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小説|瑠璃色の瞳2(6)

市民の避難が一通り落ち着き、皆が聖宮に戻った後、芽依は竜樹と別れ、城へ向かった。
靄が消えてから、市場は特に何事もない。逆にそれが不安を覚えはするが、気配もない故に靄が消えた先の特定も不可能だ。
ともかくその件は、屋敷に帰ってからテヌートに相談する事にして、今は陛下との豊潤祭の対応について集中しなければ。
国が不安定な今、政を成功させる事の意義は大きい。
それは、国王や聖女である自分が一番良く分かっている。

国王が会議等を執り行う広間の扉の前で、芽依は一度ゆっくりと深呼吸をする。
左右の兵士に配目すると、彼らはそれぞれ両側の扉を押し開いた。
芽依はそのまま中に入り、玉座に座る国王の正面に、少し長めの距離をとって立つ。祭司は既にそこにおり、芽依の斜め前方に位置していた。
膝を軽く曲げ、礼をとる。

「ーーーーわざわざお越し頂き、感謝致します」

透き通った声音が広間に響き渡る。三人の王子がいるとは思えないほど、顔立ちもまだ若い印象の国王は、芽依にふわりと微笑みかけ、優しい表情を浮かべた。

「いえ。お呼び頂いたのに遅くなってしまい、申し訳ありません」
「市場で異変があったと報告がありました。宝珠が壊されてから、民の不安は膨らむばかりです」
「豊潤祭も近い。我々信徒は特に、神の力が籠められている宝珠が壊れた事が、一層の不安を煽っている。……早急に、宝珠の代わりを用意する必要が出てきた」

今日、国王と祭司が二人で話し合った事を、芽依に次々に言い募る。祭司は聖女である芽依の庇護者的な立場の為、芽依に対し敬語で話す必要はない。

「宝珠は元々、隣国から賜ったものです。隣国ならば、宝珠を修復出来る可能性があるかもしれません」
「…………宝珠を扱えるのは聖女だけだ。お前が宝珠を持って隣国へ向かう必要がある」
「芽依も大変な時だとは存じております。けれども、民の為、まずこちらを優先して頂きたいのです」
「市場の事は、私や巫女達で対応する故、案ずるな」

話を聞きながら、考えを巡らせていた芽依だったが、祭司の一言で心が決まった。
芽依は一度ゆっくり瞼を閉じ、それから、同じくらいの時間をかけてゆっくりと開く。
そこには、聖女としての顔をした彼女がいた。

「お願い出来ますか」

国王もまた、国を背負った威厳のある表情を浮かべている。
芽依はそんな彼をしっかりと見据え、一つ頷いた。

「……ーーーーはい」



広間を出て、城の廊下を歩く。
隣国まで馬車で五日半。三日は滞在すると考えると、最低でも半月はこの国を離れる事になる。小さい頃から聖女になる為に修行を行っていた芽依にとって、国を離れる経験は初めてだった。

「…………大丈夫かな、私……」

思わず本音が漏れる。はぁとため息が自然と零れた時、突き当たりの曲がり角からパタパタと足音が聞こえてきた。
次の瞬間、角から裕祇斗がバッ!と勢い良く飛び出してくる。

「!わっ」
「芽依!あー……良かった、まだ居た」
「裕祇斗?どうしたの?びっくりした……」
「わり。さっき兵士から芽依が城に来てるって聞いたから、もしかしたらまだ居るかもと思って急いでた」

そう言って裕祇斗は、約二週間ぶりに会う婚約者を見つめる。
戸惑いと驚きが混じった彼女の表情を眺め、裕祇斗は無意識に芽依の頬に右手を添えた。
そうしてふわりと微笑む。

