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小説|瑠璃色の瞳2(4)

朝のお祈りが終わり、休む間もなく芽依は聖宮の入り口近くにある少し広めの療養所へと入る。
そこには具合が悪く顔色が優れない人々が数人、壁に体を寄りかからせていた。
芽依はその中の一人の傍らに立つと、膝を折って視線を合わせる。

「……ーーーーどうなさいました」

透き通るような声が部屋に静かに響く。既にその表情は、凛とした聖女のもので。
青ざめた顔で芽依を見上げるのは、中性的な顔をした若い女性だった。
腕の中には、まだ一、二歳程度の男の子が眠っている。

「…………あぁ……聖女様……」

女性は芽依の顔を見て、安心したような吐息を溢した。
療養所で民の治癒をするのも聖女の役目だが、一人で診れる人数にも限りがある。一定以上を越えてしまう場合は、より重症な民を聖女が診て、軽度な人は数人の巫女に任せるしかない。
聖女の治癒とは一般的な病気や怪我を治すものではない。
ここでの治癒とは、穢れに触れ、気分を害した者達に聖女や巫女達が自らの光を分け与え、穢れを浄化する事をいう。
芽依は女性を安心させるように頷いた。すると、彼女の瞳が震え、涙が目の縁に溜まる。

「…………聖女様。どうか、この子をお助け下さい」

女性の懇願にもう一度頷くと、芽依は眠る男の子の左手を自分の両手で優しく包み込み、ゆっくりと瞳を閉じる。

「ーーーー……」

極々小さな声で紡がれたそれは、聖歌の一節だった。目を閉じた暗闇の中で、声に癒しの力が宿る。自分の光を彼の左手へ。仄かな風が二人を包み、芽依が聖歌を歌い終えると、余韻を残して風も止む。
目を開けると、男の子の顔は赤みを取り戻し、女性も幾らか顔色が良くなった気がする。

「あ、ありがとうございます」

礼を述べる女性に微笑みかけ、芽依は彼女にも同じように手を包む。

「貴女も」

治癒が終わり、すっきりとした顔の女性はもう一度芽依に礼を述べると、事情を説明し始めた。

「…………昨日の夜、急に子供が頭が痛いと泣きながら倒れてしまって……。朝起きたら、私もひどい目眩を感じ、立つこともままならず……近隣の方の力を借りてここまで参りました」

聞けば、似たような症状で倒れた民が、この場に集まっているらしい。
しかも全員、市場に家がある人ばかりだった。

「…………昨日の夜は、とても冷えていて……。今日も、まるで雪でも降るのかと感じるくらいの寒さでした」
「寒い……?」

芽依は、不思議そうに女性の言葉を繰り返した。表情には出さないながらも、内心は数々の疑問が浮かぶ。
第一、今は夏だ。最近はよく晴れていたし、夜なら多少の涼しさを感じることもあろうが、それでも、雪が降るような寒さにはなるまい。天候の問題でないなら、穢れに触れた事が原因で寒けを感じたのだろうが、そうだと仮定しても、芽依が昨日市場を訪れた時は、特にそういう類いの気配は感じなかった。
寒さの原因が分からなければ、病に伏せる人々は増える可能性が高い。この場にいる人達も、暫く市場から離れた場所に移ってもらうことを検討すべきだろう。
何にせよ、今日は城に呼ばれているので、その前に一度市場に行ってみるしかない。
芽依は女性に、暫くここで休んでいくよう言い残し、立ち上がる。近くにいる巫女に出掛ける旨を伝えようと、口を開きかけた時、療養所に入ってきた若者の声が芽依の言葉を遮った。

「あ、芽依様!」
「…………貴方は……」
「近衛騎士団の竜樹です。今、見回りで枢殿の部屋の前を通ったら、こいつが……」

竜樹の視線に促され後ろを見ると、彼に担がれ、意識を失っている青年がいた。顔は真っ青で、具合の悪さが一目で分かる。
確か、朝に枢の部屋の前で会った時は、まだ顔色は良かったはず。
竜樹の手を借りて兵士を座らせ、壁に背中を寄りかからせる。

「…………これは……どういう……」

現在、枢の体は宝珠の影響で昏睡状態にある。まだ体には宝珠の穢れが残っているが、外に漏れ出るほどの穢れはないはずだ。部屋の前に立って見張りをしているだけで、これほど具合が悪くなるのは異常だ。

「…………もう一人いた兵士も動けない状態です。それと、部屋の扉が開いていて、枢殿が……」

聞きながら、芽依はすうっと体が冷たくなっていくのを感じた。竜樹も、一度言葉を呑み込み、意を決したように喉に力を込めた。

「………………枢殿が、部屋から居なくなっていました」
「っ……」

枢はまだ意識がないはず。自分の意思で起き上がる事は不可能に近い。
可能性があるとすれば、誰かに連れ去られたか、あるいは……。

「…………俺の隊はこれから、枢殿の捜索に入ります。芽依様は……」
「ーーーー私も、お連れ下さい」
「え……ですが」
「昨晩から市場で原因不明の穢れが発生しています。もしかしたら、ですが、それと関係があるかもしれません」

芽依の言葉に竜樹は難しい顔をして、暫し考える素振りを見せた。市場で穢れが発生している情報が確かであれば、穢れを祓えない兵士達では荷が重すぎる。だが、このまま放置すれば、穢れが増幅する可能性も捨てきれない。芽依が一緒ならば、たとえ穢れに触れた兵士が倒れても、全滅は免れるだろう。
芽依を危険に晒すことに躊躇いは残るものの、今、一番重視すべきは枢を探しだし、穢れの拡大を防ぐ事だ。その為に、芽依の協力は必須。

「………………分かりました。お願いします。俺、隊長の所に許可をもらいに行くので、芽依様はこの場で少しの間お待ち下さい」

芽依は頷き、走り去る竜樹の後ろ姿を見送る。竜樹は三年前、まだ十四歳ながら、近衛騎士団の三番隊隊長に任命された若き実力者だ。隊長は単に剣術が優れている者がなれる訳ではない。周りを指揮し、導く能力。厳しい状況に於ける判断力。そして王家に対する絶対の忠誠心。それらが総合的に高い者が選ばれる。
近衛騎士団は現在、上から順に団長、副団長、一番隊から三番隊の三人の隊長、計五人のトップが存在する。
その隊長に選ばれ、部下にも信頼されている。
裕祇斗と芽依、どちらからも一歳ずつしか違わない為、就任当初からどこか親近感があった。
トキが居るから不安はないが、竜樹がついてきてくれるのは、ありがたいし心強い。
芽依は今度こそ出掛ける旨を伝える為、立ち上がって巫女に声をかけたーーーー。


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