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秋空オムニバス

*ともだち

大学を卒業して、社会人になって疎遠になって、「友達」という名の友達がついに消滅した。それで悲しいかと言われると意外とそうでもなく、なんなら夏が終わっていま、秋空になってからようやく「あれ、私っていま、ひとり……?!」と気づくくらいの鈍感さ。

よく、「周りにいる5人で自分の人生が決まる」なんてたいそうことを言う人がいるけれど、まず周りにいるのが5人もいないケースが多いんじゃないのだろうか。

そもそも知り合いが多いことが必ずしもいいことだとは思えない。むしろ私は知り合いが少なければ少ないほどその人のことを信用できる気がする。SNS世代に生まれてしまったからこその歪みなのかもしれない。フォロワーが多い人こそ隠していることの方が多い。

別にいいじゃない、だってひとりでいる時間がこの上なく楽しいんだもの。自分が「自分」と仲良くしていること、それがいちばん大切だと私は思うのだ。

*蜘蛛ぐらし

昨日『おとうとぐらし』で弟といっしょに住んでいることを書いたのだが、私の生活ではもうひとり、いっしょに暮らしているひと(生物)がいる。

蜘蛛だ。

と言っても家でよく見る小さいやつ。いま名前を調べてみたら、「アダンソンハエトリ」という種類であることがわかった。背中に一本、白い線が入っているアレだ。

家で見るこのアダンソンハエトリは、むかしからなぜかころす気になれなかった。怖くもない。午前中か午後か、詳細は忘れたがともかく「蜘蛛は殺してはいけない、バチが当たる」と私のママに口すっぱく言われてきたからかもしれない。それに、蜘蛛はハエや害虫を食べてくれるすばらしいお掃除隊ということも知っていたので、もはや金のかからないルンバのようなテンションで家に住まわせていた。

最近、うちの部屋に住みついているアダンソンハエトリがいる。彼(彼女)は私が帰宅して部屋の明かりをつけると、必ず机の前の壁に現れて挨拶をしてくれる。まるで「おかえり」と声をかけられているようで、私は堂々とその蜘蛛に話しかけてしまう。

「ただいま〜! お出迎えありがとうね。今日はどうだった? たくさん虫たべてくれた?」

けっして言葉を話すことはないけれど、彼・彼女は私がぜったいに殺そうとしないことがわかっているので、これまた堂々と目の前を通り過ぎていくらしい。それもまた、無言の信頼関係みたいなかんじで気にいっている。

みなさんも家で見る蜘蛛はどうか、殺さないであげてください。かわいがってあげてくださいね。毎日律儀に挨拶しにきてくれますから、彼らは。

*守護霊的目線で

これは「自分が傷つかないために」でもあるし、「客観的にみていたい」という理由からでもあるのだけど、私はこの世や対人関係を守護霊的目線で見るようにしている。

わかりやすく言うと、「自分から幽体離脱して自分とその周りをみる」と言う感じ。私は今自室の部屋に座ってPCをパタパタと叩いているのだけど、意識や視点は常にこの斜め上、この肉体の斜め上くらいに漂っているのであろう守護霊的なポジションにある。
それゆえ人からはよく「冷たい」とか「怖い」とか「ストレート」だとか言われるんだけれど、この世は絶対的に、表面的に生きるよりも多層的に(=3D的に)見る方がはるかに楽しいし奥深いし納得できる、というのが私の考え。どれほどヒドいことがあっても、悲しいことがあっても、嬉しいことがあっても、常に守護霊的な目線でこの世を見ることを忘れないでいたいと改めて思う今日この頃だ。

……って、「は?」って感じですよね。

夜と朝は冷え込むようになった初秋、みなさまどうか、お体にはお気をつけくださいませ。


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