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小説|瑠璃色の瞳(5)

どくん、と芽依の心臓がやけに大きく鳴り響いた。
この世には八百万の神々が存在し、川や森、木々の一本一本に至るまで、万物に神は宿っている。その神々が魂を分け与え、知恵を与え、創ったのが人間であり、全ての人間はいずれかの神の分御霊とされている。その中で、この世の光を統べる存在が太陽神であり、神の光は幸せ、願い、希望と同等のものを人々に与えてくれる。
光があるからこそ、人間は前に進むことが出来、道を誤りそうになっても立ち直れる。
全ての人間に光を与えているのは太陽神が居てこそだ。太陽神が失われれば、他の神々も力を失い、世界は闇に包まれる。
ゆえに太陽神は、最高位の神として天界に存在する、唯一絶対の守護神なのだ。

「……私、が……太陽神の、分御霊……」

どくんどくん、と芽依の心臓が強く激しく跳ね続ける。
バチッと閃光が弾ける音がして、一瞬、何処かの情景が芽依の脳を支配した。
くらりとよろめいて、思わず床に手をついてしまう。

『ーーーーけて……っ』

どくどくと、鼓動が鳴り響く。
目の前で。いや。自分と重なる所に膝をついた少女が、目の前に立つ誰かを驚いたような顔で見つめている。
その人物は、少女に向かって何かを振り上げた。
同時に、少女の心の声が芽依の頭の中に流れ込んでいる。
少女の瞳から一粒の涙が零れ落ちた。

『ーーーー……けて、テヌートーーーー』

目を見開き、床を凝視した。

「な、に……これ…………」

芽依は額に手を当てて、苦しげに眉を寄せる。
テヌートはそれを見て、僅かに瞳が陰りを帯びた。

「それは恐らく、お前の前世の記憶」
「前世……?」
「そうだ」

一つ頷いて、彼は続ける。

「お前の前世も同じく太陽神の分御霊だったんだよ。だが、その少女は奴らによって殺され、神は著しく力を失った。だが、神は奴らに対抗するべく、最後の力を振り絞ってお前をまた現世に送り出した」

いつの間にか、先程の妙な感覚は消えている。
芽依がテヌートに視線を戻すと、彼も真剣な眼差しで彼女を見返した。

「神は、最後の希望であるお前を失ったら、もう光を産み出す事が出来なくなる。お前は分御霊として、この地で得た光を神に返せ。それが聖女として、お前がすべき事だ。俺達はお前が聖女としての役割を終えるその時まで、お前を絶対に死なせない」

芽依は彼の嘘偽りのない言葉に、何も言えなかった。
突然の事で、頭がついていっていない事もあるだろう。
それに気付いてかは分からないが、テヌートは肩の力を抜くと、頭をポリポリと掻いた。
難しい話はここまで、とでも言いたげだった。

「つっても、俺は今訳あって死神の力を封じられてるからな。実質、お前を護るのはトキの役目だ」

芽依はトキのほうに視線を向けた。彼は相変わらず、静かな瞳でこちらを見つめている。
テヌートはそんな彼を見て、フッと笑った。

「いやー……実際、芽依とトキを同い年設定にすんのは失敗だったな。俺達はどー頑張っても、自分が死んだ歳までしか体を自由に変化させられないし、トキが死んだのは十歳の時だから、芽依が成長すれば確実にトキが幼く見えてくる」
「………………え」

テヌートの言葉を受けて、芽依の思考が一瞬固まった。
何だろう。今、ものすごい事を聞いた気が。

「え、え、ちょっと待って。トキくんって、私より年下なの……?」

重要なのはそこではない気がしたが、あまりにも頭が混乱していて、その疑問以外、口に出す事が出来ない。
確かに、トキは子供の頃は年相応の幼さを持っていた。だが、一時期から、トキは芽依よりも身長が伸びなくなっていた。年少の頃は女のほうが成長が早いから、そのせいでトキとの身長差が出てきているのだろう。
……そう思っていた。でも、違うのか。

