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光。

人は生きているだけで大なり小なり、光を放つことができる。本人はべつにそんな気もないのに、生きてるだけで人は人に光を与えうる。その光が大きくても小さくても、どんな光であっても。

この世界では、たぶん、光が強いとか太いとか、光そのものの頼りがいよりも、誰かがちょっとした助けを求めて小さく手を伸ばした時、すぐに光に手が当たることの方が何倍もだいじだ。光がつよいとか、よわいとか、大きいとか、光の個体差は関係ない。
たいへんな時代だから、光はあるだけあった方がいいと私は思う。大きくても小さくてもどっちでもいい。点でバラバラに、色々なところでいろんな形で光ってる方がいい。自分のすぐそばにいる人たちに、たまにでもいいから、光を与えられる環境が整っているといい。なお、照らすことはひとを導くことではない。宗教でも、もちろんない。誰もがもちうる、もっとシンプルでベーシックなものなのだ。

そして、小さい光しか持たない人や、ごくたまにしか光を持たない人を排除しようとしないことも同じくらいだいじ。

つまりね、人が持ちうる光をジャッジしないこと。捨てないこと。大きい光だけを見ようとしないこと。その人が有名か有名じゃないかとか、やってることがスゴいとかスゴくないとか、真面目な人か怠惰な人かとか、フォロワーが多いか少ないかとか、やってることが小さいとか地味とか、光にはすべて関係ないことなの。

ひとりひとりが誰かの光になりうるってこと、もっと堂々と、高らかに宣言していいと私は思ってる。

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