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進化心理学に触れ、社会学を排除せよ


 
 なぜ進化心理学に触れる必要があるのか。そしてなぜ社会学(ジェンダー学)を排除すべきなのか。
 結論から言うと、進化心理学の思考プロセスは知性でなされる一方、社会学(ジェンダー学)は古い脳でなされるからだ。

 進化心理学は今の状態や現象を観察して、なぜそこへ至ったのかを過去を遡りながら追究する。例えば
「私たちは甘いものが好きである」
 という今の事実を観察した後に
「ではなぜ甘いものが好きになったのか?」
 と追究を始める。そして
「食料の乏しいサバンナで生きていた時代、高カロリーの糖分を含有した果物を無視してしまう個体より、進んで摂取した個体の方が生存率が高くなり、子孫を多く残せたからだ。結果的に、糖分を好む(甘いと感じる)遺伝子が圧倒的に広がった」
 と推論する。
 一方で社会学(ジェンダー学)は、理想へ社会を変化させようとする試みだ。
 例えば
「男女は同じである」
 という理想をまず掲げる。進化心理学の起点は「甘いものが好き」という事実だったが「男女は同じである」は平等主義の理想ではあっても事実ではない。
 すると
「男女は同じである。なぜならばこの前実施されたアンケートの研究によると~」
 と自明ではない命題を支えるために、様々なデータ(のようなもの)を持ってきて理屈を構築する破目になる。
 
 あべこべなのだ。今実際に起きている現象を見て、その原因を求めるのが進化心理学的思考だが、社会学(ジェンダー学)は結論を先に設定し、そこへ向かって都合のいい資料を集める。

 社会学は学問と言えない。結論ありきで始まる研究は無意味だ。
 既存の学説を覆すような新たな遺跡を発見しても、望む答えの補強に役立たないから排除してしまう考古学者がいたとしたら、人々は彼を学者と思うだろうか? 特定の民族の正当性を証明するためだけに発掘作業をしている者がいたら、考古学者ではなく政治家と判断すべきだろう。
 そう。社会学(ジェンダー学)とはつまり、学問ではなく政治的活動なのだ。
 
 よく進化心理学を優生思想と関連付けた批判があるが、むしろ社会学(ジェンダー学)こそ思考プロセスは優生思想と同様だ。
 優生思想も「我々の民族は優れている」という事実ではない幻想を出発点として、進化論の都合のいい箇所を切り抜き援用した政治的言論だった。
 進化心理学と優生思想。確かに両方とも進化論を利用しているが、それらに出てくる「進化論」という言葉は同音異義語だ。
 翻って社会学は、その思考プロセス、または手段から言って優生思想の眷属である。
 学問の皮を被せて若者に流布するのは危険だ。
 
 最初に、進化心理学は知性的で、社会学は古い脳でなされると言ったのは、ここへ繋がる。
 人間の脳は、古い脳に新皮質が覆いかぶさる構造をしている。古い脳は犬にも鼠にも爬虫類にだってある。呼吸、食欲、階級意識などの生命維持に関する部門、そして、性欲、縄張り意識、子育てなどの生殖に繋がる分野の司令塔は古い脳である。
 一方、新皮質には言語や抽象的概念を扱う部分がある。哺乳類全般にあるが、我々ホモ・サピエンスの新皮質は特段に大きい。
 新皮質こそ、人類の知性の源と言える。
 学問は新皮質の知性によってなされる。しかし政治は古い脳の欲望によってなされる。

脳味噌


 先日「ザ・ルンペンブルジョワジー」(レイトン・ウッドハウス 訳 tarafuku10)という記事を読んだ。【以下引用元】
https://tarafuku10working.hatenablog.com/entry/2022/11/07/045631
 要約するとこうなる。
 近年アメリカでは文系の大卒者が増加したものの、大卒者の仕事の席は増えていないため、就職がままならなくなった。特に彼らは理系のような専門的スキルがない。一応学士号があるということで薄給の教師になるか、そもそも大卒資格不要の事務仕事やショップ店員などになるかの二択を迫られる者が多くなった。
 しかし彼らにはスキルがない代わりに文化的資本があった。
「彼らがふんだんに持っているのは文化的資本である。もっと具体的に言えば、大学で吹き込まれたサブカテゴリの道徳的資本である。」
 文系大卒者が持つ唯一の武器とは「多くの人には意味不明な社会正義語法の文法や語彙を操るネイティブ・レベルの流ちょうさ。おおげさではなくあらゆるものについてレイシズムの構造を見い出す鋭敏な能力」だったのである。
 このような文化的資本を生かして彼らはビジネス・モデルを創出した。「すなわち強請(ゆす)りである」
 ポリコレ(政治的正しさ)の蔓延した社会において、企業は自社の職場や発信する広告が「道徳的インテリのイデオロギー的基準が満たされていることを確認する」必要があり「外部から番人を迎え入れなければならな」くなった。多くのずる賢い文系大卒者はポリコレの番人になったのだ。空虚な文化的資本で職と地位を得たのである。
 
 さて、これはアメリカの話であるが、状況は日本でも同様である。
 この記事からわかるように、文化的資本を使って説法を行う者は一見高尚だが、実際は古い脳の欲求で動いている。食い扶持を稼ぎたいというなら可愛いものだが、彼らは承認欲求、名誉欲、支配欲を満たそうとする。
 大卒者のプライドがあるのだろう。高校までは勉強ができたのかもしれない。しかし大学を卒業して社会人になると、自分が空っぽだと気付く。理系のように人類の真の発展に寄与するスキルがない現実を受け入れない者たちが迷い込むのが政治的活動だ。
 ポリコレの番人は、プライドが高く、幼い万能感を持ったまま人の上に立ちたがる性格にはうってつけなのだ。
 
 記事にもあるが、文化的資本によって他者を監視し、道徳的か否かの判断をして罰するのは「大学で教わった想像力以上のものを必要としない」ので楽なのである。
 学問追究者とは真逆である。真実を探さないのだ。道徳という恣意的な基準をでっちあげて、後はそれに違反している者を糾弾するだけである。
 
 社会学(ジェンダー学)を排除せよというのは、思考の堕落だからである。
 特に発展途上の若者が堕落して政治的活動に現を抜かせば成長しない人間がどんどんと社会に増殖していく。
 進化心理学は人間や社会を理解しようとする者たちに、真に学問的な思考回路を授けてくれる。新皮質で考えていこうではないか。

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