「今度会ったら絶対にこれを言おう」があるから明日も生きられる
たとえその日がサイテーな一日であっても、あるいは天に舞うほどうれしいことがあったとしても、「次に会った時、あの人にこのことを伝えよう、絶対言ってやろう」と思える人が1人でもいるだけで、生きる力が湧いてくる時がある。
私の場合はそういう「絶対に話したくなる」人が今2,3人いる。どちらも思慮深く、その人の感覚、センスを信頼できる人だ。私の素直な感覚や考えをぶつけても、きちんとその人のフィルターを通した生の言葉を私に届けてくれる人。
短い目で見れば、私はそういう信頼のおける人たちと次回会った時におもしろい話ができるよう、毎日を過ごしていると言っても過言ではない。その人たちをわっと驚かせ、喜ばせ、ワクワクさせたい。もちろん自分の強固な意志もあるけれど、そういう信頼のおける人たちのリアクションも妄想しながら日々をつくっている節がある。
きっと彼らは自分では想像もつかないようなリアクションや言葉を与えてくれるだろう。そんなことを思いながら「話したいことリスト」を溜めていく日々が、私は楽しい。
私の中で信頼のおける人たちには分類がある。このテーマは主にこの人へ、このテーマはあの人へ、というように。
大学の寮時代の友達もそうだ。彼女の場合、私は主に最近観た/読んだ作品の解釈、自分の恋愛観、生き方みたいな哲学めいた話を日常のエピソードを交えながらする仲間。でもだいたいは彼女の話を聞いて、私の考えをゆっくり語りながら深めていく、みたいな深い会話が多い。話していて、一番たのしい人だ。愉快とかワイワイする楽しさではなくって、単純に、たがいの魂同士が共鳴しているたのしさがある。
彼女は私の100倍敏感な感覚を持っていて、うまくいえないけどその人のとるべき、あるべき(であろう)姿と1mmもズレていないところが好きだ。自分の生活の中のちいさな判断や決断から大きな選択に至るまで、嘘やごまかしが一切ない稀有な存在。1mmもズレていないのでやはりその人が持つ最大限のパワーを常に発揮しており、ズレていない敏感さを活かして今は人前に立つ仕事で活躍している。
今は少しだけ疎遠になっているけれど、彼女とはまた数ヶ月後に会って話をするだろう。その時はおそらく、舞台や展示をみて思ったこと、もう一つの仕事のこと、あるいは同じ信頼できる人の紹介をする。彼女に話したいことリストのストックが、会わないあいだにどんどん増えていく。それがまたいいのだ。
今日もまた、信頼のおける人たちに言いたい事象が色々起こった。
「人生って、人と付き合っていくことって、難しいよね〜」と言いたくなるような気まづい事象もあったし、反対に「これがあるから、人生はおもしろいよね〜、やっぱり人との縁や波長は関係するよね〜」という明るい事象も起こった。
日常の些細なあらゆることをそのまま引きずらなくて済んでいるのは、そうした信頼のおける人たちが常に心にいてくれるからだ。
半ば私の感情の墓場みたいになっている人たちだけれど、私はそういうことがあると必ず彼らを思い出して、ポストのように感情やネタを投函(ストック)するようにしている。
彼らならきっと、起こったことを理解してくれ、自分の言葉で感想を私に伝えてくれるだろう。そんな保証と信頼性のおかげで、どんなに気まづい面倒なことでも全て「これも次会うときのネタにしよう」というポジティブな気持ちになれるのだ。
肝心なのは、この「次に会った時に言う」というタイムラグ。
起こってからすぐに電話とかLINEをするのではなく、次に会うまでの数週間や数ヶ月間でネタを寝かせて発酵させるのがミソ(発酵するだけに...汗)なのだ。そうすればネタは会うまでにいくつもできるし、時間が経ってから醸成されていく気持ちのグラデーションや物事の進展も話せる。それを全て事細かく記憶して、次に会った時全てを出すこと。それがまた、奥ゆかしくなるのだ。
ああ、早く言いたい。今日こんなことがあったよ、昨日あんなことがあったよ。言いたいことが、もうたくさんある。
このネタのストックを、次に会うまでにどれくらい増やせるか。
私のあらゆる行為の根っこには、そんな思いもあったりする。進捗を生む、と言ってはなんだかビジネス臭いけど。つまりはそう、要は一緒にうまい酒を飲むためなのだ。
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