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沖縄 2016.4.28

私は沖縄の基地問題に対して、今、なにもできていない。元海兵隊員に残忍に殺された島袋里奈さんを思い、慟哭する沖縄の人々の姿を映像で見、こころが潰れる思いをもつだけだ。

反対の声をあげているとは言い難い。

政治利用しようという施政者、差別用語をつかいながら、真逆の批判をする政治屋を批判する資格はないかもしれない。

 沖縄には学生運動をしていた70年代後後半から80年にかけて何回か訪れた。当然、当時の習わしで、多勢でヘルメットをかぶりデモをする。そのままバスに乗り、移動する。今となって思えば失礼な話だ。「本土」でも新幹線などでおなじようなことをしたことがあるが、すぐさま乗客は逃げ去り、公安警察と睨み合いとなる。

ところが沖縄は違った。

声がかかったのだ。「お兄さんたち大変だね」「カンパしよう!」さしだされた札に手が震えた。「帽子」と「黒い眼鏡」をとり、感謝の言葉を詰まりながら「ありがとうございます」と言った覚えがある。そんなことは初めてだ。東京でも、佐世保でも、岩国でも、どこでも、なかった。

この話には続きがある。炎天下、何日か、着の身着のまま、デモをづづけ、自分たちは多大な「異臭」を放つっていることに気づいた。臭いのだ。

指揮者である私は「銭湯」に行くことを考えた。しかしである。こんな「異臭」を放つ、異形の集団を入れてくれる銭湯があるだろうか。

ところが違った。

銭湯の大将は、ヘルメットを脱ぎつつ、風呂に入れてくれと所望するわれわれに「今日はタダにするから好きなだけ入りなさい」と言ってくれたのである。

反基地の大義名分で、「本土」から押し寄せ、ある意味、かってに行動をしている若者にこんな「優しさ」を差し出す人々。

今も忘れない。絶対に忘れられない。

この話にはさらにオチがある。何十人と押しかけ、他の集団も同様な「待遇」を受け、風呂は超満員となった。お湯をすくう桶がない。道具はつかいよう。赤や白や青のヘルメットは風呂桶となり、急場はしのげた。

もう40年以上前の話だ。でも忘れない。忘れられない。

あんなに優しい沖縄の人々にこれ以上「悲しみ」を押し付けることはできない。わたしの「青春」がわたしに問いかける。

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