ゲームセンター=非行の温床
スペースインベーダーの人気はとても激しいものでした。 喫茶店のみならず、スナックやレストラン、ホテルにまでも筐体が設置され、 日本人は金と暇さえあればインベーダーと戦っていると表現してもよいほどのブームになりました。当時の調査によれば、一人当たりの平均にして月4,900円をインベーダーゲームにつぎ込んでいたそうです。ピーク時には全国に30万台以上筐体があり、1台につき1日10,000 ~ 15,000円ほどを稼ぎ、市場全体では1日で26億円稼ぎ出すというモンスターゲームでした。あまりにのめり込んだ児童がその日のうちに3,000円以上もつぎ込むという異常な事態も引き起こしていたそうです。
このように市場価値が高いスペースインベーダーは、多くの犯罪を産み出すキッカケになっていきました。 中でも多かったのは筐体泥棒とコインボックス荒らしです。筐体泥棒は深夜に店舗へ押し入ってテーブル筐体ごとトラックなどで持ち去ってしまうという手口です。テレビゲームのテーブル筐体は1台当たり40 ~ 50kgもあるため、集団で行われていました。1979年8月、東京都福生市のスナックから2台が盗まれたことを皮切りに、毎月2件、3件と被害が起るようになりました。事件の内容も様々で、リース会社の倉庫から新品筐体12台を盗み出し、盗んだ筐体をさらにゲームセンターへリースして「小遣い稼ぎ」をしていた会社員4名などが逮捕される一方で、故障してしまって店頭に積んであった筐体までも持ち去るという珍妙な事件までありました。筐体泥棒による被害は1979年5月中旬までに計59台、被害総額1,830万円にものぼりました。被害が絶えなかった理由は、筐体に張られたシリアルナンバーを剥がしてしまえば、それが盗品であるかどうかの判別ができないためで、タイトーはシリアルナンバーのないものを取り扱わないよう各社に通達を出したほどでした。同様に被害が毎月増えていったコインボックス荒らしは、筐体の中にあるコインボックスから直接現金を盗み出す手口で行われ、同5月中旬までに計83件、被害総額1,149万円にものぼりました。コインボックス荒らしによる事件は、その後も増え続け、インベーダーブームのピークまでに計140件、被害総額3,500万円という甚大な被害を及ぼしました。
これだけ大きな額面を動かすインベーダーブームに暴力団が目をつけないわけがありません。暴力団はインベーダー人気に目をつけ、筐体を設置している店舗やリース会社へ赴いては「あいさつ料を払え」などと恐喝を行ったり、ソープランドなどで働かせる計画を立て、ゲームセンターやディスコで遊んでいる少女らに声をかけて言葉巧みに連れ出したりするなどし、あらゆる手口を使って資金を調達していくようになりました。これを受けて警視庁は「暴力団の新たな資金源になっていくことになる」と判断し、 業界に対して監視を強めるように指示を行いました。
犯罪行為を行っていたのは何も大人達だけではありません。小学生から高校生までの学童にも犯罪に手を染める者が後を絶ちませんでした。インベーダーゲームを遊ぶ金欲しさに起った学童により事件は窃盗や空き巣などが多く、ある中学校では2年生のグループ31人が集団で万引きを行うという事件が起きました。根城としていたゲームセンターを拠点に2 ~ 3人のグループに別れて万引きを繰り返し、得られた盗品を同級生などに売って換金し、インベーダーゲームに興じる費用に充てていました。中には盗品のリストをノートに書き溜め、自慢しあうという生徒もいたそうです。沖縄県では校則でインベーダーが禁止されていた小学校4年生の少女が、隣家などから現金約30万円を盗み出し、フェリーを使ってインベーダーが禁止されていない市まで移動して補導される事件がありました。東京都江東区で小学校6年と2年の兄弟が起こした空き巣事件では被害総額が23万円、東京都武蔵野市で中学1年生が親兄弟の財布から金銭を抜き取った事件では被害総額10万円と額面が大きいことも特徴です。
また、新聞紙面に大きく取り上げられたグループ犯罪となったのが、神奈川県横浜市と川崎市で「合鍵」を使って行われた犯罪でした。この事件は父親がゲーム機製造メーカー勤務の家庭から発生したもので、父親が家に持ち帰った筐体の鍵を息子が目を盗んで持ち出し、合鍵を作って同級生などに1個500円で売り始めたところ、口コミ人気で広がっていったものでした。横浜署員がゲームセンターで合鍵を持った中学生を発見し、芋づる式に生徒が見つかり、中高校生併せて65人が補導されました。このニュースが朝刊を賑わした同日、川崎市教育委員会は市内の全小中高校に対し、インベーダーで遊ぶことを禁止する措置を取るよう各校に通達、同日の夕刊に掲載されるほど迅速な対応を迫られました。