「……ーーーー良かった、会えて」
「ーーーー」

芽依は驚いた表情のまま固まる。
久しぶりに。
……本当に久しぶりなその声に、芽依は安心感を覚え、次の瞬間には体の力を抜いた。

「…………うん」

芽依もつられて微笑む。

「…………怪我、もう大丈夫なの?」
「あぁ、うん。ちょっと痛むくらいだから、大丈夫だ。杙梛も来てくれたから、大した事にはならなかったし」
「杙梛さん……?」

裕祇斗はあの日、芽依の屋敷で獣に襲われた時、杙梛に助けられた事を話した。
裕祇斗は初め、獣の声しか聞こえず、姿を捉える事が出来なかった。しかし獣に噛まれ、死に近付いた事で、その姿を捉えられるようになった。
それに対し杙梛は、屋敷に駆けつけた当初から獣の姿が視えていたように感じた。

「え…………そうなの?」

芽依の声に驚きが混じる。
杙梛には死神や獣など、人ならざる者の姿は視えないと思い込んでいた。
あの時、芽依の側に駆け寄った杙梛は、『こんな危険な所に芽依様お一人を残して行くなど』と言っていた。
あれは、死神のトキとリーフィアの姿は視えておらず、原因不明に爆発した聖堂に芽依だけが留まるのは危険だと判断しての発言かと思っていた。
…………のだがしかし。
そもそも、トキと杙梛に面識はない。
トキは基本、芽依と二人の時しか姿を現さないし、もしかしたら、もう一人の幼馴染である枢すらトキの存在を知らない可能性もある。
もし、トキに昨日まで会った事がなく、上空で戦う二人の死神の姿が視えていたのだのすれば、正体不明の二人が爆発を起こしたと考えたはずだし、芽依はそれに巻き込まれている、と考えたのではないだろうか。
つまり、姿が視えていてもトキを知らなければ『芽依様お一人で』という言葉に繋がるのは当然である。
聖宮にいる神官も人外のものを視れる者はいるし、芽依の弟である三津流にもその力がある。杙梛もきっとそれに近い者なのだろう。

「……そういえば、何で芽依、王城に呼ばれたんだ?」
「あぁ、実はね、私すぐ隣国に行かなくちゃいけなくなったの」

先程の国王との会話をかい摘まんで裕祇斗に伝える。
すると、俺も一緒に行くよ、と当然のように口にする彼に、芽依は静かに首を横に振った。

「裕祇斗には、三津流の側に居て欲しいの。私はどんなに頑張っても数日は家に戻れないし、三津流一人だと心細いだろうから……」

隣国との交渉に、三津流は連れて行けない。それは裕祇斗も重々承知だ。だが、曲がりなりにも第三王子は聖女の護衛も担っている。芽依一人で行かせるのには抵抗があった。

「……お前の護衛は誰が付くんだよ。門番連れて行くのか?」
「あ……、それは」
「ーーーー芽依様」

芽依が口を開きかけた時、杙梛が現れた。

「お話し中申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。どうかなさいましたか」
「……国王陛下からお聞きしました。急ぎの旅ですので、馬車をご用意します。お屋敷に荷物を取りに行かれるのであれば、そちらに向かわせますが」
「そうですね……。一度屋敷には戻るので、そうして頂けますか」
「畏まりました」

杙梛は二人に一礼して踵を返す。
芽依は裕祇斗に向き直った。

「私の事は心配しないで。行きは同行してくださる方がいるし、……もう一人、来てくれるから」
「……もう一人?」
「うん。私の屋敷の新しい護衛?みたいな?」
「………」
「だから、テヌートは連れて行かないけど、大丈夫」
「………………分かった」

裕祇斗はそっと、芽依の手を取り、軽く握る。

「…………一緒に行けなくて、ごめん」

真剣なその声音に、芽依は静かに首を横に振った。

「……ーーーー私は、大丈夫。……ありがとう、裕祇斗」

芽依は、その手をきゅっと握り返す。
本当なら、側に居て欲しい。
けれど、芽依には芽依の。裕祇斗には裕祇斗の、やるべき事があるから。
少女は、握った手をゆっくりと離す。

「……ーーーー行ってきます」


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