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小説|瑠璃色の瞳(17)最終話

夜が明けぬ内に、屋敷へと戻ってきた芽依達。
未だに目覚めないトキを芽依の部屋に運び、布団を敷いて横にさせる。
一息つかずに三津流の部屋に顔を出したが、本人は熟睡しており、裕祇斗が朝まで付いていてくれると言ったので、そのまま任せてきた。
……随分と迷惑をかけてしまったし、後で裕祇斗と忠文に何かお礼をしないとな……とぼんやりした頭で考える。
そもそも、穢れを浄化する為に屋敷に戻らず聖堂に居たはずなのに、聖堂そのものが壊れてしまった為、屋敷に戻らざるをえなくなってしまった。
聖堂がなくなれば、人々の祈りの場が無くなってしまう。
聖堂の再建と豊潤祭の準備も最優先でしなくては。
やることは沢山ある。
芽依はそっとトキの寝顔を眺める。
こんな風に、無防備な寝顔を見るのは初めてだ。それだけ、今回は力を消耗し過ぎたのだろう。
聖堂の崩壊で被害者も出た。枢もまだ目覚める様子はない。人々の不安は計り知れない。
こんな時こそ、聖女である自分が心を強く持たなければ……。
芽依が気合いを入れる為に、自分の頬をぱちんと叩く。
それとほぼ同時に、門番への報告が終わったテヌートが部屋に入ってきた。
テヌートは芽依を見て渋い顔をする。

「…………お前、まだ起きてたのか」
「……テヌート」
「トキは俺が見てる。お前は早く寝ろ。その顔、三津流が見たら心配すんぞ」
「うっ……。そう……なんだけど……」

ちらっとトキを見る。
芽依の考えはだいたい予想がつくテヌートは、ため息をついただけで何も言わなかった。
トキを挟んで芽依の正面に座る。右足を立て、そこに腕を乗せる。

「……魔王様の力は、人間の場合、そもそも命と引き換えに使うものだ。死神となった今でも、魔王様の力を使うには、相当体力を消耗する」
「…………トキくん、魔王の力を使うの、……怖い、のかな……」
「…………そう……だな」

そう言ってテヌートは乾いた笑みを溢す。
……本当にこいつは、変なとこ感が良い。

「トキは、自分の持つ魔王様の力を制御する事が出来ない。今は俺とパートナー契約してるから俺の力で何とか抑えてるけど、根本的な解決にはならない。…………でも、今日のトキの戦いを見て、俺は、お前がトキの力になる。そう確信した」
「…………私?」
「そうだ。だが別に、気負って何かする必要はない。お前とトキは光と闇。表と裏だ。トキはお前と一緒にいることで、自然と力を制御出来る」
「………………」

芽依はもう一度トキを見る。
彼が必死に戦っていた姿を思い出し、目を細めた。

「………………そう……だね」

トキが守りたいもの。宝珠を通して見た記憶で、自分の中にも同じ想いが生まれた。
芽依はゆっくりと瞳を閉じて、また開く。

「………………ねぇ。テヌート……」
「んー?」

テヌートの視線がこちらに向けられる。だが芽依は、トキを見たままだ。

「…………私ね、あの宝珠の光の中で、昔の……前世の記憶を見たの」
「………………」
「……私と同い年くらいの女の人の。彼女がね、……テヌートと出会ってから、彼女が亡くなるまでの記憶」
「………………」

テヌートは黙ったままだった。
静かに、芽依の言葉に耳を傾ける。
芽依の瞳が微かに震えた。

「…………彼女との約束も、……彼女の願いも」

約束、という言葉に、テヌートがぴくりと反応する。
そこで初めて、芽依はテヌートを見上げた。

「…………テヌートはずっと、彼女の願いを、叶えようとしてたんだね……」
「…………………」

暫くの沈黙。
テヌートはそっと視線を下へとずらす。その瞳はどこか違うものを見ているようだった。

「………………お前の前世の人間はな、一国の姫だったんだよ。七歳まで普通の姫で、俺はその護衛役だった」

当時、テヌートは十四歳。姫とは七つ歳が離れていた。

「姫は七歳の誕生日を迎えた頃から、神の声がハッキリと聴こえるようになって、国民からも神の現し身に違いないと、特別な存在として扱われていた。……そして、国王は彼女を不浄から護る為、塔の中へ閉じ込め、誰とも接触出来ないようにした」

