見出し画像

8/29(火)日記

*唐突に蛙化現象を思い出す

昼間にTwitter(「X」と書くのは癪なので…)をみていたら炎上系っぽいインフルエンサーが出てきて、そのアカウントまで飛んだら昔の恋人がフォローしていることに気づいた。今はフォローしていないので知らなかったが、おそろしいくらいに本名フルネームのユーザー名だった。しかも鍵なし。

ためしに彼のアカウントへ飛び、最近の投稿を見てみた。すると、これまたインフルエンサーの「フォロー&RTで1千万円プレゼント!」という胡散臭い投稿をちゃっかりRTしまくっている、ただの懸賞アカウントと化していた。それも最近のRTは去年。

青年期からSNSで育った分際として、ここは「いいね」欄のチェックも欠かせない。興味半分で覗いてみると、最新は今月投稿されていた某人気アニメのイラストだった。生きている。
ちょっとホッとした。

10年前、なぜ彼を好きになったのかもはや覚えてすらいない。席替えで隣になったのは覚えているが、そこから何に惹かれて付き合う経緯になったのか、全く覚えていないのだ。ただ覚えているのは足が早くて運動神経がよく、かつ数学ができるということ。当時から、というか小学生の頃から数字に弱いという強い自覚があった自分にとって(運動も全くだめ)、ないものを持つ彼に惹かれたのかもしれない。

けれどデートに何をしたのか、そもそもデートしたのかさえ今もはっきり思い出せないということはそういうことで、結局その人とは3ヶ月ほどであっけなく終わってしまった。

理由は、近頃若者がよく口にしている「蛙化現象」というものだった。

私と付き合ってから、彼はどんどん調子に乗っていった。それまではクラスで、中心メンバーでも(私のような)末端メンバーでもないちょうどいいポジションにいたはずなのに、付き合ってからは積極的にカースト上位の男子に絡むようになり、そこで1本笑いをとるべく積極的にボケるようになってしまったのだ。

それがもう痛すぎてださすぎて。当時の幼い私にとっては冷めるポイントにしかならなかった。今思えばかわいいのに。
それで平日顔を合わせるたび、そして調子のこき具合がどんどんエスカレートしていく彼を見るたび、どんどん冷めていった。

当時の幼ない私は、相手の人間性そのものより、どちらかと言うとアクセサリー感覚で恋人を見ていた。その人の内面より、どこの部活に所属して誰とつるんでいるのか、属性と天秤にかけて「自分の恋人と公開しても(自分が)恥ずかしくないか」を見てしまっていたのだ。改めて文字に起こすとかなりグロテスクだ。だから中高のクラスの思い出にいいものは一つもない。

今思えば、そんな彼も調子に乗ることをのぞき、充分に心根のやさしい人だった。頻繁に連絡を取り合っていたし、誕生日プレゼントには当時ハマっていたディズニーの文房具もたくさんくれた。お互いに照れくさすぎて、一緒に帰る道に並んで歩けず、なぜか彼が5歩先を歩きながら帰るという初々しすぎる経験もした。けれど一瞬だけ付き合った彼には、まさに蛙化現象としか言いようのない思いしか抱くことができなかった。

蛙化現象って、付き合った瞬間から見たくもない他人の毛穴を見ているような気持ちになることだと私は思う。こっちはビューティフルな横顔を見て接近したのに、いざ正面を向いて対峙したらなんか思ってた顔と違って、それこそ蛙みたいに見えてきて、しかもその蛙の皮は意外と毛穴が開いていた、みたいな(本当にごめんなさい)。

それから2,3年が経ち、高校生になってから彼と話す機会があった(うちの学校は中高一貫だったので、6年間同じメンバーで高校の卒業式を迎える)。

受験を意識し始めた、高校2年生か3年生のちょうどこのくらいの時期。学校のイベントで同じ会場スタッフを担当することになったのだ。
文理選択でもちろん彼は理系を選び、私は文系コースに進んでいた。当時はすでに彼にも別の彼女がおり、その彼女と長く付き合っていた時だったと思う。

蛙化現象を引き起こした彼と同じ持ち場だと発表された時、一瞬「うっ」と胸につかえるものがあった。けれども時間が解決してくれたのか、あの頃のような嫌悪感を抱いていない自分もいた。驚むしろ謎の罪悪感さえ感じていた。

いざ出陣、という心意気で担当の持ち場へ向かうとすでに彼は会場で受付をしていた。私が到着したことに気づいたのか、横目でちらちらとこちらを見ている。

人が来ない場所だったせいで気まずい雰囲気が流れること数10分、痺れを切らした彼がとうとう口を開いた。

「…久しぶり。元気?」

数年ぶりに真正面から対峙した彼の顔は、みょうに明るく見えた。トレードマークだった緑のメガネは、うす茶色ですこし大人な今風のデザインに変わり、なんだか小さいなぁと思って眺めていた瞳は案外つぶらでやさしい瞳をしていることに気づいた。なんだ、こんなにかわいい顔をしてたんだ。そんなにやわらかい眼差しで私を見てたんだ。

その瞬間に思った。「ああよかった、蛙じゃない」と。

それから2人で、過去のわだかまりを解いていくように話をした。別れてからまともに話すのはこれが初めてだねということ、将来の進路の話、今付き合っている彼女とは順調であること。

付き合っていた当時の私はキャビンアテンダントになりたいという夢を彼に語っていたらしい。日のあたる1階の教室で、やさしい顔をしながら「今もCA目指しとるん?」と聞いてきたのが今でも忘れられない。高校生になった私は、とっくの昔にキャビンアテンダントになる夢をやめていたのだ。

「いや、もうやめた。行きたい大学はあるけど、勉強頑張らんといけん」
と私が言うと、すこし残念そうに「そうかー」と下を向いて口を尖らせていた。その瞬間にざわざわとした違和感が復活しそうだったので、急いで蓋をしたのはここだけの秘密。

けれども、私でさえ覚えていなかったことを覚えてくれていたこと、同じ学校の同じ学年にいるのに、互いの記憶や情報が数年前で止まっていることに、ほんの少しだけ胸が締め付けられる思いがした。

結局、二人の担当時間に人はほとんど来なかった。去り際、「お互い頑張ろーね」と励まし合った……ような気がする。

彼のアカウントを偶然見つけてしまってから、今日はこの記憶が一気に引き出されてしまった。懸賞アカウントBOTとなった彼にざわざわとした嫌悪感を感じたことは正直否定できないが、思い出すと当時の自分の幼さゆえに、申し訳ないこともたくさんしたという罪悪感が勝ってしまう。今後会うことは2度とないだろうけど、きっと今もお調子者でやさしい彼でいるんだろうと思う。

私の蛙化現象はそのほとんどが私の精神的な幼さに起因している。時が解決してくれることも多いにあり得そうだが、街角インタビューで「Z世代代表」として回答させられていた渋谷のギャルたちの蛙化現象は、いつか解消されたりするのだろうか。時が蛙化現象を溶かしてくれる感覚も、なかなか悪くないと思った。

今日の1曲。

人間のうつしさは真剣な勘違いから生まれると信じている。





最後まで読んでくださりありがとうございます。 いいね、とってもとっても嬉しいです!