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小説|瑠璃色の瞳(7)

東の空が明るくなる。
屋敷の屋根の上で朝を迎えたトキは、無表情下で地平線を眺めていた。
すると、彼の瞳が不意に下へと動く。

「…………何してるの?」

問いかけた先では、芽依が屋根の上に登ろうと、必死で手をついていた。トキと目が合うと、あはと笑う。

「朝ご飯、一緒にどうかなと思って」
「………………?」

トキは不思議そうに小首を傾げた。本気で芽依の言葉の意味を理解しかねているようだ。

「昨日も食べてないでしょ?お腹空いてないかなって……」
「………………いや。僕は……食べなくても平気だから」
「そうなの?テヌートは毎日きちんと食べてるけど……」
「…………それは……」

何とか登りきった芽依は、トキの隣に移動した。トキはテヌートがいるであろう門の付近に目線を向ける。

「……テヌートさんは多分、生きてた時の食事が、懐かしいんだと思う」
「…………生きてた、時?」

芽依の言葉を受けて、トキは小さく頷く。

「僕ら死神は、元は皆人間だから。罪を犯して死んだ人間が、その罪を浄化するために死神になるんだよ」
「そう……なんだ」
「限られた人間だけ、死神になれる。死神は罪を償うまで働けば、……生まれ変わる事も許されている」

それを聞いた時、ふと芽依の脳裏に、ある記憶が浮かんで消えた。
自分しゃない、『誰か』の記憶。
そこにいたはずの、青年の優しい声音。
何を話していたのかは分からない。でも、すごく幸せで。すごく……悲しい記憶。
ーーーーそうか。
芽依の胸が小さく鳴る。
テヌートにも、この世に生きていた時代があって。
彼は、確かに人間だったのだ。

「……あれ、でも……そしたらトキくんだって、そうなのでは……?」

そう問いかけると、一瞬、トキの瞳の陰りが一層色濃くなったのを感じた。

「………………僕は……」

トキの表情が先程よりも僅かだが固い。

「……僕は、元々……人間じゃないから……。食事も、必要なかったし……」

何か、トキの纏う空気に、それ以上踏み込めない何かがあって、芽依も口をつぐんだ。
刹那、ぎし……と床板を踏む音が響き、襖を開ける音が聞こえた。
芽依ははっとして、屋根から下を覗く。すると、ちょうど部屋から出てきた忠文と目が合った。

「!……あぁ。芽依さんか。いやはや驚いたよ。おはよう」
「おはよう。ごめんなさい。今、朝食を用意するね」
「いつも悪いね」
「いつもお世話になってるのはこっちなんだから、忠文は気にしなくて良いよ。……ちょっと待ってて」

芽依は顔を上げ、トキを振り返る。

「トキくんも、降りてきて一緒に食べよ!忠文もいるし、食事は皆で食べたほうが美味しいよ」

そう言って芽依は笑顔で手を差し出す。
トキはどう反応して良いか分からず、差し出された芽依の手を無表情で見つめる。
そこには珍しく、戸惑ったような色が窺えた。
芽依はそっと彼の手を取ると、にこりと笑う。

「行こ、トキくん」



案内された部屋に入ると、既に膳が用意されていた。芽依に勧められるままに席に座ると、芽依は一度台所へ引っ込み、料理を持ってトキの膳に並べていく。

「急に食べると胃に良くないから、粥にしたの。塩を少しだけかけて食べてね」
「……………………」

そう言いながら、芽依は自分と忠文の膳にも同じものを並べた。
粥の他には小魚や漬物などもある。

「頂きます」

手を合わせて、一口食べる。それを見て、トキも粥を掬ってゆっくりと口に運んだ。

「……………………」
「……………………」
「…………どう?硬くない?」

沈黙に耐え兼ねて芽依が尋ねると、トキは粥から視線を芽依に移す。

「……大丈夫」
「そっか、良かった……」

芽依はその言葉を受けて、素直に笑みを溢す。
そして次に顔を忠文に向ける。

「忠文、今日の予定は?お昼まではいるの?」
「あぁ。今はテヌートくんに見張りを交代してもらってるんだけど、食事を済ませたら、また彼と交代するよ。今日は午後から裕祇斗様がお見えになるから、その時に一緒に城へ戻る予定だよ」
「あぁ、そっか」

芽依は今思い出したとばかりに両手を合わせる。

「じゃあ、そろそろ三津流を起こしてこなくちゃ。裕祇斗が来るのをいつも楽しみにしてるから」
「三津流くんは本当に裕祇斗様が大好きだからね」

忠文が目を綻ばせると、芽依もつられてにこりと笑う。

「私もそろそろテヌートくんと交代するよ。結局明け方からずっと彼に任せてしまったから」
「それがテヌートの仕事なんだから気にしなくて良いのに……」
「ははは。そういう訳にはいかないさ。ご馳走さま。美味しかったよ」