中に入れるのは、日に二度、食事を持ってくる世話役の少女だけ。テヌートは勿論、他の人間との接触は一切禁じられていた。
護衛はテヌートを含め、二人だけ。塔の正面入口と裏口を見張る日々。
姫は時々、壁越しだが、テヌート達に話し掛けに来ていた。
姿は見えず、声だけが聞こえる。
それが少し、悔しくもあったけれど。
そんな日々を繰り返し、気付けば九年もの時が過ぎていた。


姫は明日で、十六になる。
当時は十六歳を迎えると、成人した女性と認められる。
明日からは、塔の警備がより厳重になるだろう。こんな風に姫と会話すら出来なくなる。
そんな確信が、二人には何処かあって。
今日が最後なのだと、お互いに分かっていた。
そんな時。

『ーーーー……そこで待ってて!絶対!動かないでそこに居てね』
『………………は?』

突然何を言っているのか、最初は理解出来なかった。
しかし、暫くして、脇の抜け道からひょっこりと顔を出した姫を見て、テヌートは本気で目を丸くする。

『え……姫?!外に出たら……』
『しー。今日だけの秘密……。はい!』

姫はそう言って、後ろで隠していた腕を前に出す。その手には、白い綺麗な薔薇が一輪。

『……誕生日、おめでとうテヌート』

テヌートは驚きで目を見開く。
自分の誕生日……すっかり忘れていた。

『……テヌート、たぶん覚えてないだろうなと思って……。驚いた?』
『………………はい。忘れてました』
『ふふっ』

テヌートは姫に促されるまま、その薔薇を受け取る。
そして、申し訳なさそうに目を伏せた。

『…………ありがとう、姫。……でも、俺だけ貰うとか出来ませんよ』

本来、彼女とは会話すら赦されない立場だ。物を渡すなど、端から諦めていた。
それでも姫は、笑ってこう言った。

『…………プレゼントならここにあるでしょう?』

そうして指差したのは、先程姫がテヌートに渡した白い薔薇。

『ーーーー……あぁ』

テヌートは何とも言えない顔で笑う。
姫の髪に、白い薔薇をそっと挿した。

『…………姫も……誕生日、おめでとうございます』
『ーーーー……ありがとう』

白い薔薇に軽く触れながら、姫はふわりと幸せそうに微笑む。

それから二人は隣に並んで、ただ星空を見上げていた。
心地好い沈黙。
それを感じながら、姫はそっと口を開く。

『…………ねぇ。テヌート……。私ね……』

テヌートは彼女を見る。彼女の視線は、空に向けられたままだ。

『…………もし、生まれ変われたら、今度は……。こうやってずっとテヌートと一緒に居たいな』
『………………姫?』
『…………壁越しじゃなくて、こうやって顔をちゃんと見て、笑い合える……。そんな距離で、ずっとテヌートの隣に居られたら良いのに』

彼女の願いを聞いて、テヌートは心臓が握られるような痛みを感じた。
彼女の髪に挿した一輪の薔薇。
女性が男性に花を贈る意味。それを、その女性の髪に挿す意味。
それは古来から、いわゆる婚約の儀式として行われてきた風習だ。
それを二人とも分かってる。でも、そういう意味があってはならない。
姫に贈り物を貰ったら、城の者に姫と接触していたとバレてしまう。貰った贈り物を返しただけ。他人から見れば、姫が白い薔薇を自分で自分の髪に挿してみただけ。そう思わせなければならない。
彼と彼女が、こうして顔を見て話せる。
それは、本当に奇跡のようなもので…ーーーー。
テヌートは瞳の奥を震わせ、そっと姫に挿した薔薇に触れる。

