メディアを巻き込むインベーダー・ブーム
インベーダーが巻き起こしたブームは、ありとあらゆるメディアに進出し、大きな経済効果をもたらしました。まだ「メディアミックス」という言葉も生まれていない時代に、まさにメディアミックス効果を生み出していたのです。
スペースインベーダーにはプレイ時に点数が変動するUFOの存在があったり、 名古屋打ちと呼ばれるバグを利用した攻略法、レインボーと言われる画面がバグ技など、 当時のゲームでは考えられないほどのフィーチャーが存在するのですが、 これらをまとめた『インベーダー攻略法 これであなたも10000点プレイヤー』(1979年6月11日、 ヘラルド出版)という攻略本が発売されました。
この本にには、さきほど挙げた「UFOの点数の秘密」「名古屋打ち」「レインボー」などはもちろんのこと、 亜流インベーダーの紹介とそれぞれの攻略法が詳細に載っていました。興味深いのは「レバーの握り方」も図解されていたことです。1990年代に対戦格闘ゲームがブームになりましたが、この際も同じようにレバーの握り方が話題になったことがありましたが、それよりも10年以上早く、またゲーム攻略本自体も任天堂が『スーパーマリオブラザーズ』(1985年、任天堂)を発売してからゲーム攻略本の出版が競争となったゲーム攻略本ブームに先んじて6年早かったのです。
また、スペースインベーダーはディスコミュージックにも進出しています。当時は映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年、アメリカ)の影響でディスコが流行り、原宿では竹の子族などが生まれました。このブームに乗っかったスペースインベーダーはタイトー公認でアルバム『ディスコ・スペース・インベーダー』(1978年、EPファニー・スタッフ)を販売したのです。
ゲームミュージックがメディアに大きく取り上げられるようになるのはもう少し後年になってからで、1982年に『ゼビウス』(1983年、ナムコ)が発売されると、ゼビウスが好きだった細野晴臣(YMO)は自らが監修し、ナムコから正式な許諾を受けてアルバム『ナムコ・ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年4月21日、アルファレコード)まで待たねばなりませんでした。ゲームミュージックというものが市民権を得、音楽そのものとして愉しまれるようになるよりも早い時代にこのようなアルバムを発売されたということも、 スペース・インベーダーの人気の片鱗を知ることができます。
余談になりますが、じつはゲームの音を使って音楽を構成するという手法を先に採り入れたのはYMOです。しかし、ゲーム単品を題材として扱ったレコードは『ディスコ・スペース・インベーダー』が初めてです。なお、YMOのファースト・アルバムには「コンピューター・ゲーム -インベーダーのテーマ-」「コンピューター・ゲーム -サーカスーのテーマ-」という曲が収録されています。
スペースインベーダーの人気は、ゲーム攻略本や音楽アルバムだけに留まらず、映画界へも影響を与えてしまいました。日本においても大変な人気のあった映画『Mr.BOO!』の4作目に当たる作品が、スペースインベーダーブームの影響を受け、邦題はインベーダーとはまったく関係がないにも関わらず『Mr.BOO! ~インベーダー作戦 ~』(1978年、香港)とされてしまったのです。
さすがに『Mr.BOO!』の邦題はブームにあやかりすぎだとは思いますが、当時のインベーダーブームがいかに過熱したものであったのか、現代からでも当時の様子が垣間見えるエピソードだと思います。
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