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インスタを引退して1週間。みんな元気してる?

4月1日づけでインスタのアカウントを抹消した。

抹消した理由は「社会人になるから」「承認欲求に振り回されるのはもう懲り懲りだ」「物欲や隣の芝生の青さにかき乱されたくない」というものだった。私にとってはなくてもいいSNSだった。

実際、それは事実だった。別にのぞんでもいないのにきらびやかな画像を毎回見せられ、物欲を駆りたたせられ、自らの心身にネガティブな感情を巻き起こす。なんだかんだ言ってインスタには「美しいもの」しか存在が許されていないような気がした。結局女はより女らしく、男はより男らしくいないといけない気がした。もしそこを飛び越えるのならば、異端になるなら、それさえも美しくいなければいけなかった。毛穴のない肌。センスのいい服。センスのある店。センスのある撮り方。センスのある言葉。センスのある交友関係。その無言の圧が嫌だった。別に出会わなくてもよかったものに出会わされ、心の奥底にあった無傷だったものがどんどんザラザラになっていく感じ。自分が承認欲求のおばけになっていくのも嫌だった。
もういいや、つかれた。私は言葉の人間だし、ついったーとnoteだけでいいや、と思い、フォロワーへの告知の末にバッサリと消したのだ。

1週間経ってみて、たしかに「美しすぎるもの」の圧からは解放された感覚はある。「充実した生活マウンティング」からも解放され、見たくもなかったものを見るようなことはなくなったと思う。

けれども、1週間経って素直な感想は、「なんかさみしい」。
隙間時間や息抜きに開くのがTwitterとnoteしかなくなってしまった。暇潰しがなくなってしまった喪失感に、まだまだ慣れることができてない。

インスタには、インスタしか知らなかった(知)人が結構いた。ていうかほぼそうだった。そういう繋がりをバッサリと断ち切っての今だ。今は用があって連絡を取り合う人間の最低限のつながりしかない。
「特段の用はないがなんとなく知っている人」たちは元気にしているだろうか。

おかしいなあ、私は後腐れなくきっぱりとインスタをやめて、「突然視界から消えたミステリアスな人」をクールに演じるはずだったのに。
ここは比較考量(法学部ネタ)で、インスタを続けていた時の心身的苦痛と、インスタをやめた後の心身的苦痛を天秤にかける。どちらが重いか。

やっぱり、インスタを続けていた時の方が重い。これでよかったのだ。



インスタの皆さん、お元気ですか。
お花見には行きましたか。
もうすっかり春ですね。
新しい場所でも、元気にやっていますか。
仕事は、どうですか。
お体には、気をつけてね。
もう二度と会わない皆さんに、
遠くから、幸せと健康を祈っています。


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