おまけのショートショート
――今日こそ、絶対なんとか仲良くなってやるんだから。
凛花は、いちごのショートケーキをフォークでざくざく切り分けながら、眉間に皺を寄せる。くだけたスポンジが、ダークグレーのスカートにこぼれ落ちた。わりとパサついたスポンジなのだ。
――あのイケメンのお兄さんと、仲良くなりたい。
ここのカフェは、お兄さんのキッチンカーがよく見える。ベージュとダークブラウンに塗り分けられた、丸っこくてレトロなキッチンカー。それは、一・二週間に一度くらいの割合で、凛花の通う大学そばの、本屋の駐車場にやって来る。
初めて見かけたのは三ヶ月前だった。本屋から出てきたばかりの凛花の、カバンから落ちたらしい化粧ポーチを持ち、彼は落としませんでしたか?と声をかけてきた。
最初は、ナンパのたぐいかと思った。凛花はけっこう可愛い自覚があったから。でも、そうではなかった。本当に落し物を見かけて声をかけてくれただけなのだった。それが少し残念だった。
たったそれだけのきっかけだ。
翌週またお兄さんが来ていたので、凛花はすかさずお弁当を買った。お兄さんは凛花を覚えてはおらず、弁当の中には凛花には作れないサバの味噌煮が入っていて、しかもすごく美味しかった。なんだか悔しい気持ちになった。
それから毎日その本屋の外に、凛花はお兄さんの姿を探した。時には本屋の中から、時にはカフェの窓辺で、時には少し離れた自販機から。
何度か見ているうちに、キッチンカーが来る頻度はおおよそ把握できた。時間がまちまちで、昼に来ている日もあれば、夕方姿を見せる日もある、ということも。待ち伏せしづらいこと、この上ない。
いつも、十~十五食くらいを売ると、さっといなくなる。ダラダラ居座ったことは一度もない。ちなみに、帰る方向もいつもバラバラだ。どっち方面からやって来て、どこへ帰るのか、推理することは難しかった。
優しくて、背も高くて、しかも顔もかっこいい。料理もうまい。子どもにもお年寄りにも男女の区別もなく、皆に同じ物腰で接している。余談だが、散歩中の犬にも猫にも好かれている。
それなのに誰もいないふとした時に、水筒を飲んでいる姿が物憂げで、どことなく色気というか儚げな空気を感じる。
きっと寂しいのだ。彼女がほしいに違いない。いつしか凛花は、彼を観察するだけでは我慢できなくなっていた。
なんとかして仲良くなりたい。客としてではなく、個人的にお近付きになりたい。(名字が「藤田」だということだけは、弁当屋の名刺サイズのショップカードで知った。)
でもお兄さんの弁当屋…待月屋という…は結構人気があり、ちまちまではあるが、客足のたえる時間がなく、話しかけづらい。あるとき、彼のことを本屋の店員にそれとなく聞いてみたが、詳しいことはオーナーしか知らないそうで、そのオーナーも不在だった。
今日は、来ている。そして、今日こそは凛花も色々考えている。目の前の古びたカフェでケーキを食べ食べ、あまり優秀ではない頭を捻って考えた。大学の売店ではなく、雑貨屋で買った可愛いレターセットに、メッセージと連絡先を書くことにした。最近友達ととったプリクラも貼っておく。めちゃくちゃ写りがいいお気に入りだ。
――たぶん、あと1、2個でお弁当が売り切れる気がする。
意を決してカフェを後にし、本屋へ向かう。運良く、客は誰もおらず、本屋から出てくる人もまばらだ。
「藤田さん」
声をかけると、あせた藍染めの手ぬぐいの青年がこちらを振り向く。すぐににっこりと柔和な笑顔をうかべ、会釈をした。
「いらっしゃいませ」
今日の手書き黒板には、おからハンバーグと書いてある。昼食にも夕食にも微妙な時間だし、お腹もすいていないが、ここで買わねば会話になるまい。
「あの、1人分ください」
お兄さん――藤田さんは、いつもお金を受け取ってからお弁当を渡す。何度も確認済みだ。だから、お金とともに手紙を渡したら、弁当とともにつき返される可能性がある、と凛花は考えていた。
そこで、財布に小銭はあるがあえて千円札をトレイに置いた。弁当はいつも500円だから、必ず同じ500円玉が返金されるはず。
藤田さんから弁当を受け取り、彼がレジからお釣りを用意しているうちに、凛花は手早くトレイに手紙を置いた。
振り向いて500円玉を置こうとした藤田さんが目を丸くする。
「よ、読んでください!」
それだけ言うと、どんな顔をすればいいか分からず、凛花は足早に車をあとにした。手紙には、連絡先も名前も書いた。ずっと好きでしたって書いた。きっと、今日の夜にでもLINEが来るに違いない。そうだそうだ、そうに決まってる。
不安とワクワクがないまぜになった気分で、思わず駆け出しそうになる気持ちを抑えた。うしろからも可愛く見えるような歩き方を意識した。だって、彼に見られてるかもしれない、から。
すると。
「すみません、ちょっと待って、入れ忘れました」
声をかけられ振り向くと、藤田さん。
追ってきてくれたのかと笑顔になった束の間、手にのったプラスチック容器が目に入った。小さな惣菜用の容器。中にはほうれん草の胡麻和えが入っていた。どうやら、それだけ袋に入れ忘れたらしい。
自分目当てで追ってきたわけではないと気づき、凛花は不承不承それを受け取った。藤田さんが少し困ったように微笑んだ。
「ありがとうございました、またいつか」
変な言い方。そう思いながら凛花はふと胡麻和えを見た。何かが、容器に輪ゴムでとまっている。はっと凛花は顔色をかえた。折りたたまれた自分の手紙だったからだ。
さらに、表面に小さな字で何か書かれていることに気づいた。
気持ちだけ、ありがとう。
でも、個人情報を簡単に人に教えないようにね。 藤宮
……!
頭にかっと血がのぼり、後ろを振り返ると、お兄さんはとっととエンジンをかけるところだった。
「ちょっと待ってよ!」
悔しくて凛花は叫んだが、もう遅い。ベージュの車は、さっさと走り去っていった。
その後、お兄さんを見かけることはなくなった。本屋さんに聞いたら、都合が合わなくなったから来なくなったのだとか、時間をかえたのだとか要領を得ない。イライラして、もういいです、と踵を返した。
結局、お兄さんが藤田だったのか、藤宮だったのかも、分からずじまいだ。
でも、「いつか」と言ったのだから、また会える気もしないでもない。凛花はショートケーキをスカートにこぼしつつ 、今も時々本屋を見張っている。
<了>
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