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言葉で伝えることの難しさ

こんにちは! レオ・エースです。
ほんとに久しぶりの投稿になります。このところのいそがしさでなかなか時間が取れないことが多くて…。

最近はよく表題のように考えることが多いです。言葉で伝えるってことは本当に難しいなと思ってます。
自分では伝えたいことがはっきりとあるんだけど、それをうまく言いあらわす言葉が見つからないということはありませんか? 福祉の仕事、とかくソーシャルワークをしていると、相談支援の中心は言葉のやり取りになります。相手の言葉を受け取り、それにこちらの言葉で返す、これは日常の会話でも同じです。しかし、それだけで本当に意思疎通がうまく行っていると言えるのでしょうか?

「言葉」にしたとたん、通じない

「言葉」とは、ある概念を音声や文字を用いて表現した意味を持つ単語の羅列だと考えます。ある概念を伝えようとする本人にとっては、その概念は明白です。
例えば、連休中に遊園地に行ったエピソードを伝えたいとするなら、伝えようとする本人は当然その全てのことを理解しています。そして、それを友人に伝えようとするときに、「言葉」を通じて伝えようとします。

ここで本人が伝えようとした遊園地でのエピソードは、言葉というフィルターを通じてエッセンスのみが友人に伝わることになります。場所、見たこと、アトラクション、スイーツのこと、それをどう感じたかなどです。しかし、伝わるのはいわば言語化できるエッセンスのみであり、言語化できない部分については、友人が想像し、イメージを補完することでやり取りが成り立ちます。

有名な話として、象を見たことのない人に、象がどのような動物かを説明するというものがあります。ある人は鼻の長さを、ある人は身体の巨大さを、ある人は皮膚の方さを表現しますが、結局見たことのない人にとっては理解できません。それは象を見たことがないので言葉だけではイメージが補完できないからです。

私たちは普段何気なく会話していますが、それが成り立つのは相手が大体同じ経験を共有し、ある程度の言葉であればイメージを補完できるという前提のもとで成り立っているのです。
でも、それは相手の補完力に頼ったコミュニケーション手段であり、相手のイメージが自分のイメージと同一であることは確かめようがありません。結局、伝言ゲームのように最終的には伝わっていないのだということになってしまいます。

そう、私たちの思うことは、言葉にしたとたん、正確には伝わらなくなるのです。

私たちが日常で福祉の言葉を使う危うさ

普段、福祉の仕事をしていると、専門職ほど何気なく専門用語を使います。インテークとか、アセスメント、ストレングスなどです。またその業界独自の用語もあります。ナカポツ(もしくは就ポツ)、生保(生命保険ではなく生活保護)、当3(計画相談で新規ケースの時など当初3か月は毎月モニタリングするということ)などはその典型でしょう。これは専門職であれば当たり前の擁護ですが、クライエントにとっては未知の言葉であり、全く理解できない意味不明な音声でしかありません。

私たちは言葉を使って、相手のイメージ補完力を頼って意思疎通をしていることを考えるなら、相談支援の現場では相手の理解が追い付くよう伝える言葉を分かりやすいものに言い換えて伝える必要があります。
難しいことをそのまま難しい言葉で話すのは、実はとても簡単です。そのまま言うだけなので。でもそれはただの話し手の自己満足であり、相手を考えていません。福祉専門職として求められているのは、どんな相手であっても可能な限り分かりやすく伝えることです。
そのためにはかなりの自己研鑽が必要ですし、福祉以外の物事にもアンテナを高くしておくと語彙を増やすのに役に立ちます。

今日は、コミュニケーションについて少しお話ししてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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