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小説|瑠璃色の瞳(8)

太陽が昇りきり、正午の鐘が鳴ると、約束通り裕祇斗がやって来た。交代の門番も含め、供を二人ほど連れている。

「よ」
「いらっしゃい、裕祇斗。杙梛(くいな)さんは?」

そう言って隣を見る。裕祇斗の側には彼が居るのが常だ。

「あー、あいつには午前中の仕事の後処理を任してあるから、後から来る。呼ばなくたって現れるんだから、ほっとけって」

渋い顔をしながらも、本気で嫌がってはいない裕祇斗の口調に、芽依はクスリと笑った。
すると、会話が終わるのを見計らっていたように三津流が部屋から出てきた。
靴を履くのももどかしそうにしながら、パタパタと駆けてくる。

「裕祇斗様ー!」
「三津流、元気だなー。今日は何して遊びたい?」

息を切らせながらも目を輝かせる三津流に、裕祇斗は膝を曲げて視線を合わせた。
問いかけられると、三津流はうーん、と暫く悩む。
隣にいる姉を見上げ、思い付いたとはかりに顔を上げた。

「じゃーねー……蹴鞠!」

二人で住むには些か広い庭園に、鞠を蹴る音だけが響く。
弟が蹴りやすいほうへ鞠を蹴る芽依の横で、不意に、小さな笑い声か溢れた。

「………………何?」

不審な目で芽依が問いかけると、裕祇斗がいや、と一旦言葉を切ってから答えた。

「三津流は可愛いなーと思ってさ」
「はい?」
「だって、俺と芽依と三津流の三人で出来る遊びをあいつなりに考えたんだろ?これなら姫も出来るもんな!」

確かに裕祇斗の言う通りだった。三津流は彼と二人の時には、もっと体を動かす遊びをしている。

「………………」

ぐっと言葉を飲み込んで何も言い返せない芽依を見て、裕祇斗は柔らかい笑みを浮かべた。
蹴鞠だって、結構体力を使う遊びだ。三津流も芽依の身体能力がないと思っている訳では決してない。言うなれば、芽依が怪我をしないかどうかを気にしているのだ。
聖女というのは、心・体が共に清らかでなければならないということは皆が良く知っている。
大好きな姉に甘えたい。でも、聖女としての彼女も守りたい。
七歳の幼い子供がそこまで考える必要はないのだが、彼の育った環境ゆえに仕方のないことなのだろう。
裕祇斗は飛んできた鞠を受け止めると、それを勢いよく蹴り飛ばした。急に自分の遥か上を通り過ぎていくそれに、三津流はぽかんとした表情を浮かべた。

「……よーし、三津流。次はかくれんぼしよーぜ!俺があの鞠拾いに行ってる間に、姫と見つからない場所に隠れとけよ」
「…………うん!」

三津流が元気良く頷けば、裕祇斗はふっと笑って走り出す。状況についていけない芽依の手を、三津流が引いた。

「行こう!あねさま!」

満面の笑みで自分を引っ張る弟を見て、芽依はつられて微笑んだ。
……これは、裕祇斗に一本とられたな。
そうして、三津流の手を優しく握り返すと、姉弟は隠れ場所を求めて走り出した。



そんな三人の光景を、テヌートは屋根の上から眺めていた。門番の役目は忠文に代わってもらっているし、あの三人の中に混ざる気にはなれなかった。
片膝を立て、そこに腕をだらりと乗せる。片足はあぐらをかいており、完全にやる気のない体勢だ。いつもとは違う、大人びた静かな視線の先にいるのは、芽依ではなく、裕祇斗だった。
姉弟を暖かい眼差しで見つめる彼に、テヌートは眉を寄せた。

「…………あいつ、見てると苛つくんだよなー……」
「……………………」

隣でそれを聞いていたトキは、何も言わなかった。
どうして、と、聞かなくても分かっている。
一度だけ、話してもらった事がある。それは、彼の闇。彼の後悔。
テヌートが裕祇斗に苛立ちを覚えるのも、それと繋がっている。

ーーーー姫。

テヌートがそう呼び掛ける人を、一人だけ知っている。
そして、裕祇斗は芽依を姫、と呼び掛ける。彼女を護る騎士の立場。彼女に向けられたその想いも。
全て。

ーーーー昔の自分と似ているから、だ。

「……………………」

立場があれば、強さがあれば、想いがあれば、護れると思っているその無垢な心。
……立場があろうと、強さがあろうと、その想いがどれだけ強かろうと、どうしようもない事だってあるのだ。
間に合わず、目の前で崩れ落ちる事だってある。
彼はまだ、それを知らない。
どんな想いも強さも立場も、結局、護れなければ何の意味もない。

「……ーーーーあの人は、」

ふと、それまで黙っていたトキが徐に口を開いた。

「…………あの人は『姫』じゃない」

それは、トキの精一杯の言葉で。

「…………彼は、テヌートさんじゃない」

一言一言、心に刻み込むようにゆっくりと話続ける。

「同じように見えても、違う人間です。今度も、……同じ結末になるとは限らない」

トキが、こんなに饒舌になるのはいつぶりだろう。
いつも他人に問われれば答える程度で、自ら発言するなど滅多にないのに。
それが、彼なりに必死に言葉を選んで話している。
それは、芽依に出会う前ではあり得なかった事だ。テヌートもトキの変化を望んで、芽依を護る役目を彼に託したのだ。
真面目な話の筈なのに、テヌートは急に可笑しくなってプッと吹き出した。
トキが小首を傾げる。

「ははっ。お前も、生意気言うようになったじゃねーか」
「…………すみません」
「いや、気にすんな。ほぼ図星だしな」

そう言ってテヌートは両腕を上げ、背筋を伸ばす。

「…………怪我、平気ですか?」

相変わらずの無表情でそう問いかけると、テヌートは確認するように肩を回してみせた。

「まー、体はけっこう重いっつーか、だりーけど、傷自体は塞がってるし問題ねーよ。…………人間の体だし、回復が遅いのは仕方ねー」
「…………いつ、戻りますか?」
「……んー……?さぁーな……」

トキが聞いているのは、死神の力の話だ。テヌートは惚けたように笑って誤魔化した。
答えを期待していた訳ではないトキは、そうですかとだけ言って、視線を芽依達に戻した。

「…………力、ね」

テヌートは、感触を確かめるように右手を開閉させた後、誰にも聞こえないような声で呟く。


「………………もうすぐ、だな……」


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