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<晴れた日には鏡を忘れて>五木寛之

淋しい冬の海。隠岐の民宿で働く牟田口アカネは、自分の醜い容貌に絶望し生きていた。彼女が待っていたものは、まさに<なしくずしの死>

私は、生きる意味、人生の意味ということを考える上で、その対極の立ち位置にある言葉は<なしくずしの死>だと思ってます。
<なしくずしの死>を生きていくことと、人生の意味を考えて生きていくことは対極にあるのではないかと。
生きる意味を考えていきたい私にとって、10数年前にこの本を読んで出会った<なしくずしの死>という言葉は印象に残っています。(セリーヌの<なしくずしの死>は未だ読んだことないけれど)

この本の最初の方で主人公アカネはこう言います。
.......そして日頃から思っていることを、つい口に出してしまった。「だって、人間って生まれたその日から一歩一歩、死にむかって歩いていく存在でしょう?おそかれはやかれ、<なしくずしの死>を生きているだけなのに.......
 ↓
そんな彼女が、ある出来事をキッカケに<なしくずしの死>という彼女が抗うことの出来ない人生の軸とも言うべきものに自問自答し、抗議していく。
生きる意味のようなものを考え始めていく。
そんなストーリーに感動しました。

生きていれば変わる。この世界は変わる。ちょっとしたキッカケで自分が変わる、誰かが変わることがあります。変えてくれる誰かと出会うかも知れません。

この物語が、彼女にとって救いようのない内容だったり、なしくずしの死を生きるだけの人生から彼女の意志で出なかった、、だったら途中で読むのを止めていたかも知れません。
彼女にはキッカケがあり、そのうち自分の意志で幾つかのことを好転させていった。

彼女はどうしようもない絶望の中で生きていました。
それを自分の力だけで変わることの出来る人は、ごく少数の人だけだと思います。
物語の中では、そのキッカケを与えてくれた人物がいたことで自分を変えようと、そういう風に思えたのではないかと、そう感じます。
私は、そういうキッカケを与えることの出来る人になりたいし、私の縁の中でそういうキッケを与えることの出来る人がいるかも知れません。

ちょっとしたキッカケはどこにあるかわかりません。
絶望的な人生を歩んでいる人が、ちょっとしたキッカケで変わっていく。
私は、そんなストーリーが描かれた小説を好んでいるかも知れません。
#名刺がわりの小説10選
何度も読み返すことのある小説の一つです。

私自身は、そこまで絶望的な今ではありません。
ただ、何も考えず、ただただ今のためだけに生きることに恐怖にも似た感覚を常にもっています。
自分自身はDNA性格タイプ的には奉仕的な性格があるとわかっていて、何かためになる生き方をしていきたいと思っている自分の価値観に。しっくりきてます。
でも、何か成していない日常を毎月のように送っていると、ある意味、絶望に似た感覚を持つことがあります。
このままでよいのかと。

自分自身はわかりやすく素晴らしい才能があるわけではなく、日常を地道に希望をもって歩んでいくべきものだと思ってます。
ともかく、何も成せていないことを絶望に思う、そんな感覚に引っ張られないように頑張っていかねば、と思ってます。

自分自身が生きていくために、これをやるのはしょうがないんだ、とか、生きるための自分ファーストなことをしなければならないんだ、という人生なんて歩みたくはないです。
私にとっての<なしくずしの死>は、他にやれることもなく、未来や、何かのタメになることを考える体力や心の余裕がなくなる人生。

ちょっとしたキッカケはどこにあるかわかりません。
絶望的な人生を歩んでいる人が、ちょっとしたキッカケで変わっていく。

ともかく、やり続けること。常に発展できるように積み上げる努力をすること。孤独に歩まないこと。眉間にしわが寄ってないか、時々我を振り返ることを胸に、地道に希望をもって歩んでいこう。
そんな気持ちがわいてくるような物語です。

追伸:セリーヌの<なしくずしの死>は、この<晴れた日には鏡を忘れて>とは違うことが描かれていそうで、気持ちも暗鬱になりそうだし、良し悪しの書評も多岐に在り、読みたい気になれないです、、、

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