『…………そう……ですね。……俺も、そう思います』

テヌートの答えに、姫は微笑む。その瞳から、静かに涙が零れ落ちたーーーー。

その数日後、テヌートが姫と接触していたと国王に知られ、不浄に触れ、穢れたという名目で姫は殺された。
テヌートが任務で塔を離れている、一瞬の出来事だった。

「…………俺が戻った時には、姫は危篤状態だった。……そして、俺が罪を犯して地獄に行った時、魔王様に初めて会って気付いた」

魔王は、人の精神に働きかけ、その者の負の感情に干渉出来る。国王の精神は、魔王によって負の感情に染められていた。

「…………魔王様が、姫を殺した。……トキもそうだ。…………俺は、もう……誰も、魔王様の思い通りに殺させたりしない」
「………………」

芽依も、宝珠で視た記憶を脳裏に思い浮かべる。

『ーーーー……約束、だよ……』

死ぬ間際に姫が放ったその言葉を受け入れるのは、テヌートにとっては相当の覚悟がいっただろう。
それでも。
それでも彼は全てを受け入れて、姫の願いを叶えようとしている。

ーーーー生まれ変われたら。
こうして顔を見て、話せる距離で、ずっと一緒に居たい。

テヌートは芽依が物心つく前から、ずっと芽依の近くにいた。
両親が亡くなった時も、聖女になると決めた時も、変わらずずっと。
芽依は目を閉じる。
次に目を開けた時、芽依の瞳には強い決意と覚悟が宿っていた。

「…………私も、姫の願いを叶えてあげたい。……そして、貴方の願いも」
「………………」

芽依とテヌートの瞳が交わる。

「…………私は、魔王に殺されたりしない。……だから、テヌートも死なないで」
「お前……」
「私は護られるだけの姫じゃない。自分の身は自分で護れるし、戦える。……だから、私を護ってテヌートが死ぬのはダメ」

テヌートはきっと、芽依やトキを護る為なら、自分を犠牲にしてしまう。でも、それでは、姫の願いは叶わない。

「ずっと一緒に居てくれるんでしょ。私が死んでないのに、テヌートが勝手に死なないで……。私だって、テヌートを護れるよ」

芽依の言葉に、テヌートは目を見開く。
だが次の瞬間には、ぶっと吹き出して馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「…………お前、生意気」
「……む。テヌートには言われたくないから」

少し不貞腐れたように芽依が言う。
くくっと、溢れる笑いを何とか収めたテヌートは、芽依を見て、目を細めた。

「……ほん……っと……お前は全然姫に似てねーもんな」
「……どういう意味よ」
「そのまんまの意味だよ」

ぽんと芽依の頭に手を乗せ、フッと笑う。

「…………良いぜ。お前とトキが、どう生きていくのか、俺が見届ける」

トキと芽依を魔王の手から護る。それはテヌートが死神として生きる意味だ。

「ーーーー芽依」

東の空が明るくなる。暁の光が屋根に差し込んで来た。

「…………お前がどう生きようが、俺の意志は変わらねー。お前が光を神に返す。その役目が終わるまで、俺はお前を護る」
「ーーーー……」

芽依がじっとテヌートを見上げる。
……役目が終わったら、テヌートはどうするんだろう。出かかった疑問が喉で留まる。
聞いてもたぶん、答えてはくれないから。
だから……。
じゃあ、と躊躇いがちに口を開いた芽依が、テヌートに自身の手を差し出す。

「…………改めて。これからよろしく、テヌート」
「……………………」

差し出された手を無言で見つめるテヌート。

「…………お前、ほんっと馬鹿だな」

半眼になり、もはや呆れ顔。
反論しようと口を開きかけた芽依を遮り、パチン、とテヌートが芽依の差し出した手を叩く。

「いっ……た!いや、ここは握手でしょ!?」
「んなことするか、阿呆」
「阿……呆?……人の事馬鹿にするのも大概にしてよ!今は真面目な話してたのに!!」
「……うるせーな。トキが起きんだろーが」
「っ…………もー」

悔しげに唸る芽依。そんな彼女を見て、テヌートは勝ち誇った笑みを浮かべた。

そんないつも通りの喧嘩。久しぶりの平和な喧騒を喜ぶが如く、朝を告げる鳥が鳴く。
壊れた聖堂の隣。『始まりの森』に建てられた小さな塔から、神聖な鐘の音が街中に響き渡ったーーーー。

END.


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