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精神科領域において、不安や気分の報告に依存することの危うさ

以前の記事で、精神科系の薬物の臨床試験の効果検証は、「ほぼ患者さんの自己報告」という点が問題だと書きました。実際には、臨床試験だけではなく普段の診察場面においても自己報告です。

患者さんが、自分の症状や身体の痛みなどを訴えるという点では、どこの診療科でも最初は自己報告なのですが、その後にレントゲンや採血など客観的判断が可能となるように検査をします。でも、精神科領域では、最初から最後まで自己報告なのです。特に、不安や気分についての報告を基に診察が行われ、処方が行われています。

今回は、診察場面で患者さんの不安や気分の自己報告のみを参考にすることの危険性について説明します。

ちなみに、精神科領域では、患者さんに最近の気分や気持ちについて、2択や3択で回答してもらうような心理検査が用いられています。質問の例を挙げれば、「この1週間、とても気分がよい」とか「なにもやる気になれない」「死にたいと思う」などです。患者さんの内面的、主観的報告を求める質問がほとんどです。「週に何回、登校や出勤できているか」などの客観的な情報についての質問はほとんどありません。

一部の専門家は、「標準化された心理検査は、客観的数値を測定できる」と主張していますが、不安や気分について尋ねている質問紙検査も結局は「自己報告」です。

それらのどこが問題なのかでしょうか?今回はそれを事例で説明します。


コヤノさんは、運転中に息苦しくなるという経験を繰り返すことで運転が怖くなり、家族がいなければ、他の乗り物にも乗れなくなってしまいました。コヤノさんは日常的な不安を訴えて心療内科を受診したところ、「飲むと不安感が減りますよ」と言われて抗不安薬を処方されました。

そこで、服薬を始めたところ、実際に気分が楽になって不安感が減弱しました。

コヤノさんの初回受診時と比較して、数か月後の不安に関する質問紙得点は改善傾向を示していました。そこで医師が「改善しましたね」と言い、同じ処方を続ける判断をしました。

それから数週間、数か月が経過してもコヤノさんは車を運転できていません。でも、不安感は初診時よりもあきらかに減少しており、家族の運転であれば問題がないため、そんな生活にも慣れてきています。

不安感の減少は、たぶん、運転しない生活に慣れたということでしょう。

このような状況が続き、受診しても医師からは具体的なアドバイスはなく、淡々と薬の調整と処方が続くだけです。コヤノさんも現状の生活に慣れてきているので、「なんとかやれています」などと答える程度で、診察は数分で終わります。


この事例は、決して大袈裟な内容ではありません。もちろん、患者さんの生活状況について丁寧に聞き取りをする医療機関もあるはずですが、コヤノさんの事例のように、その時の気分や不安感を聞いて、それだけで判断してしまうことも多いです。というか、おそらく後者のほうが圧倒的多数です。

気分や感情はその日、その時々によって大きく変化するものです。その気分や感情の報告のみで治療の効果を判定していると、実際の生活は何も改善していないのにうまくいっていると勘違いされてしまうことがあるのです。

もし、この事例が自分自身だったらどう感じるでしょうか?

乗り物への不安を訴えても、「不安は改善して落ち着いているようですので、このまま服薬を続けてください」と言い、それ以上具体的なアドバイスがなかったらどうでしょう。

もちろん、それでも「まあ、仕方ない」であきらめるのも選択肢の一つです。運転に拘らず、他の方法で楽しく生活ができるならその選択もありです。

一方で、気分だけではなく、車の運転のように実際の困りごとを解決したい場合には、行動療法や応用行動分析学に基づくカウンセリングが効果的かもしれません。

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