2021.10.14

Every dog has its own day

いちばん書きたいことはいつだって書けないさ、と思いながら今日も筆をとる。

眠いので、朝昼を割愛。
とりあえず、今日は気持ちのよいお天気だった。日差しがやわらかくなってきて、いよいよ秋だと思った。

夕方から高円寺に行く。
今進行中の新しい企画で、高円寺の公園でカメラを趣味としている友人に撮影をしてもらう。駅前の八百屋には、見たことないほど艶かしい紫をしたナスが並べられていた。子供を迎えにいった帰りの親やサラリーマンたちが、足早に買い物を済ませて純情商店街のオレンジ色のアーチの下をくぐっていく。

高円寺と聞いた時、私はいつもオレンジ色を思い浮かべる。それはきっと、純情商店街のこのオレンジ色のアーチを何度もくぐったからだと思う。
ようやく秋が始まった高円寺の西日も、アーチの後ろでやわらかいオレンジをしている。


先日キングオブコントで優勝した空気階段のもぐらさんは、高円寺に住む高円寺芸人であることで有名だ。優勝してからは誰が出したのか不明な、おそらく街の人たちの有志で掲げられたであろう横断幕が純情商店街の入り口を飾っている。

このあたりで立ち止まって人の流れを観察していると、かなりの頻度でこの横断幕をスマホのカメラでおさめる人がいる。
それがね、みんな、うれしそうにカメラを構えるのだ。空のアーチに向かって。

この風景は「街の最高形態だな」と思う。

どこかに暮らしているだろう、苦労人の住人を街全体で見守り、祝福し、一緒に喜ぶ。きっと高円寺に住んでいる人たちは、住民としてこのもぐらさんの優勝をどこか誇らしく思っている部分があるのだろう。
空を見上げる人たちの嬉しそうな表情には、どこか清々しい、ちょっとした自信のような笑みが見えるような気がした。

画像1

この日の私の洋服のテーマは、まさにこの純情商店街の看板だった。
青、赤、オレンジなどのビタミンカラーがいくつか入ったボーダーのセーターを、真っ赤なパンツにタックインする。足元は 青地にオレンジのラインが入ったオニツカタイガーのスニーカー。
高円寺に住む友人に「撮ってあげるよ」と言われ、カシスのパックジュースをくわえながら看板の前に立って記念撮影をしていると、自転車に乗ったひとりのおじさんがらおもむろに話しかけてきた。繊維がボソボソになったマスクをつけて、色褪せた帽子はやや斜めに傾いている。

「もぐらさん、好き?」

「いやあ、もぐらさんは知ってますけど、私キングオブコント見てないんですよ〜〜。」

「もぐらさんはね、高架下の〜〜という安い食堂でいつも食べてたんだよ。(売れなかった頃は)貧乏で、金がなかったからね。あの食堂に行ったら、もぐらさんに会えるかもしれないよ。」

と自転車にまたがったまま全く同じ内容を2度繰り返して私たちに話した。
2回目が終わった頃に「そうなんですね!」と切り上げつつ、おじさんが進む方向とは逆に進んだ。

これが他の街だったら、私はかなりドキッとしていただろう。もっと警戒して、「なんだこの変人は」とおじさんをスルーしてしまっていたかもしれない。
それでもなぜかそうできなかったのは、あやしい初対面の人となれなれしく話せてしまうのは、高円寺という街が担保してくれる安心感や、納得感によるものだと思う。
安心感とは、おもしろい庶民がたくさん住む町、ということ。どこまで行っても、自分と同じような「普通で終わりたくないともがく普通の人」がいること。納得とは、高円寺なのだから、ちょっと「変わった」人もいて当然だ、別におかしくない、という納得感。高円寺にはまだまだサブカルの残党のような人が多く生息している。

夜の高円寺駅前のロータリーは治安が悪いというか、カオスの状態に近い。歌を歌う人もいれば、ビジュアル系の装いをした人、全てを忘れてひたすら飲みくれるサラリーマン、ちょっと近寄り難いモード系の洋服を着た人...
そこに踏み入っていく勇気はないけれど、あのロータリーの雰囲気はなぜか、不快な気分にはならないのだ。「ああ、高円寺らしいな」と妙に納得してしまう。むしろ、この街をそのまま体現していることに嬉しくなってしまう。
カオスすらも許してしまうような人懐こさ、憎めなさが、この街には漂っているのだ。

高円寺はいかにも「街」って感じがする。
生活する人の顔がよく見える街。人間の醜いところも、綺麗なところも、クリエイティブなところも、あたたかいところも、全てが見えてしまう。街は本来生きた生身の人間がいるのだ、ということを、強く感じさせられる。

そして、もぐらさんの横断幕。それを嬉しそうに見上げる人。
地方の駅に行くと、時々インターハイに出場する高校生の本名がデカデカと表記された横断幕が掲げられているが、私は今までにインターハイの横断幕を嬉しそうに撮影している人を見かけたことがない。
もちろん、その高校生を町民のほとんどは知らないという点もある。でも、横断幕が街に溶け込んでいるか、生活に溶け込んでいるかと聞かれれば、必ずしもそうではなかったように思う。

話は逸れたけれど、でもやっぱり高円寺は、街としての最高形態であるように思う。醜さも美しさも両方垂れ流して歩いている生身の人間たちが住む街。経済がその中だけで小さくものすごいスピードで回っている街。優劣や見せ合いや順序などない、横並びの庶民が暮らす街。子供も若者もご老人も元気に住んでいる街。
私は、高円寺にくるとなぜか毎回ホッとする。

夕方18:00頃、撮影をして、その後バイト先のお姉さんにバイト先で頼まれているインタビューをする。帰宅。


最後まで読んでくださりありがとうございます。 いいね、とってもとっても嬉しいです!