かんげきろく。2『科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』 綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶』※ネタバレあり

刀ステの配信にぶん殴られ、通信環境のためにうまく見られなかった部分を見るために円盤に手を出していた頃。

新型コロナのために科白劇になると聞いていた新作のチケットを、刀剣乱舞のゲーム内から応募できるとお知らせがあった。

今までも恐らく、こういうイベントはやっていたはずである。しかしゲーム本体から離れていた時期もあったため、しっかりそれと認識するのは初めてであった。

生まれて初めて、自分の意思とお金で舞台のチケットを応募した。うちの近侍の歌仙兼定に、よその歌仙兼定の舞台が見たいからと手続きさせてその日を待った。

……とはいえ、意外とチケットが高かったこともあり(当時は相場も知らなかったのだ)、応募できたのは一枚のみ。

宝塚のお姉様方も来られるのでは、という予想も聞いていたため、かなりダメ元であった。


しかしうちの近侍は優秀だった。チケットを取ってきてくれたのである。

7/19(日)の昼公演であった。場所は品川ステラボール。

観劇に必要なマナーや用意した方がいいものを調べ、道順を確認し、その日を待った。


待ちに待った7/19。私はいつもよりおしゃれをして、コスメの陣で獲得した口紅やチークをつけたりしながら劇場に向かった。

天気は晴れ。ステラボールは寒いと聞いていたので上着も持って、意気揚々と出掛けた。

会場でパンフレットを買い、席につく。一番右端の席ではあったけれど、とにかく劇場にいるというだけでわくわくできた。篝火があるだけでテンションが上がっていた。

舞台が始まる。後ろから白い光が前面のスクリーンに投げ掛けられる。

「入電中」

「高度暗号通信傍受」


特命調査のイベントで見た演出であり、維伝の円盤でも見ていたから、これが出るだろうことは予想していた。予想していたが、実際に光の筋がスクリーンに投影されて文字を映し、古今伝授の太刀が話し始めた時、「これが実際に舞台を見るということなんだ」ととても感激した。


ソーシャルディスタンスを守って舞台の幕が開く。ゲーム本編では語られなかった、地蔵行平がガラシャを連れ出すシーンから。確かにこれが、すべての始まりになるのだ。ゲーム本編はもっとストーリーをちゃんとやってほしいと少し思ってしまった。舞台を見ない/見られない人には、なぜ地蔵行平がガラシャを「姉上」と呼ぶのかわからないままだし。

『いつもの本丸』(以下、ステ本丸)と違う本丸(以下、灯本丸)で同じように特命調査が行われた、その記録を読み進めるという体裁。

二つの本丸の特命調査はよく似ているが違いもあるという。その差を確認するために、特殊兵装の講談師と共に記録を閲覧する。そうして劇中劇が始まる。殺陣はスクリーンに映る時間遡行軍を切り裂く形で行われ、彼らはいつも舞台の中ですぐ近くに隣り合うことはなかった。

それでも、面白かった。

私の目の前で、地続きの空間で、彼らは戦い叫び涙する。あと籠手切はフォーチュンクッキーを歌う。

劇を何度も見てきた人には当たり前の、けれど私には初めての感動だった。

歌仙兼定はかつての主がボロをまとい、愛した女を殺せずに友に殺される姿を見た。そしてその友を打ち倒し、ガラシャに引導を渡し、地蔵行平を救い上げた。彼にとって、この任務は辛いもののはずである。ステ本丸の歌仙であって灯本丸の歌仙の話ではないとはいえ、義伝で細川忠興から「ワシも之定の刀を持っておる。自慢の刀じゃ!」と言われた時のあの表情。あれは歌仙兼定という刀がどの個体でも持ち得る「本体の物語」に関わるであり、ゆえにどちらの歌仙兼定も同じような反応をすることは想像に容易い。

思えばこの舞台は、『刀本体の物語』に動かされる者と、『顕現後に得た物語』に動かされる者の両方がいる気がする。

『刀本体の物語』に翻弄されたのは、なんといっても地蔵行平であろう。複数の『地蔵行平』がある中、明智光秀と細川忠興の刀であった意識を持つ地蔵行平。彼にとって細川珠はかつての主達の娘であり妻であり、ゆえに彼はそこから生まれた『心』で彼女を連れ出した。石を積んでも鬼に崩される堂々巡りの塞の河原から子供を救済するのは、彼が真言を唱える地蔵菩薩である。彼女は親より長く生きていたが、その閉塞した状況は塞の河原で石を積む子供と変わらない。

逆に、『顕現後に得た物語』をわかりやすく持ってきていたのは、山姥切長義だ。彼という刀自体のどこにも「聚楽第」は現れない。けれど彼は政府によって顕現された「元・聚楽第の監査官」という立場から、歴史改変を誰より否定する。その戦いを本能と言い切り、人でなしだと罵られたら「生憎と人ではないからな」と笑って見せる。そして、最も顕現後に得た物語がわかりやすいシーンがある。