ほかにも5円玉にセロテープを巻きつけて偽造100円玉を作り、ゲーム機の投入口へ入れて遊ぶ手口もありました。この手口が増えて行ったのは学童達が春休みに入った時期と重なる3月下旬辺りのことだったそうで、1979年5月に発行された毎日新聞や朝日新聞がその事件を扱った内容を取り上げました。当時の新聞が伝えるところによると、渋谷区にあったゲームセンターにおいて設置していた11台のインベーダーゲーム機の中から偽造100円玉が20枚見つかったそうです。以降、そのゲームセンターでは見張りを立てて偽造100円玉を使用している人間がいないかどうか監視することにしました。 監視を続けていると小学生がその偽造100円玉を使っているのを目撃し、現行犯で捕まえることに成功しました。しかし、それでも偽造100円玉は減ることはなかったそうです。平日1日30枚程度が見つかるような日が続き、休日には1日50枚も利用されているときもあったそうです。そのように次第に被害額が大きくなっていったことから同ゲームセンターは渋谷署に届け出ました。このことで初めて偽造100円玉の手口が明らかになったのです。警察がさらに調べてみると浅草や新宿、成城学園前などでも同様の手口を使った偽造100円玉が見つかり、 口コミで広がったものではないかと推測したそうです。
偽造100円玉はインベーダー以外でも悪用されるようになりました。同年4月末日には中央線国分寺駅の自動券売機で大量に見つかるようになりました。偽造100円玉が顕著に利用されていたのが中央線の国分寺~新宿間、山手線各駅のうち、おもに学生が利用する駅でした。日本国有鉄道(国鉄、現JR)は5月7日より見張りを立てて監視を始め、実際に偽造100円玉を使用している19歳の少年を現行犯逮捕しました。当時の券売機はまだ硬貨の認識能力も低かったのですが、券売機のコインの識別能力が上がっていくにしたがい、偽造100円玉を使った犯罪は減少していくことになります。しかし、券売機の識別能力向上にあらがうように手口を変えて偽造は続きました。5円玉の穴を鉛や粘土で塞いで100円玉と同じ重さになるように調整するなどしていたそうです。また、同時期には100円玉に糸をつけてゲームをスタートさせ、硬化を釣り上げるという手口も横行しました。
このような事件が相次いで発生したことが連日報道されて社会問題化し、 各関係団体は次第に対応を迫られていくようになりました。自治省はゲームに対して「娯楽施設利用税」を課税するべきかどうかのの検討に入り、 日本娯楽機械オペレーター協同組合などの業界団体は少年の深夜立入り禁止などの自主規制を実施、 警察からの要請を受けた全日本遊園協会も「インベーダー自粛宣言」を1979年6月2日に発表しました。 発表された内容は以下の4つです。
インベーダータイプのゲームマシンは管理者のいない場所には設置しない
保護者の同伴がない15歳未満の者はインベーダーゲームをさせない
18歳未満の者は午後11時以降はゲームセンターへの立ち入りを禁止する
ゲームの結果により景品などを提供する行為を禁止する
これを受けて警察庁も6月8日に全国都道府県の各県警に対し、 「インベーダーゲーム機ブームに対する業界の自主規制と警察措置について」という通達を出すと同時に、 非行の監視や暴力団介入の取り締まりを指示、1979年7月からはインベーダーゲームの実態調査などを開始しました。
6月13日に開かれた都道府県教育委員長・教育長会議においてもインベーダーゲームは話題として取り上げられ、文部省の初等中等教育局長が非行問題に触れた折に、インベーダーに関連する社会問題にも触れました。局長は自身でもインベーダーゲームを体験した上で「千円くらいあっという間になくなってしまう。これでは金銭の浪費、非行に繋がる」と発言しました。同時にインベーダーで行った社会問題を含めた低年齢化する犯罪に対しては「学校以前の幼児時代からの躾が大きな意味を持つ」として、「各家庭に呼びかけることも含めて指導して欲しい」と言葉を繋ぎました。結びには「非行の原因となるものが社会に満ち満ちている。インベーダーゲーム対策を含めて非行化防止のため努力して欲しい」と発言したこともあり、学校や教育委員会、PTAなども業界団体と連携を取って一層の非行防止に努めました。
いつしかゲームセンターは次第に「非行の温床」「犯罪の温床」として見做されるようになっていき、大手ショッピングセンターのダイエーやイトーヨーカ堂などでは、店頭からインベーダーゲーム機の撤去を行うという対策を講じる店舗も出現、インベーダーブームは一気に沈静化の方向に向かっていきました。「それは『ポン』から始まった」では自粛するように仕向けられたとされています。しかし、犯罪の被害総額などを考えると無法にも近かったゲーム業界が自粛することはある種、必然だったと思います。ただ、この6月前後にマスコミの動きが異様に活性化しているのは事実で、マスコミのネガティブキャンペーンが「ブームに冷や水を浴びせた」ということが、 突然のブーム終了をもたらしたというのは正しいと思います。
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