に機能分化したシステムが(所々カップリングしながらも)パラレルに併存しているという、社会システムである(東京五輪の輪がもっと複雑にからまったものを連想してみてください)。ここで芸術の立ち位置はというと、芸術システム(という閉域)を編成しており、政治システムあるいは経済システムなど他のサブシステムとカップリングしないかぎりは相互に影響を与え合うこともなく、孤高(ないし孤立)である。
 ところで、しばしば「アートマネジメントとは、アートと社会をつなげることだ!」と言われる。これを社会システム論的に語るとするなら、芸術システムと他のサブシステムとを構造的にカップリングさせていくこと(連結すること)、ということになる。
 しかしこれは、実際にはとても難しい。ざっと見渡してみても、「アートと社会をつなげていく」ことをキチンと実践できている事例は僅少だろう。大半が未だ芸術システムの中で自閉しているのではないか。
 それでは、どうすればよいのか?
 システム論的には、構造的カップリングを成立させるための手法は、(1)あるシステムでのメディアを、(2)かつ同時に、他のシステムでのメディアとする、というものである。Aシステムを形成するメディアAを、かつ同時にBシステムでも用いられるメディアとする、ということだ。
 衛紀生は、まさにそれを行った! これは画期的なことであると言ってよい。
 つまり、(1)これまで芸術システムのメディアでしかなかった芸術を、(2)福祉システムにおけるメディアともし、(3)それにより、芸術システムと福祉システムを接続・連結、構造的なカップリングを成立させた、のである。(ちなみに、経済システムのメディアは貨幣であり、政治システムのメディアは権力である。貨幣が税にメタモルフォーゼすることで、経済システムと政治システムは構造的にカップリングする。)
 これにより、「積極的福祉政策としての文化政策」(福祉政策であり、かつ同時に文化政策でもある)という、いわば両輪的な方向性が定まった。
 「芸術の殿堂」とは、すなわち芸術システムという閉域から一歩も足を踏み出さない公共劇場のスタンスを指す。これでは「地域が抱える社会課題」と向き合うことはできない。なぜなら地域とは様々なサブシステムが相互にカップリングした構成体であり、そこに芸術システムが連結することなく遊離したままであるなら、そこに社会システムを動かす〈力〉は創発しないからである。
 衛紀生は、(1)芸術を芸術システムの閉域から叩き出し、(2)芸術に「芸術システムのメディアであり/かつ同時に福祉システムのメディアでもある」という二面性を持たせることで、(3)芸術システムと福祉システムの構造的カップリングを実現した!(4)それにより、社会を変えていく(芸術と社会システムを繋いでいく)実践的〈力〉を、その拠点である公共劇場にもたらした。
 繰り返しになるが、システム論的見地からすると、これは画期的発明であり、一種の革命である。
 さて、そんな衛紀生の革命的「社会包摂」主義に対し、「彼は芸術を目的ではなく、手段化(ツール化)しているから、ケシカラン!」と声を荒げて批判する人たちが結構たくさんいる。システム論的には、芸術はそもそも最初からツール(メディア)である。つまり、芸術システムのメディアである。それ以上でも、それ以下でもない。
 衛紀生は芸術を貶めたのではなく、むしろ芸術の(社会システムを回転させていくメディアとしての)可能性を拓いたのである。繰り返すが、芸術に「芸術システムのメディアであり/かつ同時に福祉システムのメディアでもある」という二面性を持たせることによって。
 しかしながら、それを理解しない(できない)人が多い・・・・・・
 実際、とあるフォーラムで、某クラシック関連団体の某幹部が「わたしたちの仕事は芸術性の追求(芸術のための芸術)であり、芸術を(社会包摂などという)手段に用いてはならない」と衛紀生に直接批判したのを、ぼくは目の当たりにしたことがある。衛紀生はただちに反論したが、そのあまりに噛み合わない議論の応酬に、ぼくは辟易すると同時に、より深い「根」があるとも感じた。
 その「根」に在るものとは・・・・・・
 ズバリ!「芸術のための芸術」(純粋芸術、芸術の自律性ともいう)という思想、というか「信仰」、がソレである。
 分かりやすく言うと、まさに冒頭に掲げた「芸術には絶対的固有の価値がある」とする「信仰」である。
 ここで、振り出しに戻る。
 「芸術には絶対的固有の価値がある」とする「信仰」が邪魔をして、すべての立論が噛み合わなくなる。新しい運動の足枷になる。
 だから(新しい公共劇場の在り方を模索せんとする)ぼくらはまず、なるほど「社会包摂」運動という実践からスタートするのも悪くはないが、それ以前の問題として、この「信仰」に批判的吟味を加えてみる必要があるだろう。そうでないと新しい劇場運動はつねに、あるいはすでに、足を引っ張られることになるだろう。

 《つづく》

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