そう言って忠文が立ち上がると、芽依も部屋の外まで見送る。
忠文が門の方へ歩いて行くのを見てから、芽依は食事の場に戻った。すると、トキの箸が止まっていることに気付く。

「……トキくん、どうしーーーー」

言葉の途中で、トキがどこを見ているのか分かって、芽依は少し笑顔になった。

「ーーーーきっと、走ってここまで来るね。テヌート」
「…………うん」

トキがこちらを向く。その時、少しだけ表情が和らいだ気がした。
廊下をパタパタと走る音が遠くから聞こえてくる。
数秒もしないうちに、息を切らせた様子のテヌートが現れた。

「あー、腹減ったー」

ドカッと畳に腰を降ろし、汗を拭う。

「芽依、飯」
「ちょっと待って。三津流も起こしてきちゃうよ」
「そんなのトキにやらせりゃ良いよ。トキ、三津流起こして来い」
「はい」
「よし、んじゃ、めーし、めーし」
「………………子供か」

芽依は半眼になるも、言葉をそこで呑み込んで、台所へ引っ込んでいった。
ご飯を茶碗によそりながら、芽依はふと、疑問に思う。
……そういえば、どうしてテヌートは死神の力を封じられてるんだろう。
いつから、だろう。
私が物心ついた時には既にテヌートは王城からの門番としてこの家にいた。この家専属となったのは、私が六つの時。
ーーーーそう。ちょうど、お父様が亡くなられた年からだ。
ドクン、と重く心臓が鳴った。
芽依の心の中に、徐々に暗い影が落ちてくる。
あれ、私……。何か、大切な事、忘れてる……?

「…………い、芽依!」

急に大きな声で呼ばれ、芽依ははっと我に返る。
振り返ると、怪訝そうな顔をしたテヌートの姿があった。

「…………何してんの?お前。三津流も起きてきたぞ」
「え?あ……ごめん。すぐ用意するから」
「……………………」

芽依の様子を見て、テヌートが少しだけ表情を変えた。
それは本当に微々たるもので、芽依はその変化に気付かない。

「ーーーーどうした?」
「っ、…………」

問いかけられた瞬間、芽依はぎくりと体を強張らせた。
別に隠すほどの事じゃない。でも、今は、テヌートの顔がまともに見れない自分がいる。
テヌートはそんな芽依の動揺にも気がついているかもしれない。
彼の勘の良さは時々洒落にならないから。
心臓は先程から変わらず、ドクドクと音を立てて鳴っている。
その振動は脳をも揺らし、気を抜けば今にも倒れてしまいそうなほど大きく鳴っていく。
ーーーー何だろう。この感じ…………。
すごく、気持ち悪い。

「…………おい、大丈夫か?」
「………………、……っ」

熱でもあるのかと、テヌートは芽依の額に自分の手を当てようとする。……が、芽依は反射的に距離をとった。
テヌートは一瞬驚いたように目を見開く。

「ーーーー……」
「……だ、いっ、じょう……ぶ」

青を通り越して白くなった芽依が言葉に詰まりながらもそう返せば、テヌートは長い沈黙の後、伸ばした手をそっと下げ、諦めたようにため息をついた。
これ以上追及する気はないらしい。

「…………ま、それくらい動ければ問題ねーだろ。平気ならさっさと来いよ。俺はそろそろ腹減って死ぬ」
「……何それ子供か。トキくんから聞いたけど、死神はお腹空いたりしないんでしょ?ちょっとは我慢しなさいよ」

芽依は動揺を隠す為、無理に強がってみせた。テヌートはそんな彼女の考えも見え透いてるに違いない。だが、何も言わず、芽依に会わせるように彼も声を荒げた。

「今は!減るんだよ!お前こそ、俺が今死神の力使えないの知ってんだろ」
「あ……あーそう、だっけ……」
「………………お前な」

テヌートが半眼になる。芽依は誤魔化したように笑って盆を手にした。

「ま、まあまあ。早く行こ!ご飯冷めちゃうよ」
「………………てめぇ。絶対喧嘩売ってんだろ……」

語気の低くなったテヌートを軽く流し、芽依はトキ達のいる部屋に戻る。
歩きながら、芽依はテヌートに気付かれないように深く息を吐いた。
テヌートのいつも通りの口調のおかげで、普通に話せている自分に芽依は内心ほっとする。
脳の振動も、いつの間にか治まっていた。先程まで感じていた気持ち悪さもない。
大丈夫。大丈夫。
自分自身にそう言い聞かせながら、芽依はきゅっと口を引き結んだーーーー。


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