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ほんとうの言葉力

言語化力という言葉、あたくす(私)はあまり好きではない。
語彙力ならまだしも、言語化力というものを基本的にあまり信用していないのだ。もっと細分化して、その「言葉にできなさ」の理由がどこからくるのか、精査したほうがよいと思っている。「言語化」という言葉に知らず知らず含まている「ロジック」「納得度」みたいなニュアンスが、個人的にきらいなのかもしれない。

ということで、今回は言葉力というのを書いてみたいと思う。

いつものように哲学めいた内容になってしまいます。ご了承ください。

こうして高頻度で文章を書いていると、微妙な関係性の人から「言語化力たか〜い」「文章力すご〜い」と言われることがよくある。けれども、私は自分の言葉力が高いと思ったことは1mmもない。

そりゃあこうしてnoteにダラダラ書くことはできる。でもそれはなんというか、頭の中の「文字起こし」をしているだけにすぎないのだ。すでに脳内に溢れている言葉を、そのまま同じスピードでここに打ち込んでいくだけ。もし私がこれで「書くのが得意」と思われているなら、それはおそらく、脳内にある言葉をそのまま書き落としていくことに「慣れている」ということだと思う。それはべつに、言語化能力の話ではない。

私の中での「言葉力」は、脳内には存在しない、予想外すぎる事象に名前をつけ、文章にして表現することだ。いわゆる0⇨1の言語活動。

たとえば、外国に行って食レポをするとする。
もちろんその料理は今までに食べたことのないもので、具材の名前も聞いたことのないものばかり。けれども、なんとかしてその良さを日本語でレポートしなければいけないとき、そこでどんな言葉を出してくるかが、私が思う言語化という行為なのだ。

未知に出くわすと、脳の処理が追い付いていないので、「〇〇みたいな」「〇〇で言う××」というふうに過去体験した言葉でうっかり表現してしまうこともある。

しかし書く者たるもの、なるべく「以前体験した感覚」に頼ることなく、ピタッとはまる言葉の組み合わせを素手で掴んできたいところだ。今までになかったような言葉の組み合わせをつくりだすことで、より対象物を正確に表し、伝えること。それが言葉にすることの真の醍醐味なのではないかと思う、私は。

だから、例えばブータンに行って「カプセ」という揚げ菓子を食レポするときに、「ブータン版かりんとう」「ビスケットみたいな〇〇」と言い表しているうちはまだまだなのだ。(もっとも、特に国を超える場合にこういう強引な例えは文化の暴力になるから要注意)
もっと、「夏、森の中でやったBBQでカリカリになりすぎたベーコンにかき氷のシロップを垂らしたよう」みたいな、もう全く検討のつかない言葉を生み出したい。それでいて「なんだかそそられる」もの。
(カプセというお菓子は私も今てきとうに調べて出てきた)

もちろん、言葉は他の手段よりはっきりとした型(意味や語法など)を持っているぶん、どこまでいっても永遠に対象物を完璧に言い表すことはできない。言葉が対象に近づき、完全に一体化することはおそらく一生できないだろう。なぜならその、一生一体化できない微妙ではがゆい余白こそが、言葉で表現することの興だからだ。そこにどんな色の余白を持たせられるかが書き手の個性の出どころであり、モロ実力が出てしまう部分でもある。

まあ、余白の着色までいくとさすがに作家レベルになるかもしれないけど、多かれ少なかれ、書いている者は対象物と言葉をギリギリまで近づける作業が必要になる。

……のだが、このギリギリまで言葉で近づくことが、私は本当に本当にできない。コンプレックスだ。自らは書くのが好きで、言葉も好きで、他の人たちがなんと言おうと、言葉という手段の味方でありつづけたいと思っているのに。

経験したことのないもの、自分の引き出しにないものを言葉で捉え、言い表すことは本当に難しい。それは別に語彙が増えたからといって解決する問題でもないと思う。語彙が増えれば増えるほど、対象物の中身もろくに精査せずに「言い得た気になる」可能性が高くなるから。

そして、私の場合はその対象物が空間的・知覚的で目に見えないものであればあるほど言葉にしづらい。劇や音楽、人のたたずまい、いろいろな要素が複雑に絡み合って奇跡的に発生している何かは本当に言葉にできない。
すごく悔しいことだ。そういうものを言葉にして、違う層に広く届けていくのが言葉の役目なのに。

こう書いてきてふと気づいたのだけど、もしかすると、私の思う言葉力の向上に必要なのは、結局のところ自分の感覚にどっぷりと浸かる訓練なのかもしれない。いつも、「感じる」ときには「これをどう言葉にしようか……」などと思いを巡らせるうちに、感じるべき対象物は先に進み、ついに置いていかれるようなことがある。言葉のことは一旦おいておいて、その場のグルーヴ(最近、個人的によくつかう言葉だ)に飛び込むことも必要なのかもしれない。言葉にするのはその後の話だ。当たり前だけど。

この対処法があっているのか分からないけど、とりあえず私の苦手な0⇨1の言葉力を高めたい。……って、言葉については毎回おんなじようなこと書いてるな、私。


おまけ。

夏といえば、カルロストシキですよねえ。

この分かりにくい(決して派手ではない)かわいさ、色気、軽やかさ。タイプです。もっと上手く言えるようになりたいぜ。


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