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深夜日記㉗ いま、手紙を書きたい

2020/04/23

きょうの日記
9時、町中の防災スピーカーが響いて目が覚めた。不要不出の外出を控える内容をゆっくりと話している。
最近は、こうして防災スピーカーが目覚まし時計の代わりになることがたまにある。

昼すぎ、PCでnoteを読んでいると、一通の手紙が届いた。この春まで同じ寮に住んでいた友人からだ。
彼女はいま、実家がある大阪にいる。おなじ日に退寮したけれど、その日は互いに時間がなくて挨拶もできなかった。後日、渋谷で待ち合わせをして夜ごはんを食べたあと、彼女の新居に移動してお酒を飲みながらいろんな話をした。床の上のコップにそのまま生けてあった梅が、彼女みたいに凛と咲いていたのをいまだに思い出す。

その時わたしに渡そうとしていたらしいカードと一緒に、ちょっとしたお手紙を届けてくれたのだ。
友人の中では一番粋なことで個人的に有名な彼女だけど、いまは近所に住む友人と交換日記をしているらしい。書いたら家のポストに投函しあうんだって。なんか、いいなあ。

すぐに手紙のお返事を書いた。自分の家の中での過ごし方を書いたり、東京で会ったら二人でやりたいことを書いた。手紙をもらって、返信を考えるとき、すこし寝かせてゆっくり考えるのもいいと思うけど、わたしはすぐに書きたくなる。変なことを本気で言うと、さかなと同じように、お手紙の返信も鮮度が命だと思う。もらった手紙を読んでいる途中、心に浮かんできた思い出とか、言葉をすぐに新しい紙に書いて送ることで、相手が届けてくれた気持ちとちゃんと会話している気分になる。もちろん、これは会話のノリで手紙を送りあうときであって、シリアスな内容の手紙ではない。
他に送りためていた手紙と一緒に、3通投函してきた。

この期間で交換日記とか手紙とかを書きたくなる気分、分かる気がする。よく会ってた人に「今日はこんなことあったんだよ」って言いたくなったとき、それをLINEやインスタグラムで言うのと、手書きの文字で伝えるのは全然違うんだよね。
SNSは使う目的を求められがちだと思う。そういうところでは特別な関係でもない限り、とりとめのない会話や意味のない現状報告は基本的に好まれない。ちょっと違和感を感じてしまう。
その点手紙は返信はいつ返してもいいし、その人自身の文字で書かれた長い近況報告は、読むのも全然苦じゃない。むしろたくさん書いてくれて、うれしい。

時間をかけて何かできる状況にあるとき、ちょっと前時代的なことをしたくなるのかもしれない。お菓子を作ってゆっくりコーヒーをひいたり、kindleではなくて紙の本を読んだり。

わたしは紙に文字を書きたくなった。たくさん手紙を書きたい。
書くたびに、やっぱり手紙がすきだなあ、と思う。

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