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8/28(月)日記

はい、毎日更新であるはずの日記がだんだんと2日に1回になってきました。今日も元気に更新していきます。

*「幸福がはち切れそう」

昨日の日記用メモにこう書いてあった。「幸福がはち切れそう」と。
たしか昨日読んでいた本に書いてあった言葉で、しかも文脈は全然よくない感じで出てきたと記憶しているのだが、なんだかいい響きだなぁと思ってメモをした。

決して日記で扱うようなテーマではないと思うのだが、それにしても「幸福」ってなんなんだろう。物質的に事足りていること、毎日寝る場所と食べるものがあること、そういうものをあげ出したらキリがないが、もっと絞って心理的な状態にフォーカスすると、私にとっての幸福とは、「自分の中に貫く一本の何かとピタっとくっついている」状態なんじゃないかと思う。

いやー書き出してから言うのもアレだがこんな内容絶対15分の日記に書くようなことじゃないな。果てしなさすぎる。

とにかく、自分を貫く一本の軸とはその太い軸の中にさらにいろんな線が詰まっていて、そこには自分の信念線や願望線や自分が好きな自分という線など、まぁよくわからない細い線が色々詰まっている。

それと、肉体的な自分がピタっと重なっている状態が、私にとっての幸福だ。のだけれど、それが「はち切れそう」とは一体どういう状況なのか。

気持ちが満たされすぎて、もう「胸いっぱい」ということだろうか。
幸せすぎて怖いという薄い危機感だろうか。

分からない。分からないけれど、この「幸福がはちきれそう」の語呂をみてなんだかいいなぁと思ったので、今日はこれを採集して保管することにした。

言葉って、これくらいテキトーでいいんですよ、おそらく。
私は言葉との距離が近いってよく言われるけど(いや、他人からはほとんど言われない、自分の中にいるもう一人の自分によく言われる)、
距離が近いから言葉そのものを真剣にひとつずつ熟考しているかと言われれば多分全くそうじゃない。

もっと軽率に、もっと適当に、言葉をふわふわ扱っているだけなのだ。
ふわふわ扱っているから、時に実態と乖離を起こしたり矛盾を起こしたりするけれど、その曖昧な感じを私は楽しんでいる。誰にも分からないけど自分だけは知っているこの感覚、を楽しんでいる。

あれ、幸福論を考えていたのに結局言葉の話になってるな。
まぁいいや。この日の日記はここまでとします。

私の脳内をご清聴いただきありがとうございました。

今日の1曲。

ポンセという人の『エストレリータ』という曲です。邦題は『小さな星』。
この曲はこのチェリストの宮田さんの動画をみて初めて知りました。後半から畳みかけてくる感じがたまりません。チェロってこんな高い音も出せるんですよ。うつくしいね。

ちなみにバイオリンverも至福です(多分こっちの方が有名)。

31日は満月だそうです。
秋の虫が鳴き始めた夜にいかがですか。ハイボール飲みたくなってくる。

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