キリシタン大名の二人に話を聞く際、彼は拳で右の頬を殴り付けて言った。

「『右の頬を打たれたら』?」

「えっ?」

「『右の頬を打たれたら』?」

「ひ……『左の頬も差し出』いてっ!」

彼は聖書を引用してみせたのだ。新約聖書本体ではなく、ルカによる福音書の中でイエスキリストが語った言葉である。

また、こうも発言している。

「『汝隣人を愛せよ』と、お前達の神も言っているではないか」と。

山姥切長義は100年ほど所在不明な時期はあったが、キリシタンの持ち主は調べた範囲では確認できなかった。へし切長谷部が引用するのは何もおかしくない。黒田官兵衛こと黒田孝高は今回の人間サイドで参加している通りキリシタンであったし、へし切長谷部の服装にはキリシタンの聖職者の要素がある。

だが、山姥切長義にその要素はない。今のところだが。しかし、何でもないことのように引用できるほど彼は聖書を学んでいた。ではどこで、彼はさらりと引用できるほどの知識を得たのか。

それはもう、政府であれ本丸であれ、『刀剣男士・山姥切長義』として顕現した後の物語であろう。個人的にステ本丸による『綺伝』が上演されたときに楽しみにしているのがここだ。同じ顔、同じ物語を持って顕現しても、その後の物語が同じ刀剣男士はいない。ステ本丸の山姥切長義はこのシーンでどう話すのかが、かなり楽しみだ。


また、宗教という面でも気になる対比はいくつもあった。

刀剣男士は神仏への祈りを口にする。地蔵行平は地蔵菩薩の真言を唱え、獅子王はかつての主が鵺を退治するときに唱えた南無八幡大菩薩を口にする。

しかしキリシタン大名とガラシャは祈らない。その信仰を口にすることはなく、服装の十字架と洗礼名で呼びあうこと以外に、彼らが信徒らしい行動を取ることはない。

歌仙兼定がガラシャの過去を語るとき、洗礼を受けたガラシャが祈るシーンがある。

「父なる神よ、この珠の罪を赦したまえ」

彼女はマリアベールのように頭に薄いベールを被り、首からロザリオを下げ、口ではこうして祈るが、その手は合掌しているのだ。

彼らの信心がどこにあるのか、それとも放棄された世界による繰り返しで擦りきれたのかはわからない。わからないが、だからこそ最期に祈ろうと口にした大友宗麟が悲しかった。正史に戻るというのなら、せめて彼らが満ち足りた生でありますように、と。この後に待ち受けている、自分達が引き起こさないようにした未来が、キリシタン弾圧だと知りながら。

……ところでこれ、本来なら春にパライソやって夏に綺伝って、しんどすぎるんですが?


舞台が終わった後、感想をふせったーで叫び、先に見たフォロワーさんと考察し、あれやこれやと意見を膨らませた。千秋楽パックも買って見返した。

それで、蛇について考えたことも最後に軽く語りたいと思う。

ガラシャは自らを蛇だと言った。それは夫である忠興に言ったとされる、「鬼のような男には、蛇のような女が似合いですから」という台詞をなぞるためだと、最初に見た時には思っていた。

けれど、蛇の他の意味を考えたとき、キリスト教のある話が思い出され……この放棄された世界と同じ仕組みでは、と思い付いた。

『失楽園』である。

蛇は楽園に暮らす原初の女イヴに、神が禁じた『善悪の知恵の木の実』をかじるようそそのかした。

イヴは口にして知識を得て、それを夫である原初の男アダムにも食べさせた。

二人は裸で暮らしていることが恥ずかしくなり、イチジクの葉を綴り合わせて服とした。

神に禁忌を犯したことに気づかれた二人は『今その屍を地にゆだね、土は土に、
灰は灰に、塵は塵に還すべし』と楽園を追放され、荒野をさ迷うこととなった。

これを今回の放棄された世界に当てはめると、符号する部分は多い。

蛇は楽園に暮らす原初の女イヴに、神が禁じた『善悪の知恵の木の実』をかじるようそそのかした。

→歴史修正主義者は未来を知らずに暮らす細川ガラシャに、自分達に都合のいい「今後の未来」を教えた。

イヴは口にして知識を得て、それを夫である原初の男アダムにも食べさせた。

→ガラシャは知識を得て、そのキリシタン弾圧の未来を高山右近や他のキリシタン大名にも教えた。

二人は裸で暮らしていることが恥ずかしくなり、イチジクの葉を綴り合わせて服とした。

→自分達の未来を知った彼らは行動を起こし、正史から分岐するための戦を起こした。

神に禁忌を犯したことに気づかれた二人は『今その屍を地にゆだね、土は土に、
灰は灰に、塵は塵に還すべし』と楽園を追放され、荒野をさ迷うこととなった。

→彼らの世界は放棄され、始まりも終わりもないループに取り込まれ、戦を繰り返し続けることとなった。


ガラシャが歌仙兼定に斬られることで放棄された世界は終わった、ように見えて舞台は終わっている。

けれど、ゲームでは「経路を封鎖した」と言っているのだ。

彼らの戦いは本当に終わったのだろうか。

本来の『綺伝』を待つばかりである。

コロナだ、ソーシャルディスタンスだと言われる中、今回は本当に素晴らしい舞台をありがとうございましたと、無事に走り抜けられた皆様に何度でもお礼を言いたい。

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