「……………………」

トキは芽依の質問を受けても、何ら表情を変えず、けれども少しだけ、小首を傾げてみせる。
短いながらも、細くて綺麗な黒髪がさらりと音を立てた。

「……お前、本気で馬鹿だな」
「な……っ」

口を開いたのはテヌートのほうだった。呆れたような顔で、芽依の頭を軽く小突く。

「トキは死んだのは十でも、死神になってから百年以上生きてる。そこらの人間と一緒にすんな」
「……………………痛いんですけど」
「黙れ、アホ」
「アホじゃないもん!テヌートだけには言われたくないから!」
「ぁあ!?」

バチッと二人の間に火花が散る。
いつものように、他愛のない喧嘩を繰り広げている二人を見て、トキの表情が少しだけ変化した。

「ーーーー……」

ふと、何かを察して後ろを振り向いたテヌートは、トキのほうに視線を投じる。
トキの表情は依然と変わらないものだった。

「………………?」

暫く、向かい合ったまま二人の間に沈黙が落ちる。

「…………テヌート?」

芽依の呼び掛けにハッとしたテヌートは、トキを見て何とも言い難い表情を浮かべる。

「……お前、今日は疲れただろ。こっから右手に曲がって一番奥に俺達の寝室があるから、お前はもうお休み」
「…………分かりました」
「ーーーートキ」

出ていきかけたトキをテヌートが呼び止める。トキが振り返るのを待って、テヌートはふわりと笑った。

「ーーーー……ご苦労様」
「………………」

トキはぺこりと頭を下げ、今度こそ部屋を後にする。
先程の二人の間の妙な空気を感じてか、芽依は不安そうに襖の奥を見つめる。

「………………」
「あいつは変わらないねぇ……。もう十年が経つってのに」

いつの間にか芽依の隣にしゃがんだテヌートが、芽依の頭にぽんと手を置く。
そっとテヌートの様子を横目で窺うと、彼はどこか寂しげな顔で襖を見つめていた。

「……トキは、感情の表し方を知らないまま死んだから、一見すると感情がないみたいに見えちまうんだよな」
「……………………」

芽依は黙ったまま、テヌートの言葉に耳を傾けた。何故か、口を挟んではいけない、そんな雰囲気が、テヌートから感じられて。

「あいつが死神になって百年が経つけど、あいつが笑ったり、怒ったりするとこなんて見たことない。ただ淡々と、職務をこなすだけ。でも俺は、あいつにだって人並みの感情がある事を知っている。ただそれを、今まで意図的に封じられていただけなんだ」
「感情を……封じられていた……?」
「そうだ。……芽依、お前、魔王って知ってるか?」

新しく出てきた単語に困惑しながらも、必死で記憶を手繰り寄せる。
魔王。確か、悪魔や怪物の王として、地獄に存在している神だ。
正確には神ではないのだが、太陽神と同等の力を持っているとされており、一部では太陽神の負の感情が体外に放出された時に産まれたものが魔王だという説もある。闇を支配し、ありとあらゆる生き物の負の感情を自らの糧として創世より生き続ける存在。
それが自分の知っている全てだと、テヌートに告げる。

「……まぁ、だいたい合ってる。魔王様は、俺達死神の頂点にも君臨するお方だ。魔王様には、誰も逆らえない。……お前が太陽神の分御霊であるように、トキは魔王様から産み出された、分御霊…………正確に言えば、分身、かな」

魔王は、自らの力をさらに増幅するべく、自分の肉を千切り、それに負のエネルギーを籠めることによって人の形をとった自身の分身を創り出した。それを人間界へ送り、孤独や苦しみを与える事によって、分身の心を憎しみや恨み、悲しみで満たし、分身が死すると魔王の体に戻ってくるようにした。それで、自身の闇の力を強くする為に。

「分身は、人間界で生きてる間は、死んだほうがマシだと思うくらいツラい感情しか与えられない。魔王様が意図的にそういう状況にそいつを追い込むからだ。そして分身は、負の感情で心が満たされると、魔王様の声が聞こえるようになる」

脳裏に浮かぶのは、初めて会った頃の姿。トキはまだ人間で、俺はその魂の回収を任された、死神だったーーーー。


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