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孤独のグルメか、吉田類の酒場放浪記か。

毎晩、夜ご飯を食べながらこのどちらかを観ている。

井之頭五郎が主人公のドラマ、『孤独のグルメ』か、吉田類という実在する詩人の『酒場放浪記』か。

グルメ好きな主人公が実在する飲食店を巡るということは共通している。違うのはドラマ仕立てになっているかということ、そして何より酒が出てくるか否かだ。

孤独のグルメの井之頭五郎は自らが言うように下戸で、酒が全く飲めない。前に見ていた回で奈良漬が添えてあったとき、雀の食事ほど上品な量しかないのにもかかわらず「酔いが回りそう」と言っていた。全く飲めないんだろう。ちなみにわたしはこの番組を通して「下戸」という言葉を知った。あくまでドラマではあるが、それにしても奈良漬の一枚や二枚で酔ってしまうとは相当弱い。親戚にビールのグラス一杯でゆでだこになってしまう人がいて、その人も大層弱いものだと見ていたけれど、さすがに井之頭五郎までの人はなかなかいないだろう。
代わりに、タバコを吸う。
最新回はどうだか分からないが、10年前のseason 1などは出かけた街の公共灰皿でふらっとタバコを吸うシーンが頻繁に出てくる。あの松重豊が遠い目をしながらタバコの煙をふかす姿はかな。渋い。

そして何より、とにかく食う。
松重さん本人は少食なのに、設定が大食漢だから毎回収録が大変らしい。毎回おかずを2皿、本来は〆となるはずの炭水化物を2皿ほど平らげている。観ていてこちらが心配になるほどによく食べる。

一方の吉田類は番組名に酒場がついているくらいなのでもちろん飲む。飲みまくる。
ビールからホッピー、ワイン、日本酒までなんでも飲む。まさにちゃんぽんだ。食事は五郎ほどではないが、それでも毎回4品ほど、上品に頼んで食べている。番組中の音楽もいいし、吉田類は名前が「類」だけに類まれな「食べ方がきれいなおじさん」なので、観ていて全く不快にならない。安心できる。

2杯目、3杯目はだいたい日本酒で、店を出る頃には呂律が回っていない時もしばしばだ。ナレーターがそこにきちんと毎回ツッコんでいるので面白い。こちらも安心して観れるのだが、結構お年は召しているはずなので、観ていると肝臓が心配になる。が、毎回あまりにも気持ちよく吉田類が酔っているので、つられてこちらも晩酌がすすむ。大変残念ながら、類はタバコを吸わない。だからお店も喫煙不可能らしき場所もたくさん出てくる。

大食いの井之頭五郎か、酒飲みの吉田類か。

つい最近までは前者の井之頭五郎、『孤独のグルメ』を観ていたのだが、最近はもっぱら『吉田類の酒場放浪記』を観ている。大食いの喫煙者と、酒好きな非喫煙者でいうと、残念ながら後者の方が勝ってしまうみたいだ。Amazon primeにあることを知ってからは毎晩、ビールを片手に酒場を放浪している気分になっている。

それに何が良いって、吉田類は食べ物のエゴがないのだ。酒が入ってもなお、人が良さそうな感じが滲み出ている。食べ物や飲み物は基本的にお店のオススメを聞いてそれ通りに食べるし(ふつう、人間は食べたいものを食べたくならないか?とくに酒場だと)、お箸を口に運ぶときは必ず手を添えるのにも好感が持てる。

食べ方は井之頭五郎と互角でどちらも上品なのだが、やはり現実世界にいる、実在する人という意味で吉田類が勝ってしまう。本当においしい料理を食べたときのリアクションは顔に出るし、その逆もまた然り。その人間らしさがまた良いのだ。番組だけでも何百軒ものお店を見てきたのだから、ある意味目利き、美食家とも言える。「そんな類がそこまで喜ぶのなら、さぞかしおいしいんだろう」とこちらも嬉しくなる。

ちなみにこの〜放浪記はうちの母親も大好きで、毎週必ず録画している。帰省すると、それを観ながら母と晩酌をするというのがお決まりになりつつある。

先ほどから「類」と呼び捨てにしてしまっているのは紛れもなく、この母の影響だ。酔っ払うと必ず吉田類、ではなく「類!」と呼ぶのだ。

これを書いている私は酒が抜けてきてシラフに戻ったところなのだが、ひとり宅飲みだとどれだけ飲んでも酔わないのが難点だ。

そんなとき、ダラダラと呂律が回っていない吉田類の酒場放浪記を観ていると、それだけで気持ちよく酔えそうな気がしてくる。
お店は都内近郊しか出てこないけれど、オススメな番組です。


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