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岡崎京子『Pink』の感想

岡崎京子の『Pink』を読んだ。
申し訳ないけど、私にはごく普通の内容に見えてしまった。出版は89年。よくよく考えればもう30年以上経っている。そりゃあ時代も変わるわけだ。

当時は画期的な社会の見方だったのかもしれないが、今となっては割と普通に語られるようなお話になっている。22歳でお茶汲みをする主人公のOL兼ホテトル嬢(今で言う、デリヘルらしい)ユミちゃんの話。実の母は自らの目の前でストッキングで首吊り自殺、育ての親は美貌だけを売りに金目当てで父親と結婚したものの、すでに結婚生活は破綻して外で年下男と会う日々。(今でいうママ活)。そしてユミちゃんもこの新しい母の魂胆を見抜いており、ライバルのような関係になっている。30年間も状況が変わっていないのにも愕然としたが、なんなら漫画の時代の方が今の状況より豪華でさえある。状況は悪化している。

登場人物みたいなわかりやすい小金持ちはもういないし、小説の賞をとったって紙のスクープにはならない。22歳は金を持っていようが伊勢丹でお買い物をしないし、だいいち今の私たちのような若い世代は1周回ってみんな現実的だ。今はそれなりに地に足がついた生活をしている。主人公のユミちゃんと同じく希望や夢はないし、欲もないけど。
とにかく当時は見た目だけは華やかだったんだろう。社会の金の巡りの良さが、登場人物の危うい思い切りの良さに現れていると思った。

唯一、空っぽなお姫さまの唯一のストレス発散が「ワニ」であったことはやはり愉快だった。一番好きなセリフは「私にはワニがいる 強くて冷たくてなんでも食べちゃうちっちゃな恐竜」。
ここにユミちゃんとワニの関係性が全て現れている。ユミちゃんにとって、凶暴で怖がられるはずのワニは社会や心のゴミを捨てる、唯一のゴミ箱だったのだ。
今はなんだろう、サボテンとか?キラキラしたSNSとか?もっと綺麗で写真映えのするようなものがその役割を担っているのかもしれない。

ユミちゃんは直視すまいと見えない絶望を抱えている。その埋め合わせが派手で豪快なのかそうじゃないのかというだけで、やっぱり時代の根底に流れる深い虚無はあの頃となんら変わってない気がした。しかも今の私たちは、その長い虚無に巻かれて慣れてしまい、その上で平然と、素知らぬ顔でおだやかな生活を築きはじめている。
給料の手取りが年々減っていき、将来の年金もまったくアテにならなくなっても「特に希望はないが、特に不満もない」と答える若者たち、、、奇妙だと思うが、虚無や薄い絶望の上に、おだやかな生活が生まれている。
忘れてしまったのか、常にあるから気づいてないのか、隠すふりがうまいのか、わたしにはよくわからない。

その点いちいち行動が潔くわかりやすいユミちゃんの思い切りのよさに救われる。このまま自分達がいつか虚無に慣れてしまって、退屈していることさえも忘れてしまったらどうしよう、とさえ思えてくるのだ。虚無を虚無だと認識しているうちはまだマシだ。退屈だと思って南の島にいきたいと思うだけまだマシ。どれほどぶっ飛んでいようと、そっちの方がまだ救いようがあるのではないか。私たちにユミちゃんほどの体力がない。

本当に、金の巡りは、人々の思い切りの良さや、行動を大胆にするかどうかにつながっている。そんなことを考えた漫画だった。


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