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Twitterという名のオンライン弔い

知った人や思いいれのある著名人が亡くなるたびに、私はTwitterで弔いの言葉をつぶやくかつぶやかないか、100回ほど迷う。下書きに入れて書いては決して、「投稿」ボタンに触れるその瞬間まで迷う。ギリギリまで迷っておきながら、私は1回も弔いのツイートをしたことがない。

Twitter上でおくやみを申し上げようとするとき、私にはなぜだか広島で毎年8月6日の夜に行われる灯籠流しの光景が思い浮かばれる。和紙でできた灯籠には各々の平和を願う言葉を書き、それぞれの思いのままに静かに下流に向かって灯籠を放つというイベントだ。ゆらゆらと、しかし惜しげもなく河口へつき進んでいく様子を私たち生けるものはただぼーっと見つめることしかできない。

あの祈りが書かれた灯籠は、一体どこへいくのだろう。どうなってしまうのだろう。もしかすると、瀬戸内海に出る前に水に溺れて沈んでしまうのかもしれない。子供の頃は、そういう純粋な疑問をずっと抱えていた。

川に流された灯籠がどうなるのかはわからない。どこへ行くのかも、きちんと「届くべき場所」に届くのかもわからない。「その行為になんの意味が?」と聞かれてもどうにも答えられない。けれど思わずやってしまう。祈りをこめてしまう。願いを託してしまう。

大人になってから、そういう行為は死者のためというよりむしろ、他ならぬ私たち生きている者のための儀式であることを知った。そうでもしないとどうにもならない、なんにも考えずにただ取り組むための儀式がなければ、未だ死を知らない私たちには整理がつかないらしいのだ、と。

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今日、私でさえ大学時代まじめに講義を受けていた劇作家・宮沢章夫の死を知った。齢まだ65歳だったという。

反吐が出るほどたいへんな退屈な思いをしていた私の学生生活において、「文キャン」と言われる文学部・文化構想学部の授業はよく晴れた日の屋上のような場所だった。誰も来ない、邪魔されない、ものしずか、眺めがよく、たまに私と同じようなタイプの気の合う人が訪れる、そんな場所。

空きコマであってもそうでなくても、私は足繁く文キャンに通っていた。さも自分はカルチャー系の生徒ですよ、という雰囲気をかもし出し、ひとりで堂々と教室の真ん中で講義を受けていたあの90分間が、どれほどいまの私とあの頃の私を救っていることか。

宮沢先生の講義「サブカルチャー論」も例に漏れず、私にとっては「屋上」なる場所だった。話の合間に音楽を流すというラジオのように洒落たスタイルで、「講義」というイメージを根本から変えられるような清々しさを感じた。このクリエイティビティーを法学部の教授にも見習ってほしいと何度思ったことか。

こんなに語っておきながら何を話していたかはあんまり記憶にないのだけれど、少なくともレイチャールズのこの音楽を知ったのは、間違いなく宮沢先生の授業だった。

流すタイミングといい、この音楽の曲調といい、これをBGMにサブカルチャー論を語る宮沢章夫があまりにもカッコ良すぎて、今でも新鮮に思い出す。

こういう90分間の豊さ、今ではもうどこでも手に入らないものになってしまった。それは私が大学を卒業したからというのもあるし、圧倒的な知識と教養を持つ年上の人間が周りにいないというのもあるし、なによりとうの本人がこの世を去ってしまったからに尽きる。

こんな思いを140字に収めることはやはり到底不可能で、この度もTwitterで100回ほど迷いながら結局下書きに入れて放置している。

宮沢先生への灯籠流し的なにかを求めてやってきたのがここ、noteだった。無理してビクビクしながらTwitterでお弔いツイートを垂らすより、ここで思う存分にしれっと書いた方が、随分と私らしい弔い・灯籠流しになるのでは?と思ったのだ。

宮沢先生、たいくつな学生だった私からも、ささやかなおくやみを申し上げます。どうぞ安らかに。



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