見出し画像

8/27(日)日記

*本当に書きたいことなど

日記は自分の内面を恥ずかしげもなく心ゆくまで書ける場所であるはずなのに、いろんな磁場が絡み合ってきた結果、ここで本当に書きたいことなど書けなくなってしまった。いや、そんなことはnoteをはじめて数ヶ月後にはもう気づいていたことだ。一通り苦しみ、そして諦めたことではある。

ここには本当に書きたいことの2割くらいしか書いてなくて、しかもその2割は10倍くらい薄めている。よって私にしかわからない暗号みたいな形でしか表されていない。でもそんな暗号をわざわざ毎回読んでくださる人もいて、そんな方たちにはこのことをなんとなく知っていてほしいなと思った。いつもありがとうございます。


*天かす

かれこれ1ヶ月以上、週末に必ず泣く生活が続いている。

その涙の訳こそ絶対に書けない。言葉では表せないし(人は言葉にならない感情にぶち当たると涙が出るんだ、というのが今回の気づき)、なんとなく書きたくないし書けるようなもんじゃない。ある時は悲しみ、ある時は苦しみ、ある時はやるせなくなり、ある時は自分への嫌悪感で泣いている。

けれど流すものを流せば気持ちはすっきりするので、ぽろぽろ泣いたあとは毎回嘘みたいにケロッとしているし、月曜日からは何事もなかったかのように日常へまた戻れている。むしろ月曜日からの日常に救われている。それがなかったら暇と思考を持て余して、また鬱の3歩手前まで行っていたかもしれない。日常があるおかげで翌日には泣いていたのが不思議なくらい、詳細は忘れている。まぁそれでも1週間後にまた泣くんだけれども。

今日も例のごとく4滴くらい泣いた。泣いたらスッキりしたので何事もなかったかのようにラーメンを食べた。その後、腹が膨れているのにコンビニでシュークリームを買って胃に詰め込んだ。何かをぐいっと押し込むかのように。

隣町の24時まで開いている本屋に行き、仕事に関わる本とふと目についた本を購入した。『暇と退屈の倫理学』『水中の哲学者たち』という哲学系2冊に、山田詠美の小説『ぼくは勉強ができない』というセット。どれもあまりにも有名すぎて全く読書マウンティングにならない。もちろんそんなことをしたいんじゃないが。

最近、よく本を読んでいる。数ヶ月前は本を読む気にもならず、Netflixで配信中の人気アニメをぼうっと眺めるだけで満足だった。けれど今この気分に合うのは本しかない。活字。時間を経て届く著者からの言葉のメッセージしかない。いろんなことが分からなさすぎた学生時代も今思えばかなり本を読んでいたが、今もその頃に劣らず手当たり次第に本を読んでいる。私の場合は何かに迷うと自然に本へと手が伸びるのかもしれない。

今もずっと何かを探している。

人生ではじめて出くわすこと、感情、正解のない問題。それらの受け止めかた、整理のしかた、感情の名前、向き合い方のヒント。詩や本の1文だけでもいい。1文だけでもいいから、このよくわからない混沌に誰か早く名前をつけてほしい。助けてほしい。整理してほしい。だから読む。
こういうものは気軽に「整理」できるようなものじゃないとわかってはいるものの、混沌を混沌のまま放置しておけるほど私の心にはまだ余裕がないようだ。今は藁にもすがるような思いで乱読している。

正直苦しいし辛い。でも逃げ出さずに耐えているのは、カオスすぎた学生時代の経験からなんとなく、これが一過性の心の嵐にすぎないことを知っているからだ。この迷い、この苦しさ、この分からなさ、なんとなく「あの頃」と一緒だ。社会に出る前に「自分とは何か」「何が好きなのか」「自分はどう生きたいのか」を真剣に考えていた頃と。

今はそれとはまた階層の全く違う悩みに頭を抱えているが、この嵐が通り過ぎればきっと、私という人間はもう一段階次のステージへ進めるはずだ。そうすれば空はどんなに青く見えているだろう、何気ない日常をどんなに愛おしく思えるだろう、愛する人たちを、どんな気持ちで愛しなおしていくのだろう。その晴れ間を楽しみに今を踏ん張っている。静かに、しぶとく、諦めずに。

本屋を出て、この混沌を人に話してみようかなと思い、その街に住む友人に連絡をしてみた。アルコールの気分ではなかったので、例の「お茶しよう」と。

15分待ったが、既読にならなかった。これはひとりで立ち向かえということなのだろう。そしてやはり、わたしには「お茶する」ができない。知ってはいたが、急に疲れがきた。くそ。やっぱり自分ひとりで深く潜っていくしかないのかよ。またかよ。またこれかよ。

「やっぱりか」という無念さを抱えて電車に乗り、タバコを吸って歩いて帰る。もう喉がカラカラに乾いていた。24時間空いているスーパーに寄り、1L100円のペットボトルコーヒーを買った。レシートも貰わず早々に店を出た瞬間に道ばたで蓋を開け、直接口をつけてラッパ飲みした。

あんなにも苦くて、おいしい、喉元をすっと入っていくブラックコーヒーは人生はじめてだった。たぶん2度はないだろう。もうふんばるしかない。もっと潜って、もっと強くなって、もっと深く愛して、もっと人生を楽しみたい。

毎週末わたしが流す涙は天ぷらの天かすだと思って許してください、極上の天ぷらを揚げてますから。わたしはあなたに言ってます。


今日の1曲。
毎週恒例、野村訓市氏のラジオで流れてきて思い出した曲。今日は大貫妙子版だった。わたしは小学校の文化祭的な行事で歌っていた。

歌っていたというか、正確に言えば「(先生に)歌わされていた」という印象が強い曲なんだけれど、幼少期の歌というのは後々思い出すために歌わされるんだな、とこれを聴いて思った。

あの時は全く響かなかったのに、大人になってから聴くと込み上げてくるものがある。
坂本龍一氏が手がけた曲なんだそうです。



最後まで読んでくださりありがとうございます。 いいね、とってもとっても嬉しいです!