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美しい言葉

「人間の心の中には生まれつきある音楽が流れていて、それに似た曲を人は好きになるらしい。『自分の曲は何だろう』といつも考えながら歌詞を和訳しています」

個人で洋楽を和訳している人のサイトに書かれている言葉だった。

本当に人の心に音楽が流れているのかどうかはさておき、私は久しぶりに「あぁ、美しい言葉だな」と思った。

「美しい言葉」は、人によって全然違う感覚だろう。
組み合わせがユニークなもの、「これは自分のことだ」と感じてしまうような普遍性を持っているものもあれば、声に出して読んだときの語感、「音」としての美しさを持つものもあるだろう。

私の場合、「いい言葉だなぁ」と思うことはたくさんあるけれど、「美しい言葉だなぁ」と思うものはそう多くなかったりする。

そんな自分の琴線に久しぶりに触れたのがこの一言だった。

自分が美しいと思う言葉ってどんなものだろう?とここ数日考えてみたものの、あんまり良い法則が見つからなかった。
が、どこかロマンチックで余韻が残り、かつ真理を表している言葉を美しいと思う気がする。

たとえば、「人間の心の中には生まれつきある音楽が流れている」という部分。何ともロマンティックなフレーズではないだろうか。そんなことを思い浮かべながら真摯に和訳している主にもロマンを感じる。思わず、「自分の心には、あの人の心には、どんな音楽が流れているだろう? 」と考えてしまった。

「心の中に」「生まれつきとある音楽が流れている」というフレーズをみた瞬間、私は胎児の心拍音とか、絶対に止まることのない海の音がとっさに思い浮かばれた。人間のDNAに流れている、どこか馴染みのある一定の周波数。リズミカルなメロディ。そのリズムや音の高低は聴く人によってさまざまだけど、どんな人の中にも必ず流れていると思う。音楽家は、自身の持つ一定の周波数の領域で音楽をつくっているのではないだろうか。そして、それと同じ周波数を持つものが引き寄せられ、ファンとなり、リスナーとなっていく……そう思うと、誰かと同じ曲を好きになるというそれだけで何だか奇跡のようにも思えてくる。まるで、広い海でやっと言葉が通じる生き物を見つけられたみたいだ。(それは盛りすぎか。)
きっと世界的に有名で後世にも語り継がれる音楽家は、その周波数のレンジがめちゃくちゃ広いのだろう。だから多くの人にブッ刺さるし、時代を経ても色褪せないのだと思う。

というわけで、生まれつき自分の心の中に流れている音楽を色々考えてみたのだけれど、これがよくわからない。もしかしたら、自分が死ぬ間際になって人生の走馬灯が流れはじめて、「あぁ、自分の人生はまるであの曲のようだった」と分かるのかもしれない。

自分についてはわからないが、人との思い出で流れる曲というのはけっこうある。その子に教えてもらって自分も大好きになった曲、帰り道で一緒に口ずさんでいた曲、好きな人と別れて思いっきり悲しむために聴いた曲……

そんなことを色々思い出させてくれる言葉が、私にとっての「余韻のある言葉」だ。ふと自分の過去や手元を見て色々考えてしまうような。自分でも忘れかけていたようなこと、考えたこともなかったイメージの中に連れていってくれる言葉を、私は美しいと思う。


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